期待しそうになったことは何度もある。だけどその度に勘違いしてはいけない、期待してはいけないと自分に言い聞かせていた。彼は優しい人だから、わたしに向けているのと同じくらいの優しさを、他の人にも向けているかもしれない。そう考えると怖くて、今まで必死に言い聞かせてきたのに。
「俯いちゃダメだよ。ちゃんと顔を見せて?」
「あ、あの」
「ん?」
「ち、近くない……?」
離れようにも背中はぴったりと壁に押し付けられ、前からは諸伏くんがじりじりと距離を詰めてくるので逃げられない。むしろ、逃がさないという意思さえも感じる。
「そりゃあ近付いてますから」
「離れてもらうことって……」
「ごめん、それはちょっと無理かな」
「え、なんで!?」
どうしてこんなことになっているのか考えようにも、好きな人との距離が近すぎるせいか上手く頭が働かない。ドクドクと脈打つ鼓動は速くて、顔も熱くて、とてもじゃないけれど何も考えられそうになかった。
「あ、頬が赤くなってる。でも、これだけ近ければさすがに意識してもらえるか」
わたしはそんな状態だというのに、目の前にいる諸伏くんは冷静に見える。こんなに動揺しているのも、内心ちょっと嬉しいなんて思っているのもわたしだけ。そう思うと、今にも爆発してしまうんじゃないかというくらい熱かったのに、その熱が少しずつ引いていくのがわかった。
「……諸伏くん、離れてもらっていいかな」
「だから、それはちょっと……」
「いいから、離れて」
照れてしまわないように冷静であれと自分に言い聞かせながら、真っ直ぐ彼に視線を向けた。すると何かを悟ったのか、諸伏くんはすんなりと離れてくれた。さっきまで、わたしが何を言っても離れようとはしなかったのに。
「……あのね、こういうのはよくないと思うの」
「こういうのって?」
「さっきみたいに、急に距離を詰めて来たりとか。あんなことされたら誰だって勘違いするよ」
「……誰だって、か」
じゃあ君も勘違いをするのかと、続けられた言葉に目を見開く。へ、と思わず間の抜けた声が漏れてしまった。
「…………するよ」
思ったよりも小さな声になってしまった返事は、果たして彼に聞こえていたのだろうか。
一度は落ち着きを取り戻しつつあった鼓動が、また速くなっていくのを感じる。今度こそ勘違いしてしまいそうだった。
「結構分かりやすくアプローチしてるつもりだったんだけど、みょうじさんは全然気付いてなさそうだったし。鈍いなぁって思ってたよ」
「それは、その……」
「早くオレのこと好きになってくれたらいいのに、とも思ってたけどね」
でも、勘違いするってことは、そういうことだよな。
いつの間に距離を詰めていたのか、柔らかい低音が耳をくすぐった。
「みょうじさんが好きだよ」
「……わたしも、好き。諸伏くんが好きです」
ふわりと微笑んだ彼の手がこちらへ伸びてきて、ぎゅうっと強く抱き締められる。そして抱き締められたことにより初めてわかった。諸伏くんの心臓の音も、わたしと同じくらい速くなっていたことに。
『Words Palette Select me.』より
18.絆されてよ(好きになって、小さな声、顔を見せて)