非合理の花束 - 蛇足



素朴な朝食の匂いではなく、けたたましいアラームで叩き起こされた。寝起きから不快感、この感覚も随分久しぶりな気がする。
身を起こしても鳴り続ける電子音がガンガン頭に響くようでイライラする。起きてるっての、うるせえな。叩きつけるようにボタンを押して音を止める。増強系個性なら一発で時計がお陀仏だ。

のそのそとリビングに出ても、当然誰もいるわけがない。温かい朝食も、眠気覚ましのコーヒーを淹れる香りもしない。その主は昨夜、顔を真っ赤にしてこの部屋を出て行った。

一応ここ一年程度で植え付けられた習慣と化していたようで、うーんと眉を寄せたまま冷蔵庫を開いてみた。
中身はほとんどあいつが買い込んで来た食料なので、何が入っているのかあまり把握できていない。しかしもちろん朝食にできそうなものもあれば、昨日の夕飯の残りもある。
しばし中を覗いていたが、結局深いため息とともに扉を閉めた。駄目だ、朝食を食べる習慣はできつつあっても、料理をするっていう習慣がない。あまりに面倒臭い。途中で栄養補給のゼリー飲料でも買っていきゃいいだろ、別に。

アラームはギリギリの時間でセットしていたので、顔洗って服着替えて、仕事の道具は昨日持ち帰ったまま持っていけばいい。
結局昨夜は持ち帰った仕事を進めることもなく寝てしまったな、という後悔が少し頭を過ぎる。仕方がない、休み時間にでもやればまだ間に合う仕事ばかりのはずだ。

コンビニで買ったゼリー飲料を飲みながら職員室に入ると、マイクの方が先に来ていた。遅かったなイレイザー!との言葉通り、いつもなら俺の方が先に到着してるっていうのに。

「おっ?つーかお前がそれ飲んでんの久々に見たぜ!何、今日彼女さんいなかったのかァ!?」
「うるせ……」

いつも通りのハイテンションな気もするが、なんだか今日はいつも以上に頭に響く。顔をしかめて呟くと、マイクはわりーな、と言いながら首をかしげた。二日酔いか?ちげーよ馬鹿。

*  *

食堂は人が多すぎて、あの列に並ぶってだけで時間の無駄に思えるのであまり利用したくない。
しかし今日は弁当もない。つーか朝コンビニ寄ったんだから、その時に買ってくりゃよかった。合理的じゃない。

生徒のひしめく中、購買で昼食を買っているところを上鳴に見られた。珍しいっすね!と言われたが、ことの事情を生徒にバレるのは面倒なので適当にかわした。

いつもは職員室の自分のデスクで弁当を食べる――そして食べながら書類に目を通すことも多い――のだが、今日は中庭かどっかに出た方がいいかもしれないと判断して足を向ける。
昨日家に持ち帰った急ぎの仕事が、午前中全然進まなかった。多分気分転換が必要なのだろう。

校舎から少し離れた場所、生徒も教師もいない花壇の近くのベンチに座り込み、三角おにぎりの包装を剥がしてかじりつく。
あー、なんか別に、うまくもねーな――もともと、味など気にするようなタチでもないんだが。とにかく午後の授業も受け持っているのだ、腹に溜まればそれでいい。

黙々と買ったものを消費して、ゴミをまとめてレジ袋の口を縛る。
さて、早く戻って、たまった仕事を進めないと――そう思いながら、なんとなくぼんやりベンチに座ったままでいた。無駄な時間だ、俺の嫌いな。

はーっとまた大きくため息をついた。今日は朝からため息が多い。半ば無理やり腰を上げてベンチを立ったところで、なぜか花壇が目に飛び込んできた。

花。そんなものを愛でるような女々しい心情は持ち合わせていない。
いろんな種類が一緒くたに植えられていて、ああ確かあれ、あいつの家の近くの公園にあるつってたな、パンジー――そこまでつらつら思い出したところで、いかんいかん、と頭を振る。そのパンジーの隣に、青紫の花がいくつか咲いていた。珍しい形、となんとなく歩み寄って、その前にしゃがみこむ。
学校の花壇って、植物の名前とかプレートが置いてるもんじゃないのか。残念ながら、その珍しい形の花の名前を示すような情報は置いてなかった。

らしくないな、花壇の前にいるなんて、こんなとこクラスのやつに見られたらなんて噂されるか――自分で自分に呆れつつ、ついスマホを取り出して、カシャリと一枚。ピントがずれた、手ブレを気にしてもう一枚、今度はうまくいった。

「相澤先生が花の写真撮ったぞ!?」
「ちょっ、上鳴声大きい!!」
「芦戸くんも大概だぞ!!」
『飯田くーん!』
「――おい」

騒がしい声が背後から。振り返って低い声で唸ると、草むらは一瞬静まり返って、やがておずおずと顔を出したのは予想した通りの教え子達である。
おそらく先導したのは上鳴、購買で会った時に何かしら勘付いたのだろう。その勘の良さは若さか。面白がってついて来た芦戸と、飯田・緑谷・麗日の三人はストッパーのつもりといったところか。全然ストップできてなかったが。

