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白の世界 - 8



彼から連絡があったと思えば、とても残念なお知らせだった。

――『しばらく、俺が良いと言うまで、ここには来るな。それから、親父のことはよく見ているように』

*  *

ただでさえ、病院とマンションの行き来、たまに教会へお祈りに行く以外にすることがない。彼にお会いすることだけが、唯一の楽しみと言っても過言ではない生活なのに。
自分から身を引く限りはなんてことはないけれど、明示的に彼から閉め出しを食らうのは精神的に辛いものがある。

しかし彼の言いつけを破ることほど怖くて、また私の気持ちが落ち着かないものもないので、素直に毎日のお見舞いに勤しんでいた。

彼との連絡を絶ってから数日、今日は少し早い時間にお見舞いに行くことにした。
たまに気が向いて飾らせて頂くお花がそろそろしおれてきたので、まずは花瓶の取り替えをしましょう。手持ちに余裕があれば新しいお花を買いに行くのもいいかもしれないけれど、残念ながらお給料日はもう少し先。ごめんなさい組長様。

病院へ向かう道すがら、なんだかいつもと違っているような感じがした。いつもなら特別気にならない道行く人々の視線を、時折強く感じることがあったので。
視線を向けてみても、彼らは慌てて目をそらすだけ――もしかして、このペストマスクは極道者の証であると、周知なのでしょうか。彼はもちろんのこと、彼の部下達もマスクは誇りとして、お仕事とは関係なくいつでも使っているようですから。

私が頂いたマスクは白くて可愛らしいこれひとつなので、汚してしまっては困ると、以前までは家に飾っていることの方が多かった。
ただ最近、やはり寂しさゆえか、なんとなく病院へ行く際には身につけるようにしている。彼も私がマスクをしていないと知ったら不愉快な顔をなさるし、離れているからこそ、彼への忠義の証とするのも悪くはないでしょう。
しかしこのマスクをして往来を歩くのが初めてというわけではないし……どうして、今日ばかりこんな?


疑問に思いつつ、歩みを止めるほどのことでもないので、いつも通りに病院へ到着。
今度は単純に珍しいと感じるところがあった――病院の前に、パトカーが二台。赤いライトも点いておらず、周りにその主であろう警官も見当たらないので、あくまでひっそり停まっているだけだった。

病院内で事件が起こったのでなければいいけれど……万一組長様に何かあれば、彼に合わせる顔もありません。
院内に入ってみると特別騒がしい様子もないので少し安堵しつつ、受付を過ぎていつも通りに病室へ向かう。移動中にすれ違う看護師さんや患者の方々は、今日はなぜか私を見るなり怯えるようにしてその場を立ち去ってしまう。


エレベーターを目的の階で降りて、そこで、決定的に――私達の世界は終わりを迎えた。


「死穢八斎會所属、美神ユナさん……ですね?」
「……そうですが」

待ち構えるように、警官が二人とヒーローが一人。
指定敵団体と位置付けられる極道者はヒーローには怯えないけれど、警察には良い思いはしない。つい身構えつつ、質問には素直に答えた。

「ここへはお見舞いに?」
「はい。よくご存知ですね……」

答えながら、視線を廊下の奥へやる。組長様の病室。
立派な個室の扉は無遠慮に開かれていて、ちょうど警官が一人、無線機で何か話しながら中から出てきた。

「――あの病室は、許可なく立ち入りを禁止しております」
「無遠慮で申し訳ない。捜査に必要なことです」

つい口調が強くなってしまった気がする。警官の一人は少しも表情を変えずに受け答えした。
そうでしょうね、私になんの力もないことくらい見た目でもわかれば、彼らならとっくに捜査済みなのかもしれません。

ああ、これは彼に叱られるだけでは済まないでしょう。
組長様がお待ちになっている大切な場所を、こんな方々に荒らされてしまった。

「貴女にも署までご同行頂きたい」
「私にも?まさかあの方をお連れするつもりでしょうか?」
「もちろん、然るべき医療環境は手配しています」

「違います。あの方は何も罪など犯されていません。あなた方の法のもとで、あの方は常に正しくあられました」

一体どんな了見で、組長様をお連れするつもりかわからなかった。先細る組の将来を憂いておられた、それでも彼の苛烈さを受け入れない厳格な方。
私は組長様のお世話係。形だけのお仕事だけれど、謂れ無い罪で物言わぬまま連れて行かせるわけにはいかない。

「誤解しないでください。あなた方に関しては、今のところ参考人としての任意同行をお願いしています」
「参考人?」
「……まだニュースもご覧になっていませんか」

警官の言葉に頷いて返す。私は世間様のことはよく知りません。なぜなら私の世界において、それは些事であるという他ないからです。

――私の世界には、神と、彼の、御言葉だけでいい。


「今朝、死穢八斎會若頭の治崎廻、また治崎の計画に手を貸していた幹部達、ならびに治崎確保の業務執行妨害罪で多数の組員を逮捕しました。死穢八斎會は解体されました」


――ああ、私の祈りが届いて。
――神は彼の罪を十字架にかけられた。

やはり私は、都合のいいことばかりを考えていただけの、罪深いだけの、愚者でした。


「……彼は、神を信じませんから」
「何か?」
「いいえ、なんでもありません」

いつか、こんな日が来る予感はあったのかもしれません。
私に何も教えて下さらなくても、彼が神の前に許されざる罪を重ねていることくらい、わかりますから。組長様のことも、組長様と相容れなかった彼の計画とやらも、小さな女の子が彼に怯えたことも。
彼は私に何も教えて下さらなかった。

私が無力なせいでしょうか。彼は私の前から澱みを少しずつ除いて、その度に私は愚かになって、すべて奪った後に与えて下さったのは、この白の世界だった。
けれど私は気づいていたのです。これは別に、私の世界ではなく――全てを正した彼が最後にお戻りになる、彼のための世界。
まるでノアの方舟のように、終末を超えるまで、どんなものにも侵されるはずのなかった世界。

崩れていく――彼にとっての安寧は、正義の海に呑まれていく。

「同行するのは構いませんが、私は彼から何も聞かされていませんので、お答えできることがあるかどうか」
「ご協力に感謝します。あなた方は……被害者だと、主張する者が複数いましたよ」

私が素直な様子だからか、相手の態度が少しだけ哀れむようなものになった。
一体何をご想像されているのか、よくわかりません。組長様ほど彼に愛されている人はいませんし、私ほど彼に赦されている人もいないというのに。
それが哀れに映るのでしょうか。そうかもしれない、彼はとても独善的な方だから。


あまりに悲しくなってしまって、涙が止まりませんでした。彼は残酷で傲慢で恐ろしくて、同時にとても美しい人だったのに。それこそ、私の頭のおかしい宗教観でしかなく、誰にも理解しては頂けないのでしょう。

けれど、彼は冷たくて鋭利で罪深いのに、私のどうでもいいお話に呆れて息を吐く姿なんか、あんなに愛おしかったのですよ。

*  *

ああ、神よ。我らが父よ。
最後に私の罪を懺悔します。あなたの御心を疑い、彼の御言葉に逃げました。

きっと私の罪は赦されない。あなただけでなく、私は彼をも裏切るからです。最も恥ずべき行いです。
私はもう、何に縋る事もないでしょう。


そもそも、私の信じた神など、もはや偶像ですらなかったのですから。
……神に、恋をする信徒などいないのですから。



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