相手が相手なだけに取り繕う必要はないかと、遠慮なく注文したジョッキを手に持って口をつける。冷えたビールが喉を伝って胃に流れ込むのを感じながら、ドンと音を立てて中身の減ったジョッキをテーブルに置いた。
「お前、今日はやけに荒れてんな。あれか、彼氏と喧嘩でもしたか?」
「……別に荒れてないし、喧嘩もしてない。強いて言うなら、その彼氏と別れたってだけ」
「はぁ? 別れた?」
マジかという顔をする松田くんをよそに、枝豆が盛られているお皿に手を伸ばし、いい塩梅に茹でられているそれを口の中へ放り込む。もぐもぐと咀嚼して再びビールを流し込むと、少しだけ気分が晴れたような気がした。
「付き合ってたら誘うわけないでしょ。男友達をサシ飲みに」
「あー……それもそうだけどよ」
いくら相手がただの友達だったとしても、恋人がいるなら異性と二人になる状況は避けていた。変に誤解されるのも嫌だし、何よりわたしも恋人が異性の友達と二人きりで居たら嫌だなと思うので、自分がされたら嫌なことはしないに限る。これに関してはそれもそうだと同意した松田くんも同じ考えだろう。なんだかんだ彼と付き合いやすいのは、そのあたりの価値観が似ているからかもしれない。
「で?」
「何が?」
「聞いてやるから吐き出しちまえよ。その為に俺を呼んだんだろ?」
ただ気楽に話せる友達とお酒飲んで、お互いの近況とかどうでもいいことなんかを話したりできれば、それだけでいいや。そう思っていたのに、深い海のような色彩の瞳にはお見通しだったらしい。
じわじわとアルコールが回ってきているのか、わたしの口からはいとも簡単に感情が溢れた。燻っていた気持ちが言葉という目に見えない形になって、少しずつ昇華されていく。そこまで引き摺っていないと思っていたけれど、ちょっとは傷付いていたんだなとどこかで冷静な自分が思う。それもそうか。好きじゃなかったらそもそも付き合っていないのだから。
「ったく、最初から素直に頼りゃいいのに」
「聞いてて楽しい話でもないし、申し訳ないなって思って」
「今更んなことで遠慮すんな」
彼の腕がこちらに伸びてきたと思ったら、額に痛みが走った。おそらく加減はしてくれたと思うのだけど、それでも松田くんにされたデコピンは痛かった。思わず睨んでしまったけれど、そのくらいは許されるだろう。
(……相変わらず、松田くんとの飲みは居心地がいいな。たぶん相手が松田くんだから、気楽で心地がいいって思うんだ)
お互いのことを全て知り尽くしているというわけではないけれど、ある程度はわかっているからこそ変に気を使う必要もないし、気取らずにいられる。いっそのこと彼が恋人だったら……なんて一瞬考えて、ふるふると頭を振った。
「なぁ」
「何?」
「俺を選ぶつもりはねえか」
「……はい?」
冗談かと思って松田くんに視線を向ければ、やけに真剣な表情でこちらを見つめる彼と目が合った。
今さっきも考えていたくらいなので、彼と付き合うことになったら……と考えたことがないと言えば嘘になるけれど。そういう関係に進展することはないだろうと思っていたから、急に言われたって困る。
「いや、急に言われても……」
「別に急でもねぇよ。好きでもなんでもねえ女からの誘いなんて、俺は行かない」
まさかの告白に、程良く酔っていた頭が流れるような早さで冷静さを取り戻した。
交友関係を続けてくれているくらいだから、嫌われてはいないのだろうと思っていた。ある程度好かれていると思っていたけれど、それはあくまで友達として。それ以上でも以下でもないと、そう思っていたのに。全然気が付かなかったわたしもわたしなのだけど、松田くんは一体いつからわたしを好きだったのだろうか。
「みょうじは人から向けられる好意に鈍いよな」
「そんなことない、と言い切れないのが悔しい……」
「今ちょうど前科出来ただろうが」
「ちょっと、人を犯罪者みたいに言わないでよ」
今この場で、松田くんと付き合うという選択肢を選ぶのは簡単だ。だけどそれは彼の気持ちに対して失礼だと思うから。もう少し気持ちを整理して、向き合ってからにしたい。遅すぎだと文句を言われないように、あまり待たせないようにしなければ。
だからね、ちょっとだけ待っていて。今はまだ、あなたのその手を取る日まで。
『Words Palette Select me.』より
8.熱の伝え方(俺を選んで、頼り、遅すぎ)