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白の世界 - 6



私が高校三年生に進学した少し後、彼が高校を卒業してから一年と少しが経っていた。

私が彼に付きまとっていたのは彼が在学していた間だけでしたので、それ以降これといった音沙汰もなし。そもそもついに本物の“ヤクザ者”となった彼に、一介の女子高生がお会いできるだろうというのは楽観的な考えだったかもしれない……なんて、気落ちしていた時期だった。

一年ぶりの再会はなんということもありません、特別なことは何もなかったとある平日の夕方五時頃。一日の授業が終了して、万年帰宅部だった私は――なんせこれといった特技も好きなこともなかったので――早々に帰路についていた。
校門を出てしばらく、閑静な住宅街はこの日、他の通行人も見かけなかった。
だから後ろから静かに近づいてきた黒塗りの車が私の隣に止まったとして、それを見とがめる目もなかった。さすがの私も急に現れた車を不審に思って、苦し紛れに側のブロック塀に背をつけていたりなんかしていたのですが。

「――乗れ」

と、挨拶もなしに一言。ゆっくり下がるスモークガラスの向こうから投げられた、その心地の良い声に目を瞬いた。信じられない思いで硬直している間に車窓が下がりきり、夢にまで見た彼の姿が現れた。
たった一年ぶりなのに、薄い色の瞳は以前より鋭く、眉間の皺はより深くなった気がする……つまり見慣れた呆れ顔も、なんだか凄みが増したような。
けれどそれ以上に、私はもちろん嬉しかったのです。

「――治崎先輩!お会いしたかったです!」
「わかったから早くしろ。時間がない」

この日はただ組長様へご挨拶させる目的で私を連れて行くため、夜までに帰すよう言い付けられているそうだった。彼の指示通りに迷うことなく怪しい車へ乗り込み、そう遠くはないお屋敷に到着するまでの数分間でそう教えられた。

ご挨拶とは何の?
それにこの一年間で彼は何を学ばれたのだろう?
極道の生活ってどんな感じなのでしょうか?
こうして迎えに来て下さったということは、私のことも偶には思い出して下さっていたのですか?――色々と聞きたいことはあったが、そうするにもやはり時間はなかった。

立派な門構えの日本家屋の前に停車し、彼はさっさと車を降りた。私はおずおずと運転席の方を覗いて、どうにも強面な青年にありがとうございましたと声をかけてみた。意外にも相手はこちらを振り向いて、嬢ちゃん治崎よりよほど礼儀正しいな、なんてカラッと笑って下さった。



「お、お初にお目にかかります、私……あの、治崎せんぱ……いえ、廻、さん?の、後輩で……ええと、在学中は大変、お世話になりまして……」
「はは!そう怖がるな」

大きなデスクの奥に座する、大柄なおじさまは私のたどたどしい挨拶が可笑しかったようで、声を立てて笑った。その隣に立つ彼は、とても嫌そうな顔で私を睨んでいた。
ひどい、だって原稿を用意するような時間も、ちゃんと言葉を考えて反芻する時間だってなかったのに、貴方の望むような素晴らしい自己紹介なんてできるはずがないではありませんか。

「申し訳ありません……でも、私、怖がってなんておりません」
「気を遣わんでいい。むしろよく俺の前に立てたもんだ、見たところ普通のお嬢さんだろうに」
「親父、こいつは全然普通じゃない」
「お前失礼なこと言うんじゃねえよ」

女は大事にするもんだ、と今度は彼が睨まれて、黙らされていた。初めて見ました、彼が素直に他人に従っている姿なんて!
神さえ畏れない人なのに……ああ、そういうことなのですね。

