190


「だっ、だから、そんな詳しいことは知らねェんだよ!便利なもんがあるっつーから買っただけで!」
「それさっきも聞きました。具体的な成分は何か、或いは対処方はって聞いてるんですよ。よくそんなわけのわからないもの使う気になりましたね馬鹿じゃないの?」
「ひっ、」

縛り上げた男の前に仁王立ちしていた。縛ってくれたゾノさんは何とも言えない顔で剣を構えている。ついさっきまで伸びていたのを、揺すって叩いて無理矢理叩き起こした。目の前に鋒を突きつけて三回目の問答だ。思った以上に収穫がない。

「おい、この写真はどうした?」
「おっ、覚えてねェ!そいつを生け捕りにしたら金払うってやつがいるって、おれはそれ以上…ぎゃあっ」
「…イズル」
「手が滑っちゃいました」
「うわあ、イズさんちょー怒ってます?」
「…そうだな」

瞼からの出血が眼球に溜まって溢れていく。そうなんですよ。わたし怒ってるんですよ。襲撃の時機も、あの爆薬も、一人で逃がされたことも。その上写真が出回ってる。らしい。ふざけるな。誰が勝手に撮っていいと言った。

「…あ?」
「あ、イズさん、正気に戻りました?」
「ずっと正気ですけど…ミシャナさん?が、何で…?」
「もう、ミシャナでいいですってば!実はイゾウ隊長を回収したいんですけど誰も手が出せなくて…リリーさんにイズさん呼んできてって言われたんですけど、お忙しいですか?」
「いえ、お忙しくないです」

リリーさんの呼び出しならそっちの方が大事。イゾウさんが?何て?今の今まで突きつけていた刃物を納めて、柄で思い切りこめかみを打った。白眼を剥いた後、かくん、と項垂れて静かになる。
振り返ったら既にミシャナ…さんの姿はなかった。代わりに鳩が一羽、ゾノさんの肩に乗っている。…もしかして?

「はーい、それじゃあ最短距離でご案内しますね!」
「…能力者だったんですか」
「はい!マルコ隊長みたいな特殊な力はありませんけど、空を飛べるってだけでも結構重宝されるんです!」

ぱっ、と翼を広げた鳩、ミシャナさんは真っ直ぐ通りを飛んでいく。後を追いかけて見覚えのある道を戻って、既に見知った顔の人集りになっていた。

「リリーさん!」
「イズ…って、あなた!怪我したの!?」
「え?あ、違う。これわたしのじゃないから」
「もーめっちゃ怖かったですよー!声かけられなかったですもん」
「…後で詳しく聞かせてもらうわよ」
「ん…あの、イゾウさんが何かって」
「ああ、そうだったわね。もう、本当に馬鹿なんだから」

呆れたため息を吐いて、リリーさんがわたしの手を引く。きゅ、と握り返したら、もっと握り返される。安心する。何だろう。

「…おー、イズ…?って、お前!何してんの!?」

通りに力尽きたように座っているその人がサッチさんだとは思わずびっくりした。だって髪も崩れて、いつものリーゼントじゃない。そっちの方がいいと思う。ぼろぼろだけど。

「おい、ゾノ!」
「おれは止めました」
「わたしのじゃないから大丈夫です」
「そういう問題じゃねェの!うわ、イゾウにばれたらどーしよ…」
「あの、そのイゾウさんは…?」
「あー、おれの後ろ。今寝てると思うけど、一応無事だぞ」
「ただの麻酔よ。すぐ頭に血が上るんだから」

そう言われて回って見れば、サッチさんの背中を背凭れにするイゾウさんがいた。片膝を立てて、項垂れてるせいで顔が見えない。ちょこちょこ切り傷はあるみたいだけど、頬に触ってみたら温かかった。生きてる。ちゃんと生きてる。

「イズル…?」
「…起きてたんですか」
「いや、今何となくだな」

頬に触れた手に擦り寄るように顔を動かす。目は閉じたまま、頬に涙の跡がある。

「無事か?」
「…イゾウさんに心配される謂れはないくらいには」
「ならいい」
「いや、良くないですけど」

ぷつっときた。頭にきた。きっと今どこかの血管が切れた。この野郎。何がならいい、だ。良くない。何にも良くない。

「助けてもらった分際でこんなことを言うのはどうかと思いますけど、わたしが無事なら万事解決みたいなのやめてください。全然良くない」

昔、自分がされて嬉しいことをしてあげなさい、と習った。あれは嘘だ。自分がされて嬉しいことが相手の嬉しいこととは限らない。
今回に至っては、わたしが同じことしたらイゾウさんは怒る。絶対、烈火の如く激怒する。何で自分がされて嫌なことをわたしにするんだ。確かに足手まといにしかならないけど。良かったなんて言われたくない。

「体は無傷でも、結果こんなことになるならわたしの精神ずたぼろですよ。何でそれでいいんですか。酷くないですか」
「おい、イズ、」
「わたしを助けてくれるんならちゃんと無事でいてください。じゃなきゃもう助けられてあげない」

言ってから、助けられてあげないなんて何様のつもりだと自己嫌悪した。でも、こんなになるなら助けてほしくなんかない。うんとかすんとか、言い返すとかなんとかしなさいよ。今なら喧嘩上等ですけど。

「…イズ、悪ィんだけど、イゾウ落ちてる」
「は?」

おちてる。落ちてる。いつから。どこから。もしかして今わたしが言ったこと何にも聞いてなかったり。

「あー…その、目ェ覚ましたらもっかい言ってやってくんね…?」
「海水ください」
「は?え?お前何する気?」
「ベイさん式です。わたしが稽古中に気絶すると、海水かけて叩き起こされるんです。大丈夫です死にません」
「凄まじいことしてんな…」

怒った。わたしの身勝手で、八つ当たりかもしれないけど。怒った。暫く口聞いてやらない。



***

「あーあ、イズルのこと怒らせちゃったんだ?」
「あら、怒らせたことあるの?」
「ないよ?ないけど、イズルってば優しいからさ。優しい人は怒ると怖いって言うでしょ?」
「ついでにおれの分も叱ってくんねェかな…」
「え、何、サッチ叱られたいの?おれが叱ってあげようか?」
「違ェよ!おれの怪我!十割イゾウの所為だぞ!」
「それを言ったらイゾウの怪我だって九割サッチじゃん」




prev / next

戻る