個性が、ヒーローが、この社会が受け入れられない男の子。目つきの鋭い幼い子。大切な二人を突然奪われ、ただ二人のいなくなった世界を称えることの無責任さを恨むのは――かなしいこと、だ。それこそ無責任な物言いだけれど、今の緑谷はまだそれ以上の言葉を使えるような立場でもなかった。
まだ眠ったままの洸太をマンダレイとピクシーボブに任せた緑谷は、慌てすぎてタオル一枚で出てきてしまった浴場に戻ることにした。就寝までまだ時間もあるし、もう一度ゆっくり温泉にでも浸かろうかな――なんて思いながら一つ目の角を曲がったところで。
「お疲れさま、緑谷くん」
「わっ!?霊現さん!?」
まるで出待ちしていたかのように立っていた幽姫と鉢合わせた。
普段血色の薄い肌が淡く色づき、黒い長髪の先には水の滴が残っている、明らかに湯上がりといった風情につい緊張してしまう。それにしても、洸太を連れて出た緑谷以外はまだ入浴中のはずなのに、どうしてこんなところに彼女がいるのだ。
「ど、どうしたの?」
「洸太くん、運んでくれたって聞いて」
心配して様子を見に来た、ということだろうか。そういえば先ほどの食事中も、幽姫が洸太に声をかけているのを見かけた。ツンとそっぽを向かれて残念そうに苦笑する顔を思い出す。
「えっと……なんで、そんなに洸太くんのこと気にして……?」
「ふふ、柄じゃないでしょ〜?」
「え!?そういうつもりじゃ……!」
失礼な物言いをしてしまったかと慌てる緑谷に対し、にこにこ笑っている幽姫は軽い調子で気にしないで、と受け流した。
「緑谷くんこそ、気にしてるよね、あの子のこと」
「……まあ、うん……」
気にしているというか、元々は放っておけなかっただけ。事情を知った今は、なおさら。しかしなんと答えるべきか判断がつかず、つい曖昧に頷いて終わってしまった。幽姫はそんな緑谷をしばし見つめてから、続ける。
「私が言うことじゃないのだけど――洸太くんのこと、気にかけてあげて欲しいの」
「……え?」
思わず聞き返すと、幽姫が困ったように眉を下げた。
「実はさっきの話、立ち聞きしちゃった」
「あ……洸太くんの、ご両親のこと?」
「うん」
ピクシーボブの姿を追って部屋の前までやって来たが、彼女達の話している内容を聞いて入り辛くなってしまったらしい。ひと段落ついたところで緑谷が出てくる気配に気づき、慌てて廊下を戻ったのだと説明した。
「それで納得したの」
「何を?」
「あの子に憑いてる幽霊」
「ヒェ!」
思わず震えた喉の音に、幽姫は一瞬きょとんとした表情で目を丸くした。それからぷっと吹き出して、クスクス可笑しそうに笑いだす。
「緑谷くん、なあにその声」
「だ、だって……!憑いてるなんて言うから……!」
「大丈夫、悪い霊じゃないみたいなの」
それなら良かった――正直そんなに良くもないけど――ほっと息をつくと、霊現さんは目を細めて微笑んだ。
「ふたつ、ずっとあの子の後ろにいるの。……二年も経っているなら、もうすぐ限界なんだと思う」
二年。緑谷も彼女の導いた結論がわかって、目を見開いた。
「それって……」
「もう私にも何を思っているかわからないくらい、曖昧なの。だけどそれでもずっと一緒にいるって、とっても……強い想いなの、それは確かだよ」
幽霊の事情は緑谷にはわかりようもない。しかし彼女が言うならそうなのだろう。彼女がこうも愛おしげに寂しげに、優しく微笑んで言うのなら。
一人残した大事な息子を、今でも一番近くで見守っている。受け入れられずに一人でいる彼の隣に、ずっと彼らがいたというのか。
「洸太くんには教えてあげないの?」
「それは絶対にだめ」
緑谷が尋ねると、幽姫はすぐに答えた。
「あなたの一番欲しいものがすぐそこにあるのに、手が届かないなんて残念だね――って、言っているようなものだよ」
「……ごめん」
どこか責めるような声に聞こえて、小さく謝罪した。幽姫はそんな彼に苦笑し、こう言った。
「……だから、私に出来ることは何もないから、あなたに頼むの」
「あ――」
それが、なんだか、悲しげに聞こえて。
緑谷は大きな目を丸くして、思わず何か口をついて言いかけたのだが。
「……テメェら、んなとこで何やってんだあァ?」
低い、地を這うような怒声は、緑谷の背筋を凍らすのに抜群の効果があった。
「か、かっちゃん……っ」
「爆豪くん?そっちこそ、こんなところまで来てどうしたの?」
サァッと顔を青くする緑谷とは違い、幽姫はただ素直に疑問に思って尋ねた様子だった。全く別の態度をとりつつも揃って視線を向けられるのが不愉快だと、爆豪は眉間のしわをさらに深めた。
「うっせえな、俺がどこにいようが勝手だろうが」
「発言に矛盾を感じるけど〜」
「黙ってろや幽霊女!」
自分から問いかけてきておいて、黙ってろとは。さらに発言に矛盾を重ねた爆豪に、幽姫は肩をすくめて何も言わなかった。さすが、不機嫌な爆豪には慣れているらしい――問題はこっちの方だ、と緑谷はさらに青ざめた。
――何がまずいって、彼女と二人で話しているところを見られたのは相当まずい。
ほら見ろ、幽姫を見る時の目に対して、緑谷を親の仇かのように睨みつけるあの視線。
「じゃ、じゃあね霊現さん!僕そろそろ戻らなきゃ!」
「うん?」
慌てて会話を打ち切った緑谷に幽姫は不思議そうに首を傾げたが、特に何も言及せずに頷いた。
「そうだね、体冷えちゃうもの。引き止めちゃってごめんなさい」
体冷えちゃう――指摘されて、今までクラスメイトの女子の前でタオル一枚というあられもない格好を晒していたことをようやく思い出した。
「ああ――!ご、ごめんね、なんかこっちこそ!ごめん!」
「う、うん?」
気づくと途端に羞恥がピークに達し、真っ赤な顔をしてあわあわと両手をばたつかせる緑谷。むしろ幽姫も困惑気味に目をパチパチさせていた。
いろんな意味でもう一秒もこの場にいたくない、と緑谷はバタバタと擬音が聞こえそうな慌ただしい動きで幽姫に背を向け、睨んでくる爆豪のすぐ横をすり抜けて行った。爆豪の殺気立った空気感には、体より先に心臓が冷え切ってしまいそうなほどの威圧感があった。
「クソナードが……!調子乗ってんじゃねえぞ!」
「爆豪くん、部屋に戻らないの?」
「戻るに決まってんだろクソが!つかテメエはさっさと髪乾かせや!」
「あ、忘れてた〜」
「このっ……電波女ァ!」
後ろから聞こえる痴話喧嘩からして、爆豪はもう緑谷のことより幽姫の方に関心が移ったらしい。
かっちゃんが意外と男の子としては単純でよかった――と、緑谷は密かに思った。
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