「あの、私なら大丈夫ですよ……お父様?」
「組長だ……」
「組長様」
「面白い子を連れて来たもんだなァ、治崎」

いつも以上に低い声で忠告されては即座に言い換える他なかった。全くもって時既に遅いのですが。
組長様はそれでも気を悪くした風もなく、くつくつ笑っておられた。

「嬢ちゃん、名前は?」
「あっ……失礼しました!美神ユナと申します」

自己紹介だというのに、肝心の名前を飛ばしてしまうなんて。慌てて名乗ると、組長様はユナさん、と丁寧に呼んで下さった。
心地よい低音は彼とも似ている気がして、しかしいつも冷たい彼とは違い、温かみを覚えさせる色の声だった。見た目は本当に、由緒正しい極道の大黒柱然としておられるのに――なんてぼんやり考えながら一瞬、名乗られた相手の名前を聞き流しかけた。
けれどあれっと違和感を覚えて、そしてそのまま口をついた。

「あれっ、先輩と苗字が違うのですね」
「聞いてなかったのか。俺はこいつの育て親だよ」
「ああ……なるほど」

私は彼のことにそれほど詳しくはなかったので、周りが“ヤクザの子”と呼ぶものだから、てっきりそうなのだろうと思い込んでいた。けれど、言われてみれば組長様は彼のことを治崎と呼んでおられたし、実の息子をそうは呼ばない気がした。
それに、確かにその方が、得心がいきました。

「納得したかい」
「はい、とても――どうして組長様が、神様なのだろうと思っていたところでした」
「おい。余計なことを言うな」

私が漏らした言葉は彼にとっては都合が悪かったようで、早口で諌められたがこれも既に遅かった。
組長様は訝しげに目を細めて、どういう意味だ?と彼を見上げて問いかけていた。

「戯れ言だ。あいつは宗教家だから」
「宗教思想は大事だ、尊重せねばならない。……ユナさん、うちに来るってことは、その点も納得してのことだね?」
「……うちに来る?とは、どういう意味でしょうか?」

もしかして組長様もまた、どこかの神を信じる敬虔な信徒なのでしょうか。異教の者が足を踏み入れてはいけなかったのでしょうか。そうとも知らずにのこのこ遊びに来てしまうなんて、仮にも同じく絶対の神を持つ私が侵してしまうなんて、そんな!

思い当たって私が顔色を変えたのに気づいたか、組長様はますます眉を寄せて、おい治崎、と今度こそ“ヤクザ者の長”として相応しい重い声を発した。

「ユナさんにちゃんと、了承を取って、ここまで連れて来たんだろうな?」
「……了承も何も。俺に従いたいと言ってきたのはあれの方だ」
「治崎!違ぇだろ、そういうのは、人を従えるってのはよ!」
「きゃあっ」

咄嗟に悲鳴をあげてしまったけれど、組長様が怒鳴って掴み上げたのは彼の襟元でしたし、当の彼はといえばそれでも少し眉を動かすくらいで、あまり表情を変えなかった。

「申し訳ありません、組長様、私、いつも私が勝手なことを申し上げるのです!ですから、彼がそれを、叶えてくださると言うから、ただ待っていたのは私の方なのです!」
「黙っていろ、お前は」

慌てて取り繕おうとする私を見かねたか、彼は一瞬こちらに視線をやって、すぐ組長様に向き直る。
それをじっと睨めあげていた組長様が、口を開いた。

「今日、なんと言って彼女を連れ出した」
「親父に挨拶させると」
「何のために?」
「……そのうち会わせると、約束していたからだ」

組長様は彼の言葉を少し考えた風にしてから、今度は私に向けて問いかけた。

「ユナさん、今の話は本当か?」
「は、はい……」

厳密に言えば、彼に約束してもらっていた相手が、組長様であるとは少しも聞いていなかったけれど。そんなことは会えばわかるとも思っていたし、実際私にはよく伝わったので、些細な違いだということにした。

組長様は深いため息をついて、ああ少しは怒りが収まっただろうかと思った直後、掴み上げていた彼を壁に向かって突き飛ばした。
私はまた小さく悲鳴をあげて、彼は思い切り壁に背を打ち付けて、痛ってぇ……と珍しく小さく零した。

