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光は - 01



後部座席のスライドドアを開くと、奥側の席に座っていた少女が明るく笑った。花が咲くような、という表現が咄嗟に出て、自身のそんな思考まで気恥しくて思わず眉を寄せた。のを自覚して、慌てて表情を戻す。目付きが悪いと幼い頃から周りに言われていて、さらにあがり症による固い表情もそれを助長させることはよくわかっていた。

しかし彼女はそんな彼の表情を気にした様子もなく、にこにこ笑ったままいつも通りに挨拶をくれた。

「お疲れさまです、天喰先輩!」
「ああ……」

それに小さく返事をして、天喰はそろそろと車に乗り込み、いつも通り彼女の隣に座った。もちろん、椅子の一番端に身を寄せ、コスチュームと荷物の入った大きなバッグを彼女との間に置かなければそんな所業は天喰には不可能だ。人見知りの激しい天喰にとっては、心臓が爆発しない最大限の譲歩した距離である。
そうでなければ三列シート一番後ろの端で身を縮こめるしかなくなるのは、彼女もよく知っている。当然、あからさまに置かれた距離に不快そうな表情もしない。

と、乗り込んだドアを閉めたタイミングで、事務職員である部下との会話を打ち切ったらしいファットガムがやっと交代に運転席に乗った。彼の巨体は先程までこの車を運転していた事務職員とは一回りも二回りも違うので、広々した運転席の座席位置やミラーの角度を彼の体格に合わせて調整していく。

「ねえ天喰先輩!」

特に意味もなくファットガムの挙動を見ていると、隣から名前を呼ばれた。ぎくっと小さく肩を震わせてから、天喰はちらりと目を向ける。少女はこれまた輝く笑顔で、一瞬で『直視できない』と判断した彼は視線をほんの少しずらして彼女の左肩あたりに漂わせた。

「な、なに」
「こないだの模試の結果、返って来たんです!」

ばっと視界に、小さな数字がびっしり並んだ用紙が広がった。
またびっくりさせられて思わず彼女の顔を見ると、相手は用紙の右側でいたずらっぽくにんまり笑った。どうやら天喰が視線を外していたのはバレていたらしく、まんまと彼女の顔に目を戻されたのだと気付いて心臓がドキリと音を立てた。

車がゆっくり発進した。天喰の心音までは聞こえるはずもない彼女は、すぐに用紙を下ろして天喰に渡す。
おずおずと受け取る天喰と、そんな二人を見かねて運転席のファットガムが声をかけてきた。

「おいこら夢子。環にちょっかいかけんなて言うとるやろが」
「ちょっかいなんてかけとらんもん」
「それから、なんで模試の結果一番に環に見せんねん。ワイのがプロやぞ、プロ!」
「天喰先輩だってもうすぐプロやん。っていうか先輩はよう勉強教えてくれるし、カテキョみたいなもんやからですぅ」
「……」

家庭教師は言い過ぎだと思う。教えてると言っても、本当に偶に、十数分程度の話なのだ。
成績表の上から順番に目を通していく。一つ前の模試の結果も見せてもらった記憶があるが、その時よりもいくらか上がっているらしい。理系科目より文系科目の方が少し上だが、全体として十分な偏差値。で、左下に3つの枠があり、隣にはAの文字が並ぶ。

「あっ……雄英A判定……」
「うっそやろ!」
「嘘ちゃいますー!ね、先輩すごいでしょ!?」

ファットガムの言葉にまず反論してから、夢子は天喰の方に身を乗り出してきた。近いっと思わず身を引くと、はっとした表情を浮かべてごめんなさいと元の位置まで戻っていく。
ただし瞳は天喰を見つめてきらきらと期待の色を見せる。その目は天喰の精神衛生にはあまり穏やかでないのだけれど、期待されている言葉はよくわかっていたので視線を外すに留めた。

