アイナナ | ナノ
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策略的ディスタンス



 いくら芸能事務所で働いていたとしても、所属タレントと至近距離で顔を合わせることはまずない。そう、例えるならカメラでアップで抜かれている時のような、そんな近さで顔を合わせることなんて。

「……あ、あの、百さん?」
「ん? 何?」
「何って……ち、近いです! 近すぎます!」
「そりゃあね、近付いてるんだから近いに決まってるよね」

 逃げようにも後ろは壁で、わたしの背中は彼の腕によって縫い付けられるようにぴったりとそれにくっついている。顔の横には百さんの両手が、少し空いている足の間には百さんの足が滑り込んでいて、それらを動かそうにもびくともしない。わたしを逃がす気はないのだと、強い意志を感じた。
 これが所謂壁ドンかぁ、このアングルで百さんを撮影したらファンが喜ぶ一枚になりそうだなぁなどと思ってしまったけれど、今はそんなことを考えている場合ではない。この状況を誰かに見られでもしたら非常にまずいからだ。
 幸いにも既に終業時間を過ぎているので、このフロアには百さんとわたし以外誰もいない。けれど他のフロアには誰かが残っている可能性だってあるし、警備員さんが見回りに来てしまうかもしれない。誰もいないからといって安心はできないのだ。

「誰か来て見られでもしたら大変ですし、早く離れてください……!」
「それなら心配いらないよ。ここは死角になってるから、このフロアをちょっと覗きに来たくらいじゃ見えないんだ」
「へぇ、そうなんですね……って、なんでこのフロアの死角なんて把握してるんですか!? 役作りの為か何かです!?」
「いやいや、事務所のフロアの死角を把握するってどんな役作りなの!? あ、でもスパイの役とかならやるかもだけど、違うからね!?」

 どうして彼がこのフロアの死角を把握しているのかは、この際置いておくとして。問題は、今をときめくアイドルである百さんに何故壁ドンをされているかだ。
 正直、心当たりがないと言えば嘘になる。違っていてほしいと思うけれど、それ以外に思い当たることがないのだから、たぶんおそらくそうなのだろう。
 思わず小さく溜め息を吐いた。わたしの中ではもう、終わったことだったから。否、終わりだと思い込もうとしていたからだ。

「……先日の件、ですか」
「うん。あの時は冗談だと思われちゃったけど、オレは本気だから。それだけは君にわかってほしくて」

 本気だという彼には申し訳ないけれど、あの日の告白は冗談であってほしかったと思ってしまった。百さんは冗談で告白する人ではないと思っているので、冗談ですよねと流しつつも、きっと本気なんだろうなとわかってはいたのだけど。それでも、心のどこかでは思っていたのだ。冗談であってほしい、あれは冗談だったと言ってほしいと。そうでなければ、頑張って隠して消そうとしているこの気持ちに気付かれてしまうから。わたしだって百さんのことが好きで、本当は告白されて嬉しかったってバレてしまう。そんなのダメなのに。
 彼は、アイドルだ。テレビやラジオに雑誌などなど、見ない日はないと言っても過言ではない。そんなアイドルに恋人なんて、マスコミにとっては格好の餌となる、危険すぎるリスクを負わせるなんて無理だ。弊社所属の大切な商品でもあり、宝物のような存在である百さんに、そんなことできるわけがなかった。だから告白に喜ぶ感情を必死に隠して、冗談ですよねって頑張って流したのに。どうして彼はまた、わたしに近付いて来たのだろう。

「でも、みょうじちゃんはわかってたよね。オレの告白が冗談なんかじゃなくて、本気だってこと」
「そ、れは……」
「なんで冗談だって流されたのかは、わざわざ説明されなくてもわかってる。危惧してくれたんでしょ? マスコミに嗅ぎつけられるかもしれないって」

 その通りだったので、こくりと頷いた。
 あの日も、告白された時も事務所内だったから、簡単には外に漏れないだろうと思っていた。だけど情報はいつ、どこから漏れるかわからない。あの時も今と同じようにわたし達以外は誰もいない状況だったけれど、誰かに見られていて、その誰かが「百が女に言い寄っていた」と情報を漏らす可能性だってある。それは杞憂だったようで、現在も百さんのそういった報道はされていないけれど。
 でも、次も報道されないとは限らない。だからわたしは壁ドンをされて追い詰められたとしても、百さんの告白に応じるわけにはいかない。自分の気持ちを伝えるわけにはいかないんだ。

「正直に言うと、君が危惧してること、心配していることを全部綺麗に取り除いてあげることはできない。こればっかりは、オレがアイドルでいる限り無理だと思う」
「……はい、わかってます」
「でもね、減らすことならできるんだよ」
「減らす……?」

 そうと頷いた百さんは、正直に社長と岡崎さん、そして千さんに自分の気持ちを打ち明けたらしい。その上で、自分も出来る限り隠し通すつもりだから、隠す為に協力をお願いしたそうだ。

「三人ともなかなかに手強かったけど、最後には本気だってわかってくれた。だからもう、あとはみょうじちゃんの気持ち次第」

 社長に、岡崎さんに、千さん。許さないだろうな、許すわけがないだろうなと思っていた三人が、まさかの百さん側だった。千さんと岡崎さんはなんというか、わからなくはないのだけど。まさか社長も説得を受け入れてしまうなんて思ってもみなかった。一体彼はどんな手を使い、どんな言葉を発して頷かせたのだろうか。
 そしてはたと気付く。最大の難関であり最後の砦である三人が攻略済みだということは、外堀を埋められているようなものなのではないかと。どうやらわたしは、知らないうちに囲い込まれていたのかもしれない。

「ねぇ、教えて? 君の気持ち。オレのこと、どう思ってるのか」

 そこまで動いていたのなら、百さんはおそらくわたしの気持ちになんて気付いているのだろう。わたしが隠すのが下手なのか、それとも彼が鋭いのか。なんとなくだけど、たぶん後者な気がする。

「…………すき、です」

 伝えるつもりなんてなかった、消してしまうはずだった恋心。言葉にして伝えたら、百さんは「やっと言ってくれたね」と笑った。わたしが大好きな、あの笑顔で。



『Words Palette hug!』より
20.無駄な抵抗は終了(囲い込まれる、溜め息、びくとも)


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