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ナゼ。なぜ。何故。

「何で!」
「わりゃァ知らんのー」
「あら、随分と饒舌だったけど」
「記憶になーいのー」

この、…このっ、この爺よくも。よくもよくもよくも。よくも。

時刻は真夜中、月が天辺を過ぎる頃。もしかしてわたしは無欲なんだろうか。でも、一緒にいて欲しいというのはわりと盛大な我儘では?そうやって半端な将来展望にうにゃうにゃしながら寝返りを打った頃。

半分不機嫌な顔で部屋に帰ってきたイゾウさんは、寝っ転がったわたしの傍に座るなりこう言った。

「…悪い」

するり、と頬を撫でられて、やたらと沈んだ眼差しで。それだけで察しがつくのも期待していたようで不愉快だ。忌々しい。この不快感をどんな言葉で表そう。自分の心臓の皮を引っ掻き尽くしたい気分。

察しがつくなり飛び起きて、部屋を飛び出して医務室に乗り込んだ。リリーさんはきっと言わない。リリーさんが言わないなら戦犯は一人しかいない。真っ赤な顔しよって。この医者を守秘義務って言葉で鑢ってやりたい。

「…リタさんも聞いたの」
「そうね…誘拐された時に打たれた鎮静剤のトラウマで注射がとっても苦手になったってことくらいかしら?」
「…忘れて」
「じゃあ、聞かなかったことにするわね」

眉を微かに寄せながら、リタさんは小首を傾げた。普段ならその仕草に見蕩れているところだけども、それよりも。この酒瓶抱えてぽやぽやしている爺さんを。どうしてくれよう。

「本気じゃなかろう」
「…は?」
「本気で隠したいんなら、あん時イゾウを呼ばんかったろう」
「…あれは、」
「まァ、わりゃがイゾウに敵うと思っとったんなら熟々の未熟ものじゃがのー」
「このやぶ医者!」
「ほっほっほっほっ、」

何がつぼに入ったのか、仰向いて笑い出した。笑いに合わせて赤い液体がちゃぷちゃぷ揺れている。いつまで笑ってんだこの野郎。飲み干してやろうか。そんなつもりで傍に居てもらったわけじゃない。そんなつもりでは、なかったけど。

わかってる。イゾウさんなら気づくかもしれないと、わかってた事をわかってる。そんで、これは八つ当たりだともわかってる。ぐずぐずに煮溶けた玉ねぎのようだ。地に伏して猛省したい。

あの、マチと助け出されたあの日。船に帰るなり医務室に押し込まれたあの時。採血をしたいって言われて、念の為にって、はーいって返事をしたのに、信頼も信用もちゃんとあったのに、状況も環境も違うとわかってたのに。

わたしはぼろぼろ泣き出した。そうしてつい、口を滑らせた。

きっと平気だった。今回は。今回も。倒れるような身体的不調はきっとなかった。それなのに傍にいてってしたのはわたしの甘えで。知らないままでいて欲しいけど、気づいて寄り添って欲しかったなんて。随分と舐めた話だ。甘ったるくて食えたもんじゃない。

「後遺症はねェんだな?」
「身体面に限ればのー」
「だから何ともないってば」

遅れてやって来たイゾウさんが開けっ放しだった扉を閉めた。頭に乗った手は撫でるでもなく掴むでもなく、そのままそこに鎮座する。

「…イズル」
「聞きたくないです」
「イズル、悪かった」
「…何が」
「無理矢理聞き出して悪かった」

…それなら、まあ。受け取れないこともない。まるでわたしの許容範囲を計ったような回答だ。拗ねたい。

横目に隣を見やれば、何でもなさそうな顔をしていた。何でもなさそうなふりをしていた。…んだろうか。たぶん。どうだろう。

「大丈夫です」

…って言ったのに。イゾウさんはわたしの頭を抱えて抱き締めた。甘やかすな馬鹿。



***

「リリー」
「あら、何か怒ってる顔ね?」
「怒ってはないけど、黙ってたわね?」
「イズが黙っててって言うんだもの」
「そんなことだろうとはわかるけど」
「先生もよく喋ったわね?口は固いと思ってたけど」
「イゾウがお酒持ってきたのよ。どこで手に入れたのか知らないけど、先生も知らない赤ワインですって。結構美味しかったわよ」
「…よくもまあ、そこまでするわね」
「それは同意」




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