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お代わりがあると言っても、大きな鍋で炊いたわけじゃない。目一杯使って二、三人分くらいの小柄な鍋。何でそんな小さいのがあるのかは兎も角、それを二つ。それぞれ七分目くらいでご飯と味噌汁を作った。余ったら自分で食べようと思って。余ったら。

「ご馳走さん」
「…まさか、食べきるとは、思ってなかったんですけど」
「あ?」
「いや、まあ、体格的には…?でもエースさんはもっと食べるんですっけ」

あれはあれで体の造りが違うんじゃないかと思うけど。いっぱい食べるなあ。これで普通に陸暮らしだったら食費で破産しそう。…いや、わたしが作るとかどうとかじゃなく。じゃなく!

「イズル」
「はい?あ、お皿下げてきます」
「後でいい」
「良くないですよ。お茶碗はうるかしておかないと洗うの大変なんですよ」
「…っふ、くく」

…あ?何だ。笑う要素あったか。震えながら伏せた額を手の甲で支えて、今度は溜め息を吐いた。何ぞや。いや、呆れられた感じではなかったけれども。

厨房では既に昼の支度が始まるところだった。揃いも揃って、薄らそっぽを向いて。動きだけは正確に素早く。でも声をかけたら呻き声しか返ってこない。あー、とか。う、とか。すん、はなかった。何であんたらが顔を赤くしてる。わたしなんか一周回って何ともないぞ。

「あ、ルーカ。これ、後で洗うんでもいい?」
「…いーけど。イゾウに自分で洗わせたら?」
「まあ、言ったらしれっとやるかもしれないけど」

想像できないなあ。できるんだろうか。力加減間違えて割りそうな気もしないでないけど。

「…いいよー、置いといて。おれが後で纏めて洗っとくからさー」
「いいの?わたし洗うよ?」
「いいよ、大丈夫。洗うとこまでイズルがやったら喜びそうだもん」
「誰が?」
「イゾウが」

…はあ。そう、さいですか。いや、わたしがイゾウさんにしてあげられることなんか殆どない。つまり、イゾウさんがわたしにしてもらってくれることもない。から、そういう、何か?たぶん何か。物珍しさ?いやよくわかんないけど。わかんないけど喜んでくれるなら何でも良いよ。

「おかえり」
「ただいま?」

ふわっふわのにっこにこ。大変ご機嫌。満足気。伸びてきた指が髪先をくるん、と弄って落ちた。仰向いた手のひらが某かを催促しているようで、取り敢えず手を置いた。両の手の指先を乗っけてみた。

「イズル」
「はい」
「…」
「…何ですか?」
「いつが良い?」
「何がですか?」

しき、と。一言だけ返ってきた。指先から手繰って左の指の付け根を撫でる。左の。薬指の付け根を。撫でる。しき。指揮。四季。嘘です。わかるわかってる。式。たぶん、これは、あれの、あの、その式。式典。あ、無理。首熱い。

「…あ、いや、あの、イゾウさん」
「ん?」
「あぇ…っ、い、イゾウさん」
「うん」
「イゾウさん!」
「…っ、どうした?」

あ、今笑うのを堪えた。わたしが真剣に困ってるというのに随分な仕打ちだ。酷く眩しい、沈みかけの夕陽でも眺めるかのような目で、何かを噛み締めるように笑んでいる。

言いたいことが、あったかと言われたらそうでもない。そうでもないけれども、何か抗議しなければと。そうでもしないと、だって。

「飯、美味かった」
「さいですか」
「そういうことだろ?」
「…さ、そ、そういうことかもしれませんけどそれとこれとは別ですし態々そんなする理由もないですしいや別に嫌とかそういうんじゃないですけどそもそもわたしはどちらかと言ったらあんまりやりたくないと言うか目立つのも見せびらかすのも好きじゃないですしそりゃきれいだなとは思いましたけどいざ自分を当事者にされると違うと言うか姉さんのとかなら張り切って準備でも何でもしますけど何でわたしなんかの」
「イズル」
「…あい」

自分でも驚く程の早口だった。口ってこんなに回るのかと思った。何を言ったかはもう忘れたけれども、一瞬笑みが消えたところを見ると何か失言をした気がしないでもない。ゆっくり指先が持ち上がって唇が触れた。気障。それをやってのける精神に引く。引くけれども効果は覿面だ。ぶっ飛ばすぞこの野郎。

「おれが見たい」
「…い、」
「なァ、そういうことだろ?」
「…っど、どう、いう、何が、ですか」
「結婚したい。イズルと。口約束じゃねェ。きっちり式挙げて、オヤジに誓い立てて、他の奴らに祝わせたい」

火照りすぎたのか、段々視界が滲んできた。じん、と痺れた指先をイゾウさんが握り直す。こんな時ばっかり。こんな時ばっかり、真面目な顔しちゃって。


***


「うおっ、誰…マルコ隊長?どしたんすか突然」
「いっつもノックしろって怒るの隊長ですよ」
「…航路」
「航路?予定よりは遅れてますけど…でもそろそろ気候海域に、」
「変更だよい」
「はっ?」
「そこには寄らねェ。もう三日か五日行けばでかい島があるだろい」
「えっ、ええ?でもあそこは海軍の補給地でもあるからって言ったのマルコ隊長っすよ!?」
「妹の晴れ舞台だ。気張れよい」
「晴れっ?…ちょっ、あんた、にやにやしてないで説明してくださいよ!」




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