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ヘルプ。そう、わたしは今助けを求めている。甲板に出るなり抱きつこうとしてきたこの図体のでかいおっさんをどうにかしてほしい。涙と鼻水でぐしゃぐしゃじゃんか。絶対もう飲んでるでしょ。イゾウさん、盾にしてごめん。

「わるっ、おれが…本当にすばねェっ」
「あ、はい。大丈夫なんで離れてもらっていいですか」
「何だよォ!冷てェじゃねェか!」
「そんな泣きじゃくられても…どうしてほしいんですか」

滝のような、本当に滝のような涙を流している。あの、すごいね?そんな素直に泣けるって。ちょっと引いた。わたしはできないし、したくない。

「どうしてほしいわけじゃねェけどよ…っ本当に、本当に無事で…うぅ…っ」
「今回に関してはわたしにも落ち度はありますし、別にラクヨウさんが悪いわけじゃないですよ」
「お前本当に優しいなァ…っ」
「おい、それ以上近づくんじゃねェ」
「あァ!?何でイゾウが間にいんだよ!邪魔だろ!」
「生憎、誰彼構わず気安く触らせてやる趣味はねェからなァ?」
「ちょっとくらいいいだろ!大体、」

わたしそっちのけで言い合いを始めた二人を置いて、人でいっぱいの甲板を早足で歩く。道々、酌をせびる声やら、勝手に名前を呼んで勝手に乾杯をする兄やら。この船は賑やかだ。酌は後でね。後で、まだ起きてたらね。

「父さん!」
「心配させやがって、この馬鹿娘がァ」
「ごめんなさい」
「無事で何よりだ」

相変わらずの眼差しに、安心感が募る。イゾウさんとはちょっと違う、大丈夫の感じ。良かった。帰ってこられて。本当に。

「イズさん、いたい?」
「んーん、痛くない。嬉しかっただけ」

目元を拭っていたら、腰に抱きついたマチが眉を下げた。頭を撫でれば、頬が緩む。ちゃんと、自分でお願いしなくちゃね。

「あの、父さん」
「あァ、マルコから聞いてる。そのチビを故郷まで送り届けたいって?」
「うん。でも、わたしじゃできない、から。場所とか、いざって時に守るとか…こう、自分の身も疎かなのに、あの、大変恐縮とは存じますが、」
「ふふ、イズはお願いするのが下手ね」
「そこは送り届けたいから何とかして、でいいのよ」
「…だって」
「グララララ、娘の我儘くらい幾らでも叶えてやらァ」
「…、ありがと」
「お前ェら!話はわかったなァ?イズルに手ェ貸してやれ!」

野郎の低くてやたらと大きな声に、マチがびくっとした。うん。わたしもする。怖いよね、これ。しゃがんでぎゅ、と抱き締めれば、しがみつくみたいにわたしを掴む。大丈夫。ちゃんと、無事に帰す。

「お前ェ、名前は?」
「…ま、マチ」
「マチ、安心しな。ちゃんと親んとこに送り届けてやる」
「…あっ、ありがとございます!」
「イズー!酌してくれー!」
「おれもー!」
「マチちゃん、酌してくれー!」

何度目か知らない乾杯の喧騒の中、…誰だ今マチに酌させようとしたの。妙なことさせんな、ロリコン。

「しゃくして…?」
「お酒飲むようになってからね」
「ん」

エルミーさんからグラスを受け取って、父さんと姉さんと、マチと、小さく乾杯をする。

「お腹空いた」
「そりゃそうよ。朝からずっと、イゾウの部屋から出てこないんだもの」
「一体何してたのかしら?」
「…寝てただけなんだけど」
「でしょうね。知ってたわ」
「流石にちょっと気の毒」
「そんなこと言われたって…」

マチを膝の上に乗せて、器を貰う。ご飯美味しい。何だっけ。ご飯の味って、一緒に食べる人で変わるらしい。同じ料理でも、好きな人と食べたら美味しいし、好きじゃない人とならそうでもない。もう、絶対。モビーのご飯が一番。

「イズさん、イゾウさんにおこられた?」
「…ちょっとだけ」
「嘘。いっぱい怒られたわよねえ?」
「じゃなきゃ、わたしたちが納得いかないわ」

…本当に、ちょっとだけだもの。姉さんたちにまで怒られたら嫌だから言わないけど。



***

「面白ェなァ…イズがお姉ちゃんしてらァ」
「何か、ガキがガキの面倒見てるみたいじゃねェか?」
「いや、ああ見えて結構しっかり、…してるか?」
「仕事はきっちりこなすな」
「喋り方はお前よりしっかりしてるぞ」
「うるせェ!」
「只、中身がなァ…」
「こう、ぽやんとしてるっつーか、すげェ心配になるんだよなァ…」




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