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ガイスト・ガール - 57



一年と少し前までは、早朝に何キロも走るというのがそれだけで随分堪えたものだ。眠いし、今の時期ならまだしも初春ではまだ寒々しい。しかし今となっては朝日が差し込めば自然と目が覚めて、愛用のジャージ姿で朝の白い光の中を心地よい速度で駆けていくのも気が楽だ。

この日もいつものコースをぐるりと一周回ってきて、寮の入り口まで戻ってきた。
ふう、と一息ついて汗を拭ったところで、中から制服姿の生徒が出てきた。訓練の集合時間まではまだ一時間以上もあるのに、と少し不思議に思って、それからすぐに黒い長髪の女子生徒が誰であるか理解した。と同時に、思わず言葉が口をついた。

「え、霊現さん!?」
「ん……ああ、おはよ〜緑谷くん」

素っ頓狂な声に振り返った幽姫は、未だに目をぱちくりさせている緑谷を見てへらりと笑った。

「ど、どうしたのこんな時間に」
「ふふ〜」

尋ねるとクスクス笑い。幽姫は嬉しそうな声色で答えた。

「実はね、やっと入寮の許可おりたの!」
「ほんと!?よかったね!」

その言葉に、緑谷まで喜んでしまった。なんせクラスメイトが一人欠けているのはやはり気がかりだし、つい二日前に共用スペースで開かれていた女子会で楽しそうにしていた彼女も見かけた。
一体どういう経緯があったのかは緑谷に知る由もないが、幽姫の晴れ晴れした様子からしても喜ばしい話だ。

幽姫は緑谷にありがと〜、と返してから苦笑した。

「爆豪くんもそのくらい喜んでくれたらいいのにねぇ」
「あ、かっちゃんは知ってたんだ」

とは言ったが、緑谷が知っているより爆豪が知っている可能性の方が高いに決まっている。そうそう、と幽姫は頷いて続けた。

「なんだけど、電話で話したら『あっそ』だって。素っ気ないよね〜、爆豪くんって」
「あはは……」

十年以上の付き合いである緑谷にしてみれば、爆豪が自分ほど喜んでいるという方が気味悪いのだけれど。幽姫は言いながら、でも、と微笑んだ。

「優しいよね〜」
「ヤサッ……あ、へえ……」

ヤサシイ!?と叫びそうになったが、ギリギリ抑えた。

――だとしたら多分霊現さん相手の時ぐらいなんじゃないかな……。

そんな告げ口をしたとバレたら大変なことになりそうなので、結局顔色の悪い苦笑を浮かべるしかなかった。
楽しそうにニコニコしている幽姫は、今日はいつにも増して機嫌が良さそうだ。入寮許可のせいか、それとも他に何か良いことがあったのだろうか。

「家具とか今日の訓練中に搬入してもらうんだけど、手持ちの荷物だけ朝のうちに運んでもらったの。お父さんに車出してもらってて」
「だからこんな早くに。よかったら手伝おうか?」
「ううん、いいの。大丈夫なはず……」

言いながら幽姫は視線を緑谷の向こうにズラして、あ、と笑顔を深めた。

「ありがと〜、爆豪くん!」
「え」

その名前にギクッと肩を震わせたのは反射的にである。なんか前にもこんなことあったような、とチラリと思いながらそっと振り返ると、予想通りの表情を浮かべた幼馴染の姿が。

早朝の陽光は優しいはずが、それが照らし出す眉間の影が深すぎる。イライラと歯を食いしばっているので、怒鳴るまでにはまだ余裕がありそうだ。これは早々に退散した方が良さそう。

「お、おはようかっちゃんそれじゃ霊現さん僕部屋に戻るね!」
「うん?そう、また後で〜」
「う、うん……」

早口に幽姫にも別れを告げたが、後でなんてちょっと余計なことを言われてしまった。ひらひらと振られた彼女の右手に一度だけ手を振り返して、慌てて寮の中に駆け込んだ。
すれ違いざま、幽姫は爆豪に声をかけながら彼に駆け寄ったようだった。

「重かったでしょ」
「はあ?こんなんヨユーだっつの」

あっさり幽姫の言葉に返事をしたあたり、緑谷のことはさほど気にしなかったらしい。よかった。胸を撫で下ろしつつ、おとなしくエレベーターへ向かう。
――あ、そういえば霊現さん、かっちゃんを避けるのやめたんだ。

