髪なんて、邪魔にならないようにひとつにまとめていればいいと思っていた。可愛くてお洒落なヘアアレンジに憧れの気持ちを抱いたりはするけれど、不器用で面倒くさがりの私には無理だろうとな、最初から諦めていた。そうして今日も私は、ポニーテールと呼ぶには申し訳ないくらい適当に髪をひとつに結ぶのだ。
「あー! また適当に髪を結んだでしょ!」
ぱたぱたとこちらへ駆け寄ってきた彼は、服も髪もメイクも可愛らしく完璧だった。こうして巴くんを見ていると、だんだん彼の方が女なのでは? と思えてきてしまう。一応、生物学上は女なんだけどね、私。
「せっかく綺麗な髪なのに、適当に結ぶなんてもったいないよ」
「そんなこと言われても……」
「そうだ! ねぇねぇ、僕に任せてくれない?」
巴くんは可愛くするから安心してね、と笑う。そんな彼に嫌ですとは言い出しにくくて、私はお願いしますと巴くんに任せることにした。
「なまえちゃんの髪はサラサラだから、それを生かしたアレンジにしたいなぁ」
「あ、あの、できれば髪が邪魔にならないやつでお願いしたいんだけど……」
「大丈夫、それはちゃーんとわかってるから!」
だからなまえちゃんはじっとしててね、と彼の手が私の髪に触れた。こうして誰かに髪をいじってもらうなんて、どれくらい振りだろう。もしかしたら、学生時代に友達に髪いじらせてとお願いされ、それを了承した時以来かもしれない。そう考えると結構久しぶりだなぁ。
私がぼんやりとそんなことを考えている間にも、巴くんの手は器用に私の髪をいじっていく。そうこうしているうちに出来上がったのか、はいできた! と可愛らしい声が背後から聞こえた。
「今鏡渡すから、ちょっと待ってね」
はいどうぞ、と手渡された鏡を受け取って、そこに自分の姿を映す。すると、鏡に映っている私は別人みたいだった。髪型が変わるだけで、こんなにも印象が変わって見えるんだ。そして何より、これだけのことをたったの数分でやってのけた巴くんがすごい。
「す、すごい……」
「どうかな? すっごく可愛いでしょ!」
「髪、全然邪魔じゃないし……可愛い」
巴くんの手によって可愛くしてもらえたことで、自然と口角も上がってしまう。今までは邪魔にならなければいいと思っていたけれど、これからはもう少し頑張ってみようかな。そう思えるくらいには、すごくすごく嬉しかった。
「せっかく可愛くなったんだし、これから遊びに行こうよ!」
「えっ、今から!?」
「ほらほら、早く!」
「え、わっ、巴くんっ!?」
可愛くしてもらった余韻もそこそこに、掴まれた腕を力強く引っ張られてずるずると玄関まで引きずられてしまう。巴くんの空いている方の腕には私と彼のバッグがぶら下がっていて、何とも用意周到すぎる。おそらく、出掛けないという選択肢はないのだろう。
「なまえちゃんは行きたいところとかある?」
「うーん、急に言われてもなぁ……巴くんは?」
「僕? そうだなぁ……」
悩んでいる彼をよそに、鍵穴に鍵を差し込んでくるりと回して施錠する。だからこの時の私は知らなかった。ガチャンと施錠する音に掻き消されて、巴くんの呟きが聞こえなかったのだ。
「……ホントは、君を独り占めしたい気持ちもあるんだけどね」
彼が小さく呟いたそれは、私の耳に届くことなく夏風にさらわれて消えてしまった。