「い、いやぁ、別に悪用しようってわけじゃないんで!」
「そうそう!気にせんでくだせぇ相澤先生!」

バカ二人があからさまに焦った顔でワタワタと両手を振る。残りの三人も冷や汗をかきつつあらぬ方を見ている。
どうもこの反応、悪いことをしたという自覚はあるようだ。どうしてやろうか、別に罰掃除言いつけてやってもいいんだが――不穏な空気を感じ取ったのかさらに青ざめる五人の中で、麗日がはいはい!と右手を高く掲げた。

「そ、そのお花綺麗ですねー!なんて名前なんですか!?」

そう聞かれて、はたと思い出した。
『なんとなく』と送られてくる道端の花の写真、『菜の花綺麗です』なんていうしょうもない一言のコメント。一番最後に送られて来たのは、白い綿毛の写真に『前のたんぽぽ、綿毛になってた』なんていう小学生みたいな言葉。

「……さあな。早く教室戻れ、予鈴鳴るぞ」

そんなことを思い出したらなんだか苛立ちも収まった気がする。
ああ、良くない、実に良くない。まあ生徒達にとっては幸運だっただろう。叱ることも罰を与えることもせず、そのまま職員室に向かう俺の耳に、やべえやべえ絶対怒ると思った、と安堵を含んだ小声が聞こえてきた。

*  *

放課後に入って、授業道具の片付けやら翌日の授業の準備が終わったのは六時前。
ふと一息ついたところで、昼間の青紫の花を思い出した。それを撮った写真。自分で写真を撮るなど久しぶりのことだった。

結局急ぎの仕事もまだ終わっていないのだが、ついスマホの画面を開いた。メッセージアプリのアイコンはうんともすんとも言わない、連絡など来ない。当然の話だ。
なんとなく、画像のフォルダを開いて、一番新しい画像を表示してみた。やっぱり、珍しい形の花だ。

「うわっ……」

後ろで声がして、咄嗟に顔を向けると、なんとも言えない表情で俺を見下ろしているミッドナイトさんがいた。うわって。

「なんすか」
「……んん〜、っていうかさぁ、アンタ今日どうかしたの?」
「……何もないですよ」
「嘘ね!」

確信したように言う。女の勘ってやつだろうか。直接踏み込まれたのは彼女が初めてで、とりあえずスルーしようとしたのだがそうもいかないようだ。
というか。

「あのね、生徒にもバレてたわよ。『今日の相澤先生、なんか変だったんですけど!』って、私の授業で聞かれたわ」

ああ、確か午後の一コマ目の授業は彼女の担当だったか。昼飯直後のミッドナイトの倫理って眠気誘い過ぎだろ、と生徒の間では囁かれている。

「別に詮索するつもりはないけどねぇ。しっかりしなさいよ、らしくない」

らしくない。そう、一言で言えばそういうことなのだ。合理性に欠ける、なんとなくとか、ついとか、仕事も進まないし。馬鹿らしい、なんのつもりだろう。自分でも心底やってられない気分だ。

――原因は明らか。あまりに非合理的で、それこそ俺らしくもないが。

「……ミッドナイトさん、この花、名前わかります?」
「花?あー、これ。確かアヤメじゃないかしら」
「そうですか」

突然花の写真を見せられた彼女は一層不審げに表情を歪めたが、俺が何も言わずにスマホの画面を落としたのを見て、ひょいと肩をすくめただけだった。

「明日も続くようなら校長に言いつけてやるからね」
「大丈夫ですよ」
「どうだか」

ミッドナイトがその場を離れてから、もう一度スマホを手に取った。うんともすんとも言わないメッセージアプリを開いて、一つ起爆剤を投下する。
それから手早く机の上を片して、荷物をまとめ始めた俺にマイクは不思議そうにした。

「もう帰んのか?」
「用事ができた」
「あ、そ。んじゃまあ、頑張れや!」

何も事情は理解していないはずなのだが、マイクは最後に激励の言葉でもって俺を送り出した。


無駄なことばかりだ。今更気付くなど、合理性の欠片もない。昨日あいつに投げた言葉が、棘になって自分に返ってきた。
仕事がちゃんと進まないのも、やけにイライラしてしまうのも、花の写真なんか撮ってしまうのも。確か今日は休みだと言っていた。押しかけるのは流石にどうなんだろう。

まあ、とりあえず、行ってみよう。だいたいその決断自体が俺らしくないのだ、彼女が顔を見せるまで、無駄な時間でもなんでもいい。待ってやろうじゃないか。
どっちにしろ、駄目なんだよこれじゃあ。



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