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空の端が橙に染まっていた。遮るものが何もなくて、隔てる空気すらないような、鮮やかな朝焼け。きれいだ。頑張って起きててよかった。

「日の出か」
「…、あっちはいいんですか?」
「問題ねェよ」

船首の、鯨の頭の上。いつもは兄さんたちがいたりする場所に一人。今は隣にイゾウさんもいるけど。

「星がきれいだったから、日の出も見てみたいなあ、と思って」
「星?」
「わたしがいた所は夜も明るかったから、殆ど見えなくて。建物も背が高かったから、地平線とかも見えなかったし」
「…あんまり想像つかねェな」
「此方じゃあんまりなさそうですねえ」

それが悪いなんてことはないし、その恩恵も受けてきた。けど。だだっ広くて、何にもない。わたしは此方の方が好き。

傾けた体が、イゾウさんにぶつかって止まった。何となくそういう気分。そして、ちょっと眠たい。

「イズル?」
「ふふ、贅沢だなあ、と思って。海も空も、全部独り占めしてるみたい」

あの、桜を見た時とちょっと似てる。泣いたりしないけど。きれい。すごくきれい。

「…酔ってんのか?」
「酔ってた方がいいですか?」
「酔ってない方が嬉しいね」

頬をなぞった指に顔を上げた。この人は、時々こういう目をする。溶けそうな、はちみつみたいな、どろりとした目。

「…酔ってます?」
「んなわけねェだろ」

近づいた顔に目を閉じれば、ちゅ、と軽く触れて離れた。目を開ければすぐそこに、長い睫毛と黒い瞳がある。きれいな目。夜みたい。

「どっちがいい?」
「何がですか」
「キスするか、やめるか」

…鬼。したいかしたくないかで言ったら、そりゃあしたい。とてもとても、すごくとても苦手だけど。苦手と好き嫌いは別らしい。イゾウさんに触れられるのは、すごく心地好いと思う。

「…もっかい」
「ふ、欲がねェな」

同じように触れて、離れて。強く押しつけられてくらり、とする。

「…おれは一回じゃ足りねェよ」

背中に回った手に頭を抱えられて、噛みつくみたいな唇が重なる。何となく、愛されてると思う。いっぱいいっぱいのコップに、まだ水を注がれてるみたい。



***

「まさかこんなに嵌まるとは思ってなかったんだよね」
「あ?」
「イゾウがさ。ここまでベタ惚れになるとは思ってなかったんだよね。好きそうだなー、とは思ってたけど」
「…まァ、色恋は理屈じゃねェんだろい」
「あんな顔されちゃァ、手放せねェよなァ」




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