天邪鬼75%
二月に入って節分が終わると、世間はすっかりバレンタイン一色に染まる。彼からライブのチケットを貰ったのは、確か節分が終わってすぐのことだったと思う。
彼、晃牙くんが所属しているUNDEADはとても人気のアイドルグループで、ライブのチケットはなかなか手に入らないと聞いていた。以前行ってみたくてチャレンジしたことがあったけれど、言わずもがな完敗だった。そんな倍率の高いチケットを、しかも本人から手渡された時はそれは驚いた。何故か絶対に来いよと念を押されてしまったので、休んでもいいかと上司に打診したのがどこか懐かしく感じる。実際は数週間しか経っていないのだけど。
「えーと……会場はここ、かな?」
晃牙くんに貰ったチケットと会場を交互に見て確認してから、一般のお客さんとは別に用意されているらしい会場受付へと向かった。
***
数時間のライブが終わり、興奮冷めやらぬまま会場を後にするお客さんに倣って、わたしも熱を持て余したまま荷物をまとめた。関係者席を後にして、事前に晃牙くんに説明された通り近くにいたスタッフさんに声をかける。どうやら彼が話をつけていてくれたのか、ご案内するのでこちらへどうぞと誘導してくれた。バタバタと駆け回るスタッフさんの合間を縫って裏に入り、しばらくしてUNDEAD様と書かれた張り紙のある部屋へ案内された。ここが彼らの楽屋なのだろう。
「し、失礼します……」
コンコンとノックをして扉を開けると、つい先程までステージに立っていた四人がそこに居た。ここは彼らの楽屋なのだから、居て当然なのだけど。
「あれ? 随分可愛いお客さんだね。どうしたのかな、俺達に何か用事? ファンの子……ってわけじゃないよね?」
「薫くんや、そのお嬢さんはわんこの番じゃよ」
「は? 番?」
「おい、妙な言い方するんじゃね〜よ! ……悪いな、呼び出しちまって」
こちらに歩み寄ってくる晃牙くんに、大丈夫だよと微笑む。それを見てようやく朔間さんの言っていた意味を理解したらしい羽風さんが、なるほどね〜と頷いていた。一方意味を理解できていないらしい乙狩さんは、晃牙くんにどういう意味かと問いかけた。
「あー……アドニス、こいつは俺様の彼女なんだよ」
「彼女……そうか、大神の恋人だったのか」
初めましてと律儀に挨拶をしてくれた乙狩さんに、わたしも初めましてと頭を下げる。
「ええと、晃牙くん。今日はわたしを紹介するために呼び出したわけじゃない、よね?」
「あぁ。次のオフに渡してもよかったんだけどよう……これ、なまえにやるよ」
ぽいっと手渡されたのは、シンプルなラッピングが施された手の平サイズの小箱。開けてもいいかと彼を見ると、好きにしろと返ってきた。それではお言葉に甘えて、好きにさせてもらおう。紫色のリボンをしゅるりと解いて箱を開けると、ふわりと甘い香りが漂った。
「チョコレート?」
ころんとした丸い形と、ココアパウダーが振りかけられていることから、おそらくトリュフだろうと推測する。とても美味しそうだ。
「おう。なまえ、そういうの好きだろ」
「でもわたし、チョコレート用意してない……今日がバレンタインって忘れてて……」
そう、今日がバレンタインだということをさっきまで忘れていた。ライブが終わった後、女の子達が最高のバレンタインだよね! と話していたのを聞いて思い出したのだ。なので当然、晃牙くんへ渡すチョコレートは用意出来ていない。あんなにも街はバレンタイン一色だったというのに、ライブが楽しみですっかり忘れていたなんて、彼女としてどうなのだろうか。
「別に構わね〜よ。これは俺様が勝手にしたことだ」
「ひゅう♪ 晃牙くんかっこいい〜!」
「これこれ薫くん。からかいたい気持ちはわかるが、そっとしておいておやり」
「えぇ〜? だってここ、俺達の楽屋だよ? そういうことは他所でやってほしいよね。まぁ、見てて楽しいけど♪」
「うるせ〜! 俺様達で楽しんでんじゃね〜よ!」
賑やかな楽屋の中で、手元にあるチョコレートをひとつ摘んで口に放り込んだ。舌の上でとろけたそれは甘くて、だけどほんのりと苦くて美味しい。甘いだけじゃないあたりが晃牙くんらしいなぁと思いながら、そっと箱を閉じた。残りは家に帰ってから大切に食べよう、ホワイトデーはちゃんとお返しをしようと誓いながら。