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妙に居づらい空気の中、イゾウさんの視線が反れた。そうしてぴりっと背中が痺れて、振り返ったらいた。幸せの欠片もない、さっきの二人とは正反対の白。

「…何してるんですかね」
「我々がどこで何をしていようと、貴様らにとやかく言われる筋合いはない!」

わたしの問いにすかさず噛みついた海兵に、空気は鈍くひりついた。お互い滑稽なことだろう。片手にイカ飯、片手に、…何だかわからないけれどもたぶん何か食べ物。わたしは唐揚げ。イゾウさんはルーカ。は、いつの間にか離してるけど。そもそもルーカは食べないけど。

「非番だ。交戦する意思はない」

それは、…まあ、交戦しようもなかろう。ダンデさんが挙げたのと反対の手にはべっこう飴が握られている。どこで買ったんだろう。わたしも食べたい。

「非番ねェ」
「事実だ。何より、あのような目出度い日に泥を塗る気はない」
「あァ、不愉快だが賛成だな」

不敵に笑みを浮かべながら、イゾウさんがわたしを抱き込んだ。マスターも奥さんもきょとんとして、少し不安げに伺っている。多少の荒事には耐性がついていたとして、でも本気で殺伐とされたら堪らないだろう。わたしだって嫌だ。

「それで、何か用ですか」
「ああ、…いや、用と言う程ではないんだが、」
「用がねェなら邪魔すんな」
「きっ、…この、」
「ニコラシカ」
「かい…っ、…失礼しました」

ダンデさんの一声に、海兵は辛うじて口を噤んだ。ニコラシカさんて言うのね。非番なのに従順なのね。

「今回、君に危害を加える気はなかった」
「あァ?」
「はい?」
「が、こちらの都合で随分迷惑をかけた」
「余計な手間も掛かったがな!」

…はあ。別に首突っ込んだのはわたしだからいいっちゃいいんだけど。何…?どうしたのこの人。非番て言っても、そんな接触していいの?隣で番犬が吠えてるけど。

「前回に加えて、君には借りができた」
「そうなんですか?」
「そうらしいな?」
「…何か、力になれればと思ったんだが」
「じゃあ、とっとと帰って島の治安維持に邁進してください」
「貴様!ダンデ中将に対して口の、」
「ニコラシカ、声を落とせ」

言うより速く、ダンデさんはニコラシカさんの頭を押さえて周囲に視線を走らせた。幸い、ニコラシカさんの声も二人の姿も喧騒と雑踏に紛れて沈んだ。わたしに感謝する前に、その辺の酔っぱらいに感謝した方が良いと思う。お仲間がどうしてるかなんて知らないけど。

「…ならば、次に君が、イズルくんが寄港した時は目を瞑ろう」

眉を寄せながら下げるという何とも器用な顔をして、ダンデさん、ダンデ中将はそう言った。海軍中将が、海賊を見逃すと言った。数度、瞼の上げ下げを繰り返してから我に帰る。わたしが、寄港した時。たぶんそれは、マチに会いに行った時。

「わたしだけ?」
「…生憎だが、他の船員や、況して顔が売れているような輩を見逃すつもりはない。君なら、…君一人ぐらいなら、気づかなかったふりができるという話だ」
「随分と安い借りだな」
「これが最大限の譲歩だ」

それだけ言って、目礼をして、ダンデさんは背を向けた。ちゃんと、唐揚げを片手に。正義と書かれた羽織も、ここではあんまり意味がない。時折外人さんが興奮してるから全くないわけでもなさそうだけど。

「海軍まで手懐けるとはな」
「他に何か手懐けましたっけ」
「おれがいんだろ?」

…わあ、とんだ狂犬。どちらかって言うと手懐けられた気がしないでもないんだけど。たぶん相当奇妙な顔をしていたらしい。喉で笑う声が降ってきた。



***

「…よろしいのですか」
「よろしくはないな」
「…!もしや、気を抜いてやって来たところを捕獲という、」
「そんなことをしてみろ、島が沈むぞ。…しかし」
「…しかし?」
「あれは祝うべきか…?だが、いや、…何でもない。冷める前に食べよう。なかなか美味いぞ」




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