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目の前に祠があった。鳥の巣箱と見間違いそうな。それを祠だと思ったのは、小さな扉がついていたから。開けないけど。こんな枝の細い上に、よくもまあ設置したもんだ。きっとこれが本殿なんだろう。 視線を巡らせば眼下に神社が、そこから参道、ごったな町並、船は隠して停めたから見えない。けれども足元の方からは賑々しい声が聞こえている。賑々しいと言うにはかなり殺伐としているが。ちょっと下りるの嫌。だって約束破っちゃった。わたしは破らない努力してたんだけど。 「イズル?」 ああ、気づいた。気づかれた。ばれた。こんな喧騒の中でも笑っちゃうくらいはっきり届いた。わたしの名前はいつもその声で再生されている。 腹を括って、否、居ても立ってもいられなくなって、一足飛ばしに枝を降りる。これでまた滑ったら笑えないけど、今度は受け止めてくれるひとがいる。たぶん、いっぱい。 「…何で登ってきてるんですか」 「待ってられるわけねェだろ」 いや、待っててよ。落ちたら受け止めてよ。大樹の中腹で、数段下にイゾウさんがいて、ついそんな言葉が口をついた。浪漫も何もあったもんじゃない。ロミオとジュリエットにはなれない。なりたくない。 不安定な足場をものともせず、下りるのも煩わしくてそのまま飛び降りた。偶には、こんな時くらいは。締め上げるような腕に、また痕がつくんじゃないかと思いながら。万事塞翁が馬。まさか縛られたことが効を奏するなんて思わない。 「イズル」 「イゾウさんのいない所には行かないって言ったじゃないですか」 「一瞬行ったじゃねェか」 「わたしの意思じゃありません」 そんで、帰ってきたのはわたしの意思だ。誰にも、何にも負けない。まだ強く抱き締められて、呟くように名前が呼ばれた。…待って待って。もしかして。 「イゾウさん泣いてます?」 「泣いてねェ」 あ、そう。じゃあ、そういうことにしておこう。背中を二回叩いたら、また腕が絞まった。勘弁して。骨が砕けてしまう。 「イゾウさん、」 「二度と部屋から出さねェ」 「…じゃあ、ただいまのちゅうは要りません?」 「……要る」 そんな葛藤するほど。そんなに大事にされて、嬉しいけど。言うと思ったけど。嬉しいけど部屋からは出して欲しい。 漸く緩んだ腕に抱えられながら顔を上げた。泣いてないなんてよく言えたな。頬っぺがぺたぺたじゃないか。 「泣きました?」 「泣いてねェ」 「よく言う」 「イズル」 催促されて頬に一つ。不満そうな唇にもう一つ。段々我に帰ってきた。嬉しい。恥ずかしい。もう一回とでも言いたげに近づいてきた顔を押さえてそっぽを向く。勢いって怖い。 「…」 「いや、そろそろ下に降りた方がいいんじゃないかと」 「…」 「ぁ、足場も悪いですし?」 「…」 「あとほら、あんまり心配かけるのも…っ、」 痛。いや、そんなに痛くはなかったけど。びっくりして手を退けた。退けてしまった。だってまさか、噛むとは思わなかった。 「ん…っ、ふ、いぞう、さ、」 「ん」 くぐもった返事を聞きながら、何度も噛みついてくる熱を甘受する。やばい。何がとは言わないけどやばい。溶けそう。わたしが。段々と、もう、息も続かない。 「…、…イゾウさん」 「ん?」 多少なりとも満足気な顔をして、漸く離れたイゾウさんが首を傾げた。まさか泣いてたなんて、今更言っても誰も信じそうにない。 「…ただいま」 「おかえり」 そう言って、もう一回だけ口づけた。 *** 「ちょっ、イゾウ隊長!どこ行くんすか!」 「任せた」 「任せたってそんな、…聞いちゃいねェ」 「やっぱ発信器か何か取っ付けてるよな」 「野暮なこと言うもんじゃねェだろ。こいつどうする?」 「任せたっつっても、勝手にすると怒るしなァ」 |
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