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優しさ溶け出すカモミール



 込み上げる衝動のままにくしゃみをして、ふと我に返って思う。わたしは一体、どのくらいの時間こうしてぼーっとしていたのだろうか、と。
 温かかったはずの浴槽のお湯はすっかりぬるくなってしまっていて、結構な時間をここで過ごしていたらしいことがわかる。道理でくしゃみも出るわけだ。

「さむ……」

 再びお湯で体を温めるべく、追い焚きしようと浴室にあるリモコンを操作した。少しずつ温かくなっていくお湯だったそれに浸かっていると、コンコンと浴室のドアをノックする音が聞こえた。おそらく、わたしがお風呂に入る前はいなかった彼が帰って来たのだろう。

「晃牙くん?」
「おう、俺様だ。風呂入ってるとこなのに悪ぃな」
「ううん、それは大丈夫だけど……どうしたの? 何かあった?」

 ノックをしてきたのはやっぱり彼、晃牙くんだった。普段の彼はわたしの入浴中に脱衣所に来ることなんてほぼないので、かなり珍しい。

「いや、特に何もね〜よ。ただ、帰って来たら電気は点いてるのになまえはいねぇし、気配もねぇから探してただけだ」

 風呂に入ってるだけならよかったぜ。そう言葉を続けた晃牙くんに、わざわざ探させてしまって申し訳ない気持ちが押し寄せる。普段であれば入浴にこんな時間はかからないから、探してもらうこともなかっただろうに。

「あ、晃牙くんもお風呂入るよね? ごめん、すぐ出るよ」
「いや、別に急かしに来たわけじゃねぇからよ。俺様のことはいいから、ちゃんと温まってから上がって来いよな」

 彼がすぐに入るのならお風呂から上がろうと思ったけれど、もう少しお湯に浸かっていたかったので有り難い。まぁ、まだお湯と呼ぶにはちょっとぬるいのだけど。これが真冬だったらもっと冷たくなっていただろうし、間違いなく風邪を引いていたと思うから、今が春でよかった。

「そうだ、風呂入ってんならちょうどいいな。なまえ、ちょっとだけドア開けていいか? 渡したい物があってよ」
「渡したい物? え、今……?」

 絶対にそっちは見ねぇから安心しろと言うので了承し、少しだけ開いたドアの隙間から伸びて来た晃牙くんの手から、何か物を受け取る。片手に収まるサイズの丸いそれは、たぶんバスボムだろうか。微かに甘い香りがした。

「晃牙くん、これ……」
「良かったら使ってみてくれ。じゃ、俺様はもう行くぜ」

 ありがとうとお礼を伝える間もなく、彼はバタンとドアを閉めて行ってしまった。ゆっくり入れよ、と言い残して。

「……ん、いい香りする」

 あとでちゃんとお礼を伝えようと思いながら、貰ったばかりのバスボムをちゃぽんとお湯の中に入れる。しゅわしゅわと溶けていく度にほんのりと甘い香りが浴室に広がって、透明だったお湯に色が着いていった。
 まるで林檎のような甘い香りを堪能しながら、肩までしっかりとお湯に浸かる。何とか頑張ってお風呂に入ったはいいものの、時間も忘れてぼーっとしてしまうほどには疲弊していた体と沈んでいた心も、ちょっとだけ楽になったような気がした。

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