*  *

見覚えのある黒い乗用車だ。以前遠目に見たのと同じだし、すうっと門の前に寄って止まったから、間違いなくあれが待っていた相手。

爆豪が勝手口の門からそれに近づいたのと同時に、後部座席のドアが開いた。

「もー、ゴローちゃんったら」

そして第一声がこれだ。視線は何かを追ってすぐに爆豪の方に辿り着き、そして彼女はにっこり笑った。

「おはよ〜爆豪くん!朝からごめんねぇ」
「別に……」

頭の上にぼんやりした重さ。なんとなく久しぶりに感じた、実際久しぶりなのは確かかと思い直す。と同時に、そんなことを思っている時点でかなり毒されてしまった気がして考えるのをやめた。

運転席の扉が開いて、降りてきたのは背の高い男性。柔らかく細められた目元は、似ているような気がする。笑顔と会釈を受けて、爆豪も小さく会釈を返した。
爆豪を朝から呼び出した当の幽姫はさっさと車体の後方へ向かい、トランクを開いている。

「大した量ないんだけど、バッグ三つだから二往復かなぁ」
「……お前一個持ってけ。残り持ってやる」

あまりらしくない協力的な言葉だったからか、幽姫は意外そうに爆豪の方を見て、そう?と首を傾げた。

「じゃあ、お言葉に甘えるね」

そう言って、幽姫は一番大きいバッグを一つ持った。なんか気ィつかいやがったな、と爆豪は少し思う。そんな幽姫に声をかけたのは彼女の父親だった。

「幽姫、父さんはこのまま仕事に行くけど……勉強も大事だが、ご飯とか洗濯とか、ちゃんとやるんだぞ。風邪とか引かないように」
「はいはい」

幽姫は肩をすくめて、聞き飽きたという風に返事をする。

「暗くなったらあんまり外出するなよ、あと霊園とか危ないところには近づかないこと」
「しないったら……もう、爆豪くんの前で恥ずかしいこと言わないで」

ちらりと爆豪の方に目をやって口を尖らせる。
すると父親の方もそれはそうだと思ったのか、少し罰が悪そうに小言をやめた。

「まあ……時々連絡はしてくれ、母さんも話聞きたがるんだから」
「わかってるよ、大丈夫」
「そっか」

彼の苦笑で親子の会話は終了らしい。幽姫は送ってくれてありがと、お仕事行ってらっしゃい、と随分あっさりした言葉だけ置いて、両手で荷物を抱え門の中に入ってしまった。

必然的に、爆豪だけ幽姫の父親と二人という少々気まずい状況に残された。あの女……と爆豪は納得いかなかったが、流石のマイペースな彼女も過保護っぽい父親との会話を聞かれて気恥ずかしかったのだろう。
幽姫父が車のトランクからバッグを下ろそうとしたので、慌てて受け取った。

「ありがとう」
「……ッス」

親というものから笑って素直に感謝されるのはあまり慣れていなかった。なんせ実の母親といえば、重い荷物は『何ボーッと見てんの!さっさと運びなさい!』と当然のごとく指示してくるタイプである。つい目をそらして小さく返事をしただけになってしまったが、相手の方はあまり気にしなかったらしい。
むしろ、少し笑うような気配がした。もう一つのバッグも受け取ろうと再度見上げると、なんだか嬉しそうにしているのまでわかった。

「爆豪くん、いつもありがとね」
「は……」
「幽姫達からよく聞いてたよ。まあ、一昨日急に『爆豪くんに会いに行くから送って』なんて言われてびっくりしたけど」

幽姫『達』というのは、やはりゴローちゃんを含めてって話なんだろう。彼の視線が少しずれて、爆豪の頭の上に。

「ほんと、ゴローちゃんは君のこと大好きなんだね」

そう言って、微笑ましいというように目を細める。
どうやら、幽姫の個性は父親譲りのようだ。見えない猫を見る時の目が、これは明らかに幽姫と同じものだった。

二つ目のバッグも下ろして、残ったものがないか軽くチェックした後にトランクの扉を閉める。彼はもう一度爆豪に向き直って、にっこり笑った。

「君はきっと、いい子なんだろうなぁ」
「いや……別に……」

どちらかと言わなくても、敵役の方が似合って見えるのは自覚済みである。いい子だなんて評価はズレているとしか思えなかったが、彼――あるいは、幽姫もかもしれない。ゴローちゃんが懐いているというだけで、妙に良い方向のフィルターでもかかって見えるのだろうか。

「幽姫達のこと、よろしくね」

君みたいな子がいるなら、安心できるよ――なんて、そんな風に言われるとどうしようもない。
居心地の悪さを感じながら小さく頷くと、幽姫の父は満足げに笑った。

よく笑うところも、親譲りか――爆豪がそんな風に考えているうちに、また今度うちにもおいでね、と冗談なのか本気なのかわからない一言で別れを告げて、黒い車体はゆっくり発進して離れて行った。



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