ああ神よ。我らが父よ。
どうか私の罪をお赦しください。
聖なる夜にこの地へ遣わされた、救い主の御名をお通しして。
私達の罪を十字架に。
――なんと傲慢な願いでしょうか。
* *
まさか遭遇してしまうなんて思っていなかったので、全く準備がなかった。
彼は私の顔を見るや、なんだその顔、とボソリ呟いた。おそらく、あからさまに幽霊でも見たような顔をしていたに違いない。自覚はある。
「ごめんなさい、驚いてしまいました……どうしたのです、こんなところで?」
「別に、仕事の途中だ」
長い嘴の奥からは、つまらなさそうな声が返ってくる。
奇怪なペストマスクを着用しているにも関わらず、涼しげな面立ちは相変わらず整っている。その三白眼がジトリと私を睨み、細い眉が寄ったのを見てあっと気づいた。そっと両手で口を押さえて見せれば、呆れたようなため息が聞こえてくる。
「お前はいつまで経っても、俺に従わない」
「いいえ、違います。今日は貴方にお会いするつもりではありませんでしたから――」
また不愉快そうに睨まれたので口をつぐんだ。ただし今回はどうして私が叱られるのかわからず、内心少し困惑している。
会えるだなんて予想しているはずがない。だって貴方はいつも私を迎えてくれる人。私が貴方を迎える準備なんて出来ようはずもないのですから。どうしたのでしょう、今日に限ってこんな場所に現れるなんて――しかもお仕事の合間になんて――ああ、もしかして!
「――貴方も、お祈りにいらっしゃったのですか?」
「……そんな信心深い人間だと?」
「思いませんが」
「……」
やはり見当違いだったようで、彼は一層私に呆れたようだった。
そうですね、貴方が神の御前で膝をつくなんて、あまりに倒錯している。だって貴方は、神を信じない。
「ではどうして、教会に?」
「……教会に用があるという前提をやめてくれないか?寒気がする」
心底嫌そうに言われたので、すみません、と呟いた。しかし、教会の前で佇む美男子というのは、なかなかに素敵に思えますけれどね。
私も定期的に足を向けているこの教会は、この辺りでは一番立派な聖堂を持つ。外観も美しく、潔癖な彼にも十分お似合い。とはいえ、彼のお家はキリスト教とは一切無縁なのですけれど。
ふむ、教会には用がない……それなのに、教会の門の隣で立ち止まっておられたと。しかしこの近くに彼の立ち寄りそうな場所なんてやっぱり思い当たらないし――となれば。
「どなたかと待ち合わせでしょうか。教会は目立ちますから」
「まあ、半分くらい当たりだ」
やった、当たりですって。もう十年近い付き合いになるけれど、私と彼とでは考え方に差がありすぎて、彼の考えを理解できることなんてあまりない。嬉しくてにっこり笑うと、彼は少し目を細めた。
「ではその方が来られるまで、お話をしましょう?このところあまりお会いできていませんでしたから――」
「いや、もう戻る。仕事の途中だと言っただろ」
「……そうですか。それは残念です」
咄嗟にもう一度笑って見せた。残念ですと口には出しても、態度に出してはいけないと思う。彼に嫌われてしまってはいけない、困らせたり鬱陶しく思わせたりしてはいけない。
だって貴方は残酷な人、私はよく知っている。
とはいえ、引き止めるわけではないということにして、彼に問いかける。
「ですが、待ち合わせのお相手は……?」
「……お前は本当に」
すると彼はマスクにくぐもる程度の声で何か零した。首を傾げていると、少々投げやりにも聞こえる声色で答えられた。
「今夜は空いているだろうな」
「え?そうですね。夕方には病院に顔を出しますが、それだけです」
「迎えを寄越す。俺のところに来い……話はその時」
用事はそれだけだ――そう言い捨てられてしばし考えた後、ようやく意味を理解した。
そうとわかればこれ以上嬉しいこともなく、当然、私は大きく頷くばかり。
「はい、楽しみにしています!」
「……忘れるなよ」
私はそんなに浮かれて見えたでしょうか、彼は少し肩をすくめて、コツコツと自分のマスクを叩いた。もちろんです、と頷くと一つ瞬きをして、もう一度軽く息を吐くと踵を返して去っていった。
夜にまた会えるのであれば、別れの挨拶というのも今は必要ないのかもしれない。また後ほど、と声をかけてみると、彼は少し振り返ってくれた。それだけでもまた浮かれてしまう。
どなたか、じゃなくて、他でもない私に。
待ち合わせ、じゃなくて、待っていてくださった。
あの彼が――いつもなら私から会いに行くばかりの人が、神にも教会にも興味のない人が、一人で全てを掌握しようとするあの人が――私を迎えに来てくださった!
ああ、何をお話ししましょうか。まずは今朝、私はマスクを『忘れた』のではないことを弁明しなければ。彼から頂いた大事なもの、私が忘れることなんてないと証明しなければ。
だって貴方は私の世界を変えて下さった。私に神を教えて下さった。
私を救って下さった、唯一の人なのですから!
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