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体を起こして、きちんと座って、イゾウさんに向き直って、いざ喋ろうとしたら喉がからからに渇いていた。引き攣った声は見事に引っくり返って、挙げ句に噎せて中断した。そんな締まらない話があるか。いや、酒飲んでそのまま寝入ったのわたしなんだけど。

「ふ…っ、悪ィが水はねェなァ」
「…ぅ、いや、だいじょーぶ、です」

気を付ければ。ひび割れた声は多少聞き苦しいけれども大目に見てもらおう。つ、と視線を落として、ついさっきまで転がっていた場所を見た。今考えることじゃないのは承知の上で、脚は痺れなかったんだろうか。人間の頭って結構重いと思うんだけど。

「あ、えっと、膝枕、ありがとうございました」
「何でもねェよ」
「…あの、勝手にお酒飲んでごめんなさい」
「いいさ。イズルが美味いって飲んでくれんならな」
「あぅ…いや、美味しかったです」
「自棄酒だったけどな」

ああ、塩を掛けられる蛞蝓の気持ちがわかった。きゅう、と縮こまって、そのまま溶けて失くなりたい。もう二度としない。わたしに略奪は向いてない。いや、余所の人ならどうともないけど。

「…あの、ですね」
「ん」

俯いて、背骨を丸めて、堪えられずに顔を両手で覆った。いざ、薄情するとなると、非常に羞恥が湧く。湧いて沸いて湯立っている。何でこんな。本当にしょーもない。でも本気で、切実に悩んでいたのだから救いもない。

「い、イゾウさんて、美人じゃないですか」
「は?」
「イゾウさんて、美人さんなんですよ」
「…まァ、それなりに恵まれちゃいるが」
「は?」

羞恥も忘れて顔を上げた。今、聞き捨てならない言葉を聞いた。

それなりに?恵まれ?それなりに?まさか美醜がわからないとは言うまい。道を歩けば客寄せパンダ。女に困ったことはないって聞いてるし、目の前で散々言い寄られてるのも見てる。がたいがいいから女の人には見えないけれども、女装でもすれば道行く男性だって振り返る。と思う。見たことないけど確信がある。
それを?言うに事欠いて?それなり?もしかしてわたしは喧嘩を売られたと?それとも今のは幻聴だった?

「イゾウさんは美人さんなんですよ」
「…さっきも聞いた」
「もっかい言いますね。イゾウさんは結構な美人さんなんですよ」
「…言う程でもねェだろ」

あー!あーもう、これだから!これだから天から二物も三物も与えられた人は!高身長、高学歴、高収入。いや、学歴は知らんけども頭はいい。その上美人でイケメンで?強くて優しくて包容力もあって?気配りもできれば立ち回りも口も上手い。ずるい。今ぱっと思い付いただけで幾つあった?三物どころじゃないな?
信じられないものを見た思いでいたら、イゾウさんが居心地悪そうに身動いだ。珍しい。つまり、本当に自覚がないらしい。

「…いっそ自覚があって武器にして振り回すくらいの方が余っ程健全」
「何言ってんのかは分からねェが、その話はもういい」

呆れたように溜め息を吐いたイゾウさんが、憂い混じりの顔を上げた。ゆるり、と伸びてきた手に合わせて体を引く。と、一瞬で頤を掴まれた。容赦がない。そう言えば、蛇の瞬間攻撃時速は百キロ近いらしい。

「で?おれが美人だから何だって?」
「…ちかい」
「武器にして振り回す方が健全なんだろ?」

文字通り、目と鼻の先。唇が触れる程じゃなく、視界いっぱいにイゾウさんが映る距離。切れ長の目を薄く研いで、どっちが眺めてるのか分からない。

「い、ぞうさんが、美人さんだから」
「だから?」
「…めかし込んで、隣に立つの、気が引けるんですよ」

ぐずぐずと呟いた言葉は、視線と一緒に床に染みて影に溶けた。たったそれだけ。所詮そんなもん。でも、飲み干すには硬くて苦い。苦かったんだってば。やり過ぎたな、とか。ちゃんとちょっと待ってって言えば良かったな、とか。反省はあるけど、でもその前に周りが盛り上がっちゃって。置いてけぼりで。それこそ、まだ腹一つ括れてなかったのに。
頤を掴んでいた手が離れて、そろり、と視線を戻した。目が合うなり、今度は頭を。勢いよく、大きな手が二つ、わたしの頬を潰さんと挟んでいる。

何が怖いって、怒ってないのが一番怖い。いっそ笑ってくれたら只の怖いで済んだのに。ついさっき、起き抜けに見た顔に似ていて、でもちょっとだけ眦に力が入っていた。



***

「何やってんすか?」
「しーっ、黙ってろ!今一世一代の喧嘩中なんだよ!」
「お前ェがうるせェ!」
「何だよ、一世一代の喧嘩って!」
「当事者のイズルがごねちゃってるからねー。上手く言いくるめてもらわないと」
「…それハルタ隊長たちの所為じゃ、」
「何」
「何でもありません」




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