「大丈夫ですか!?」

思わず駆け寄ったものの、彼は他人に触れられるのを本当に嫌がるので、何も役に立たなくなった両手を胸元で祈るように組むことしかできなかった。

「……ユナさん、コイツは今日、あんたを組の一員にしようってつもりで、俺に会わせたんだ」

組長様が固い声で告げた言葉に、私は耳を疑った。

「高校で、おかしな女に会った、と言っていた。手放す気にならない、とも。コイツは昔からまともな友達なんぞもいなかったから……驚いた。そんで、これでも親代わりだ、嬉しかったさ。だからいっぱしに俺らの仕事手伝えるようになったら、考えてやると言ってな……正直俺も、浅慮だったよ。申し訳ない」

まさか組長様から謝罪を受けるなどそれこそ信じられない言葉で、えっ……と小さく声を漏らして、そのまま何も言えなくなった。

「コイツは強引なやつだから、あんたのこと、良いように言って連れて来たか?」
「ちっちがいます、それは……!彼の言葉は本当です。私が彼を追いかけていて、迎え入れて下さると仰った言葉を、私は信じていたのです……」

言いながら、そうだった、と思い返していた。
私は出会った時から、迷惑そうな彼をずっと追いかけて、彼の世界を知りたくて、私の世界にいて欲しいと乞い願っていたのです。そしてそれを、どういう風の吹き回しか、彼は一年と少し前にようやく受け入れて下さった。

彼の世界を見せてくれると約束して下さった。
私の神は信じないけれど、彼が信じる唯一絶対の大切な方を、私にも教えて下さると。だから、私はただ待っていた。

まだ背中が痛むのか、それとも組長様に色々と暴露されてしまったことがきまり悪いのか……顔をしかめる彼を見上げて、私はつい笑っていた。

「――覚えていて下さったのですね。嬉しいです」
「……お前も、約束は守れ」

「もちろんです。簡単なことだと、申し上げました」

約束――私はただ、彼を信じるのみです。簡単なことです、なんと言っても貴方は、私の神でもおかしくはない方ですから。
もう一度、組長様に向き直り、私は両手を祈るようにして言葉を発した。神よ、私に勇気をお与えください。

「であれば、私はご挨拶を間違えてしまいました……私は、この方に救われた者です。私に神を教えて下さった彼に、全てを捧げて報いたいと思っております。こんな、手前勝手で思慮の欠けた人間を、寛大なお心で受け入れて下さるのでしたら……これ以上ない、幸いであると存じます」

*  *

……いつの間にか、居眠りをしてしまっていた。規則的な電子音が、ポツ、ポツと彼の大切な人の脈動を伝えてくれる。
視線をあげると、窓から橙の空が見えた。随分と長く眠ってしまったみたい。

今度は視線を右にやって、穏やかに眠り続ける人の様子を伺う。組長様は、いつも通り。

優しく、正しいお方だったと思う。不誠実を嫌って、礼儀のなっていない子を叱りつける、厳格な父親のような人。
私はあの時、はっきりと、彼のために彼の下で働きたいと申し上げた。組長様からすれば、生意気に映ったのではないでしょうか。それなのに次の瞬間心配して下さったのは、私が神を捨てなければならない可能性――裏社会の人間に与することは、今後の人生を窮屈にさせると諭された。

実際、その数日後には両親と縁を切ってお屋敷に転がり込むことになり、今度こそ私自身が組長様に大層叱られた。
それから、『親御さん達の代わりとはいかねぇが、ちゃんと面倒見てやるからな』と。

素晴らしい人だったのでしょう。そんな組長様に従っていた方々が、あの冷酷な彼に付き合いきれないなんて、きっと当然のことなのでしょう。

誰よりも彼自身が、組長様を深く愛しているのに。

それでもこの方は、彼の神にはなって下さらない。いいえ、そうではなく――“私達が望むような”神には、決して。

――だってあんなに正しいお方は、私達の都合のいい解釈には付き合って下さらない。



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