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暖簾をくぐれば、温度が下がった。火照った体には気持ちいい。素晴らしきかな浴衣。逃げるみたいに出てきちゃったけど、逆上せかけてたのは嘘じゃない。ゆっくりしてってくれ。そしてそのまま忘れてくれ。

「髪。ちゃんと乾かせ」

湯殿から出た所の椅子に座ってたら、声をかけられた。誰だ。いや、見覚えなくはないし、わたしの知らない人がいるわけないんだけど。でも。

「…イゾウさん?」
「あ?」

えっ、あっ、違った?合ってるよね?紅は引いてないし、髪形も違うけど。

「お前、おれを何で判断してんだよ」
「いや、いつもの恰好しか見たことがなかったので」

美人さんだとは思ってたけど、こうしてみると男前さんなのね。羨ましい限りだわ。半分寄越せ。できれば美人の方が欲しい。

「髪」
「え?ああ、一応滴が落ちないくらいには拭いたんですけどね」
「まだ濡れてんだろ」
「…まあ、濡れてはいますけど」

いつも姉さんがやってくれるから。甘えすぎって?うるさい。わかってる。やってくれるんだもん。別にできないわけじゃないけど、自分でやるほど愛着ないんだもの。

…と、言いたいのは山々だけれども。イゾウさんの視線がうるさいから、仕方なしに自分で髪を拭う。面倒くさい。短くなったとは言え、乾くまで拭く根気も気力もない。外に出たら風で乾くかな。怒られそうだけど。

「貸しな」
「はい?わっ、」

片手の上で遊んでいた手拭いが頭に被さってきた。拭いてくれるんですか。ありがとうございます。何か機嫌悪いですね。

「櫛は?」
「…たぶんエルミーさんが持ってます」

うわあ、何かえらい身形のなってない人みたいになった。違う。だってやってもらえるの嬉しいんだもの。籠を漁れるほどは図太くないし。自分の櫛買えよって話なんだけどさ。手櫛は通したからいいかなって。

「おれのでいいか?」
「持ってるんですか?」
「一応な」

…イゾウさんが持っててわたしが持ってないのはまずくないか?それは、一応、女として。どっかで買おう。…あ。

「イゾウさんて何か欲しいものとかあります?」
「…急にどうした?」
「いっつもお世話になってるから。姉さんたちにも何か買いたいなあと思って」
「イズル」
「はい?」

頭拭くのって、癖というか、個性出るね。姉さんたちは勿論上手だし、イゾウさんのも心地好い。…エースさんには、あんまりお願いしたくないなあ。

「イゾウさん?何ですか?」

名前を呼ばれたのに続きがない。何かあった?あんまり高いものとか買えないんだけど。

「…自分で聞いたんだろ」
「何をですか?」
「欲しいもんねェかって」
「あ、はい。何かあります?」
「だからイズル」
「…は?」
「イズルが欲しいって言ってんだよ」

…え、あの、…は?いや、そういう話じゃ、待って待って待って。待って?頭を拭く手が止まったから、振り返ってみた。何その顔。何でそんな、顰めっ面してんの。



***

「おれ、そろそろ限界なんだが…」
「水風呂行ってこい」
「イゾウ隊長と上がれば良かった…」
「これいつまで耐えりゃいいんだ…?」
「イズとイゾウのお話に割り込めるんならどうぞ?」
「無理っす!」
「ふふ、わたしたちはそろそろ上がりましょうか」
「えっ、ちょっ、駄目です!イゾウ隊長の邪魔しないでください!」
「あら、意外と慕われてるのね」
「イゾウ隊長の機嫌を損ねたら!おれたちが死んじまう!」
「…違ったみたいよ?」
「イゾウらしいわ」




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