60 |
気まずい。というか、居たたまれない。サッチさんたちから、少し離れた石段の上。いや、わたしのせいだけど。ごめんなさい。あの、本当に。何にも言われないのが余計に怖い。 「あの、イゾウさん、ごめんなさい」 「何が?」 「…その、上司って答えて?」 「あれはおれも傷ついた」 「ごめんなさい…次は、その、ちゃんと言いますから…」 「何て?」 「…か、彼氏って?」 「旦那」 …旦那?いや、は?旦那って、…んん?聞き間違えた? 「…結婚しましたっけ」 「イズルの人生くれるんだろ?」 「えっ、ええ…?あれってそういう感じですか…?」 「貰ったもんは返さねェよ」 髪を梳く手が優しい。あの、本当にイゾウさんじゃ嫌とか、そんなことは全然ないんですよ。ないんですけど。 「…イズルが、船を下りたいなんて言い出したら、どうしようかと思ってた」 「はい?」 「国に似た場所で、国のやつらがいて、それなりに愛着はあったんだろ?」 はあ。まあ、そうか。そうなんだろうな。うん。それなりに愛着はあったかもしれない。帰される可能性を感じるくらいには。 「下りたいって言ったら、どうしたんですか?」 「さァな。どうしてもって言うんなら、諦めたかもしれねェな」 「イゾウさんが?」 「何が幸せか、決めんのはイズルだろ?」 …うん。何が幸せか。どうしたいのか。どこにいたいのか。偶々あの船に繋がって、マルコさんに誘拐されて。確かに、ちゃんと言ったことなかったな。ちゃんと自分で選んでること。 「わたしは、どうしてもあの船がいいんです。いつか下りなくちゃいけないなら、死体になった後がいい」 「…イズル?」 「わたしの幸せは、ちゃんとモビーにありますよ」 笛のような音に次いで、大輪の花が咲いた。楽しかった。桜も花火も。思い出すのも、目にするのも避けたかった景色が、今ではこんなにきれいだ。故郷なんて恋しくない。わたしは、此方に来られて良かった。例えどんなに薄情と言われても。 「イズル」 「はい?」 一瞬。本当に一瞬、唇に触れた感触。いや、あの、だって、そんないきなりする? 「…予告とかないんですか」 「予告?」 「だって、…よくわかんなかった」 甘ったるい発言に自分で眉を寄せた。何だそれ。もう一回して欲しいみたいな。 「随分可愛らしいおねだりだな?」 「うるさい」 笑わないでよ。自分でわかってるから。恥ずかしいなんてもんじゃない。 「キスするから目ェ閉じな」 触れてただけの指先が絡んだ。予告されたらされたで恥ずかしい。世の恋人は一体どうしてんのさ。よくもまあ、こんな、そんな簡単に。 目をぎゅ、と瞑れば、頬を撫でる指がこそばい。さっきよりゆっくり、強く押し当てられた唇と、食むような動きにくらくらする。 「…イゾウさん」 「ん?」 「一緒にいてくれて、ありがとうございます」 「…あんまり可愛いこと言うんじゃねェよ」 イゾウさんのお陰で楽しいことも、嬉しいこともいっぱいある。その根っこがわたしへの好意だって、いつかそれが失くなってしまったって、やっぱりわたしは、イゾウさんが一緒にいてくれて良かった。 *** 「よォ、うちから引き抜こうなんて、いい度胸してるな?」 「命があって良かったね?次はないと思うけど」 「…本当に海賊なんだ?」 「白ひげって名前くらい聞いたことあるだろ」 「さァ?おれは此方の人間じゃないしね」 「なら、よく覚えとくんだな。うちは家族に手ェ出すやつに容赦しねェぞ」 |
prev / next 戻る |