「すごい、と思う」

彼女自身が発した言葉を繰り返すだけでは、まだ期待の色が消えない。天喰は内心ううっと唸りながら、言葉を続けた。

「……が、頑張ったね」

すると彼女はぱっと頬をほんのり染めて、心底嬉しそうに笑った。

「やった!先輩のおかげです、きっと!」
「それはない……俺なんか何も……」
「先輩のおかげです!絶対そう!」

きっと、が、絶対、に格上げされてしまった。
さっきも述べた通り、天喰は彼女の家庭教師ではない。ファットガムの事務所から新幹線の出る駅まで、インターンシップに来た週末はほぼ毎回車で送迎してもらっている。夢子はそこに時々乗り合わせる少女で、この時間を使って以前何度か、この問題がわからないんです、と相談を受けただけのこと。それで偏差値が上がるなら世話ないという話で。

「だって先輩に会うまでCかDまでしか上がらんかったんですよ」
「うーん……」

中学三年になって受験が迫ってくるのを身をもって感じ始めた夏休み、受験生の成績がぐんぐん伸びるというのはよくあることだ。天喰と彼女が出会ったのは三ヶ月と少し前の五月で、その頃から塾などでは本格的に受験に向けた勉強が始まって、模試に結果が現れ始めるのが七月頃で、その結果が返ってくるのが今頃で……つまり、やはりタイミングが合っただけのことだ。
天喰の中で論理的に話が繋がったので、とりあえず夢子への返事は曖昧に誤魔化すに留めた。

おそらく反論しても、絶対と言い切った言葉を撤回はしないだろう。夢子もまたヒーロー志望の学生らしく、頑固な性格をしていた。

模試の結果の話は終了して、そこからは夢子が一方的に学校での話や友達の話を楽しそうに天喰に聞かせるだけの時間が過ぎた。いつもこうである。天喰が寡黙な性格なのは夢子も重々承知していて、無駄に反応を求めることもない。

偶に『天喰先輩はいつもテレビ何見てるんですか?』とか『先輩って甘いものとか食べられます?』とか簡単な質問がされるくらい。
暇な時に偶に見るドキュメンタリー番組の名前を出すと『じゃあ私も今度見てみよ!』と返ってきて、甘いものは嫌いでもないから食べられると言うと『ほんとですか?』となぜか聞き返された。

「う、ん……」
「チョコレートも大丈夫ですか?」
「大丈夫……」

だけど、それがなんだろうか。テスト勉強とかで頭を使う時に、チョコレートが効率的な糖分補給になることは天喰も身をもって知っているが。

「ほれ環。駅着いたでー」

ファットガムの言葉で窓から外を見る。後部座席のスライドドアは運転手のキーから信号を出せば自動的に開くようになっていて、開き始めたドアに慌てて降りる準備をする。バッグを抱え、忘れ物がないことも確認。
ファットガムに送迎のお礼と、今日のインターン活動を労う言葉を告げると、おう、と一言返された。

「来週も来れるんか?」
「はい……よろしくお願いします」
「オッケー」

んじゃまた来週な!とファットガムが快活に笑う。軽く頭を下げて、ドアから降りもう一度車内を振り返る。
夢子は少し残念そうな顔をしていたが、天喰に向けていつも通りににっこり笑った。

「天喰先輩、またお喋りしましょーね!」

お喋りといったって、天喰が口を開く時間は彼女の十分の一にも満たないのに。
そこに関して不思議に思うのもいつものことで、天喰はやはり何と返すべきかわからない。結局、バッグを抱え直してほんの少し右手を上げただけだった。それをきちんと見ていた夢子は、嬉しそうに手を振り返してくれた。

天喰がスライドドアを閉めて距離をとると、車はすぐに発進した。窓の向こうでは夢子が最後までニコニコと手を振っていたので、天喰も車が二十メートル先の角を曲がって見えなくなるまで、右手は小さく挙げたままだった。



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