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日差しは少し強いけど、涼しい風が吹いている。目の前にある青々とした島には、人っ子一人いないらしい。いない予定らしい。無人島なんて初めて。楽しい。

「あんまり遠くに行くんじゃねェぞー」
「はあい」

言うてもわたしは留守番なんだが。初日はね。大丈夫そうだったら明日連れてってくれるって。大丈夫じゃない事態って何だろうね。

森の端に寄れば見たことのない植物が、岩場に行けば知らない魚が、波打ち際を歩けば不思議な貝がある。ふふ、留守番も楽しい。

「あ、」

懐かしいものを見つけて、顔を上げて、少し恥ずかしくなった。イゾウさんは森の中に行ったからいない。一人で良かった。誰も見てない。筈。

そっちにも、こっちにも、と拾い集めてるうちに、気づけば船が小さくなっている。戻ろう。流石にちょっとはトラウマになってる。その背後から、不意に影が差した。振り返れば、…何これ。身の丈わたしの十倍はありそうな、…かに。蟹?
ざく、と砂を踏んだ音がした。何か、近づかなかったか、こいつ。ざく、とまた音がした。いや、気のせいじゃねえわ。何で近づいてくんの。わたし正面にいるんだけど。

「…っ、」

咄嗟にしゃがみ込んだのが、吉か凶かは知らない。すれっすれのところに鋏が埋まっていた。鋏。蟹の鋏。わたしの頭くらい、簡単に切り落とせそうな、大きな鋏。
這うようにして、足間接の隙間を潜った。図体がでかいと隙間もでかい。けど、こっちに逃げていくと船から遠くなる。かといって、前に逃げたら追ってきそうだ。絶対足速い。わたしよりも絶対速い。

「い、イゾウさん」

呼んでみた。こんなことで呼んで、怒るだろうか。でもちょっと、どうにもなる気がしない。ざくざく、と砂を踏む音が続く。この蟹回ってる。方向転換してる。わたしが後ろにいることに気がついてる。

「イゾウさん!」

砂を蹴った。船から離れるとかそれ以前に。この蟹から離れなきゃまずい。絶対やばい。何で食べようとするの。人肉って美味しくないんじゃないの。

足が砂に取られて、普通に走るより何倍もしんどい。振り返りたいけど、振り返る余裕がない。これならゼイフラさんとの鬼ごっこの方がまし。あの人小回り利かないから。

「イズル!」

進行方向と反対にかかった力に、足が滑った。滑ったか縺れたかして、転んだ。転びかけた。

「どこまで走ってくつもりだよ」
「…イゾウさ…、いや…、だって、」
「落ち着いてからでいい」

座り込んで振り返れば、何十mか向こうに動かなくなった蟹と、兄さんたちが見える。いつだ。銃声も何にも聞こえなかった。

「…、すぐ後ろにいると、思ってたんですよ」
「だろうな」

笑わないでよ。必死だったんだよ。手にちくちく刺さる感触に、手を開く。そりゃそうだ。力加減しながら走るなんて芸当はできない。

「何か拾ったのか?」
「拾ったんですけど、割れちゃいましたね」

三角形になった破片を手から払い落とす。いいんだ。また拾うから。

「…、何ですか?」
「いや?何でもねェよ」

何だ。何かあったか。頭撫でてくれるのはいつも通りだけどさ。そんな褒められるようなこともしてないのに。変なタイミングだ。

「あれ、どうするんですか?」
「どうにかすりゃ、食えんだろ」
「船まで運ぶんですか?」
「あいつらがな」

ですよね。あなたはそんな感じよね。イゾウさんの手を借りて立ち上がる。明日筋肉痛だわ。既にちょっと痛い。



***

「イゾウ隊長はイズに発信器でもつけてんのか?」
「はあ?」
「何であの距離で気づくんだよ」
「野暮なこと言うなって」
「いや、だってよ、追い回されてんのがおれらだったら十中八九放置だぜ」
「おれらとイズが一緒になるわけねェだろ」
「特別がどうの以前に、逃げ切ることすらできねェぞ」




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