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わたしの想定が甘かったのは認める。認めるけど。

「そんな素振りなかったじゃないですか」
「そんな素振り見せたら逃げるだろ」

…まあ。たぶん逃げる。たぶんというか絶対逃げる。今から手を出しますなんて言われて、はい、そうですかとはならない。

「お前なァ、惚れた女と二人きりで、何も考えないとでも思ってたのか?」

そんなこと、言われたって。だって。髪を滑り落ちた手が頬を撫でる。だって、何をそんなに。何で。

「あの、なんでわたしなんですか。他に美人さんいっぱいいるのに。そりゃ外見が全てじゃないけど」
「可愛いって言ってんだろ。怒るぞ」
「もう怒ってるじゃないですか…」

やめてよ。別に可愛くなんかない。造形は、醜いとは言わないけどまあ普通。気が強くて我が儘。自分勝手で口も悪い。短所はつらつら出てくるな。悲しくなってくるぞ。サイズか?身長も肉付きも此方じゃ全体的にミニチュアだが?

「よく聞けよ」
「えっ、はい」

逸れた視線に従って、傾いていた顔が正面を向かされた。両手で頬っぺを包まれて、額がくっつきそうなくらい、イゾウさんの目がよく見える。睫毛が長い。

「笑った顔も、泣いてんのも、手も声も髪も、向こう見ずなところも思い切りの良さも、簡単に根を上げない負けん気もちゃんと自分にプライド持ってるところも妙なところで自信がねェのも甘えんのが下手くそなところも、全部可愛くって仕方ねェんだよ」
「…あ、悪趣味?」
「言いたいことはそれだけか?」
「ごっ、ごめんなさいごめんなさい!聞いた!ちゃんと聞きました!」
「復唱できるか」
「…わ、笑った顔?」
「一番最初じゃねェか。全部可愛いっつったんだよ、全部」

なん、だっ、そん、そんなこと言われたって!わたしだって自分に良いところがあるのくらい知ってる!短所と長所は表裏一体、考えようだってのもわかってる!それでもわたしは、

「わたしは、そんなに好かれるほどの人間じゃない!」
「おれもイズルが思ってるような人間じゃねェからな」

頬の高い位置に、柔らかい感触がした。大きな体が被さってきて、頬と頬が擦れる。

「そんなにわかんねェって言うならなら、わかるまでしてやるよ」

そう、耳元で話されて、ぞわりとした。ちゅ、と音がして、何度も何度も、ゆっくり少しずつ下がっていって、首筋に息がかかる。やめてこそばい。

「ぃ、イゾウさっ…イゾウさんごめんなさい。まっ…ちゃんとがんばるから、待って!」
「へェ?何を?」

いつの間に下ろされた手が、羽織の上から背中を這い上がった。やだ。やめて。それなんか、力抜けるの嫌だ。心臓がどろどろになってる気がする。

「イゾウさん、むり。ほんとに、それ、それやだ…っ」
「あんまり煽んな」

鎖骨の端に唇が触れて、離れた。すとん、と体が落ちる。掴まれたままの手が、やけに扇情的で。いや、立てる。立てるけど、椅子どこ行った。いつ倒れた。

「…殺す気ですか」
「荒療治の方がいいかと思ってな」

そんな治療があって堪るか。見下ろすイゾウさんは爛々と、目を細くして笑っている。今度は猫に甚振られる鼠か。蜥蜴になっても逃げられない気がする。

「なァ、イズル。おれに甘やかされんのは、心地好いだろ?」

そう自信満々に宣う様に、返す言葉もなく頷いた。頭を撫でられるのも、酒を注がれるのも、髪を切ってもらうのも。況してや抱き締められてなんて。いつから、こんなことになってる。

「おれはもっと甘やかしてやりてェんだけどな」
「…そんな、されたら、ぐずぐずになる」
「おれはぐずぐずにしてェんだよ」

何言ってんだ、この人。そんなになったら。それは好きとか嫌いとかじゃなくて依存だ。そんな、そんなの嫌だ。ふるふる、と首を振れば、イゾウさんは一層笑みを深くする。いつだったか、誰だったか、諦めろって言われたのを思い出した。

「どうしたら伝わるんだろうな?」
「…何がですか」
「おれがどのくらいイズルを好いてんのか」

しゃがみ込んだイゾウさんが、またひとつ頬に唇を寄せる。擽ったくて、妙に嬉しくて。わたしなりにわかってるのに。まだわかれってどういうことよ。もう秤でも持ってくるしかないんじゃないの。



***

「イズル本当に大丈夫ですかね?」
「さァ?もう食っちまったかもな」
「サッチ隊長…」
「ゾノだって見てりゃわかんだろ?あれはもう、どうしようもねェよ」
「…まァ、言って聞くような人じゃありませんけど」
「あいつにしちゃァ、相当我慢した方だろ」
「短気ですもんね」
「そもそも、おれたち海賊に我慢強いやつなんかいねェんだけどな」




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