それは朝練後の部室で起こった。
その日は榊の気まぐれとキリの良さからたまたま練習が早くに切り上げられた。当然時間に余裕が出来たので、部員はいつも以上にゆっくりと着替えていた。勿論世間話も盛り上がる。その為部室のドアを叩いたノック音に気付いたのは近くにいた日吉であった。ノックの主は中からの了承の返事も聞かず、ドアを開けた。
「失礼します。樺地くんいますか」
そこには女子生徒が立っていた。
瞬間、部室に緊張感と殺気が走った。テニス部レギュラーは言わずもがなイケメン揃いだ。女に対して色々と恐ろしい思いをしている。私物が無くなるなど当たり前、盗撮、ファンレター、エトセトラ…。顔が良いのも考え物である。部室は部外者は基本立入禁止の為、女生徒を注意しようと顔を見た日吉は口を開いた。
「なんだ名字か。ドアを開ける前に返事を待て」
「ごめん。樺地くんいる?」
「ウス…ここ…です」
「失礼します。おはよう樺地くん」
「おはよう…ございます…」
「先生がね、急ぎの用事だから職員室来てくれだって」
「ウス…」
日吉は女生徒を注意せず普通に会話をし、彼女は部室に入り樺地の目の前まで行くと用件を伝えた。女生徒が誰か分かった途端部室の空気は幾許か緩み、数名が「名字か…」と着替えを再開させた。彼女はレギュラー数名と顔見知りであったようで、樺地に用件を伝えると、日吉に向き直った。
「日吉筋肉ついたね。そういやこないだ渡した奴どう?」
「ああ、中々役立ってるぞ」
ふーん、と女生徒改め名前は次に鳳の方へ歩きだした。樺地はその間に跡部に一言伝え職員室へ向かい、去り際名前にお礼を言う為にしゃがんだ彼は紳士の肩書を名乗っても良いのではなかろうか。
「鳳おはよう。渡した奴どう?」
「うん! 完成度高くてびっくりしたよ。ありがとう!」
「ほつれたりしたら直すから」
タメ口であることから、二年生である事は窺えるが、会話の端々にある渡した奴とはなんだろうかと名前を知らない者達が思いはじめた頃、氷帝の黄金ダブルスである忍足と向日が名前に話し掛けた。
「おはようさん。こないだはありがとな」
「はよ! 俺もありがとな! マジ嬉しくてジローに自慢しちゃったぜ」
「おはようございます。ご利用ありがとうございました。その後不備とかはありませんか?」
「全然無いで。プロもびっくりの職人技や」
「お褒めにあずかり光栄です」
なんとダブルスとも知り合いであった。さてここで会話が分からないのは跡部と宍戸、滝である。また彼女は部外者であるから跡部は部長としてこれ以上部室にいさせたくはなかった。会話が分からない苛立ちと疎外感もあっただろう。
「おい、お前は誰だ。その前に部外者は立入禁止だ」
「それはすみませんでした」
間髪入れずに素直に謝った名前に跡部は軽く面食らった。
「誰だ、と言う事に関してわたしはただの一生徒です。部外者立入禁止に関しては樺地くんに用件を伝えた時点で出るべきでした。すみません」
「この子は俺らのファンやあらへん。むしろ俺らが彼女のファンや。な、岳人」
「そうだぜ、クソクソ跡部! 名字はファンじゃない!」
女子には手厳しいと有名の忍足と向日が名前を庇った事に対して跡部は驚愕した。
顔には「ファンだと…。こんな平凡な顔の奴の…?!」とでも言いたげな表情が浮かんでいた。失礼な奴である。
それと違い、滝は彼女を見て何かを考え込んでいたようだが手を叩くと口を開いた。
「君、噂のなんでも屋さん?」
「知ってましたか。なんでもと言うのは誤解ですね。限界がありますから」
名前はやんわりと謙遜し、滝は正体が分かったからかにこにこ笑いながら彼女の手を握った。
「僕も頼んで良いかな」
「ご利用ありがとうございます。詳しい事は後日で良いですか? 連絡します」
「構わないよ。嬉しいな」
さて、ここで彼女を知らないのは跡部と宍戸のみになった。だが宍戸は鳳から聞いたのか、顔を心なしかキラキラさせている。すると、いきなり名前の前に行くと手をとった。
「あの縫いぐるみはお前だったのか! すげーな!」
「純情で有名な貴方がわたしの手を握るのも凄いですよ」
「……っ、わりぃ」
些か失礼ではないかと誤解されそうなコメントを返し、宍戸が顔を朱く染めるのを横目で見て、手を離されたのを確認すると、部室の外へ歩こうと歩みはじめた。が、跡部によってそれは出来なかった。
「……手を離して下さい。跡部会長。わたし貴方嫌いなんです」
「なんでも屋ってなんだ?」
「無視ですか。まあそうですね、手を離してもらえたら話します」
「離したら逃げるだろ。アーン?」
まさに一触即発。二人の間に火花が散っているかのような幻が見える。睨み合いが何時間と続いたかの様な空間で先に折れたのは名前だった。
「なんでも屋と言うのは、生徒達の噂です。手芸からガンプラまでプロも顔負けにこなし、頼めばやってくれる、という体の良い雑用係の事です。まあ、多少の過大評価は否めませんが」
「それがお前だって言うのか?」
「まあ」
「因みにあいつらは何を頼んだ」
「黙秘します」
ちら、と主に日吉の方を向きながら答える。跡部は部員に言え、部長命令だとアイコンタクトをしている。まさかの職権乱用に言葉が出ない。と、日吉が観念したかのように話した。
「俺はサンドバックを作ってもらったんです」
「え、そうなの」
驚いたのは名前であった。日吉に渡したのはただのクッションである。それも跡部の顔が印刷された。一瞬にして用途を理解した名前は顔を青くしながらさっと日吉から目を逸らした。
「俺は某エロゲの特製フィギュアを頼んだで。販売されてもおかしない出来やった」
「俺はガンプラだな。中々作る機会無くてな」
「俺は宍戸さんに贈る物をちょっと」
忍足、向日、鳳と順々に答え、鳳のみが答えを濁したが、後ろで宍戸が無言のプレッシャーを掛けていたため詳しいことを聞くことが出来なかった。言ってしまえば犬の縫いぐるみを誕生日に贈ったのだが、中学生男子のプライドが許さないのだろう。
「というわけですので、離して下さい」
名前はさっさと跡部から離れたいのか顔から嫌悪を滲ませている。
「何故俺様をそんな毛嫌いする」
「黙秘します」
「なら離さねぇ」
「離して下さい俺様会長」
「理由を言え」
「嫌です」
ぎぎぎ、と効果音が付きそうな程口を噛み締める名前に、理由を知っている日吉は肩に手を置いた。
「言えば良いだろう」
「嫌だ」
「言え」
「む……」
名前は数秒悩むと突然跡部を背負い投げし、吹き飛ばした。跡部は突然の事に対応出来ず部室奥のソファに叩き付けられ、窓から当たる仄かな太陽に照らされた。呆然とする部員と跡部を前に名前は仁王立ちし跡部を指さし言った。
「樺地くんがいつも貴方の側にいることが気に食わない。昼休みもいない、放課後も部活、話せる時間は授業合間の十分のみ。あんたのどこが良いのか分からない。いつも樺地くんの側にいられるあんたが羨ましい」
そこで息を吸うと、吐き捨てるように言った。
「わたしはお前が嫌いだ」
静まりかえる部室で始めに口を開いたのは忍足だった。
「え、どういう事なん?」
「そのままですよ」
名前は何食わぬ顔でさらっと爆弾を落とした。
「わたしは樺地くんが好きなんですよ。好きな相手と四六時中いられる奴を嫌って何が悪い」
ふん、と鼻を鳴らし名前は混乱している部室を去った。
彼女は大変な爆弾を落として行きました
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