微熱Summer
生温いフローリングの廊下をぺたぺたと歩き、リビングへ続くドアを開けた。冷房が効いていることにより冷えた空気が、お風呂上がりの火照った体を撫でていく。
「なまえさん、今お風呂上がったッス〜!」
濡れた髪をタオルで拭いながら、先にお風呂入ってきていいよと譲ってくれた彼女に声を掛けたものの、返事がない。何かあったのだろうかと、慌ててなまえさんが横になっているソファへと駆け寄った。
「……もしかして、寝てるんスか?」
華奢な肩が規則正しい呼吸によって小さく上下していて、口から漏れている寝息が微かに聞こえる。どうやら俺を待っている間に、彼女は眠ってしまったらしかった。普段よりもあどけないその寝顔は、すごく可愛い。
「冷房が効いてて涼しいから、このままだと風邪引いちゃうッスね……」
風邪を引く心配をするならば、起こしてあげた方がいいのだろう。でも俺がお風呂に入っている間、その僅かな時間になまえさんが眠ってしまったのは、きっとそれだけ疲れているからで。起こしてしまうのは何だか忍びない。
「えぇっと、何か掛ける物は……あ、あったッス」
おそらく彼女が使っていたであろうブランケットが足元に落ちていた。それを拾い上げて、なまえさんの体にふわりと掛ける。すると彼女が少し身じろいで、それからゆっくりと閉じられていたまぶたが開いた。寝起き特有のぽやっとした瞳に、俺が映り込む。
「……ん。あれ? 私、寝てた……?」
「あっ、起こしちゃってすんません!」
「ううん、大丈夫。お風呂まだだったし、起こしてくれてありがとう」
まだ眠いのか、あくびをこぼしながら起き上がった彼女がソファのスペースを空けてくれたので、その隣に腰掛けた。
「鉄虎くん、まだ髪濡れてるね」
ちゃんと乾かさないとダメだよ、となまえさんの手がこちらへ伸びてきて、そっと俺の髪に触れる。
「髪はあとで乾かすんで、俺のことはいいッス。それより……」
彼女のために何か、俺に出来ることはないだろうか。まだまだ男の中の男を目指して頑張っている途中だし、あまり頼りないかもしれないけれど。それでも大切ななまえさんのために、何か。
「……? 鉄虎くん?」
黙り込んだ俺を不思議に思ったのか、彼女が俺の顔を覗き込む。突然近付いた距離に、どくんと心臓が大きく跳ねた。
「……あ、あの! なまえさんのこと、ギュッてしてもいい、ッスか?」
「いいよって言いたいんだけど、その……まだお風呂入ってないから……」
「そ、そうッスよね! はは……」
何か出来ないか。そう考えた末に思い付いたのが、なまえさんをギュッと抱き締めることだった。俺が疲れている時、彼女にギュッてしてもらえると癒されるように、なまえさんにも少しでもそういう気持ちになってもらいたくて。
こういう時、大将みたいに美味しい料理が作れたらいいのにと思う。美味しい料理は食べるだけで幸せになれるし、きっと彼女も喜んでくれることだろう。ただ、俺が作ると黒焦げになってしまうので、とてもじゃないけれど手料理なんて振る舞えない。
「すんません。俺、なまえさんのために何かしたいのに、何も出来なくて……」
「そんなことないよ」
一生懸命、私のことを考えてくれただけですごく嬉しい。そう言葉を続けた彼女が、ありがとうと微笑む。
「それじゃあ、私もお風呂入ってくるね」
「あ、はい! 行ってらっしゃいッス!」
ソファから立ち上がり、廊下へと続くドアの目の前まで歩き進むと、なまえさんはぴたりと足を止めてこちらを振り返った。
「……お風呂から出てきたら、なんだけど。ギュッてしてもらっても、いいかな」
「っ! は、はい! もちろんッス!」
まだお風呂に入っていないのに、彼女の頬がほんのりと赤い。たぶん俺の頬も、赤くなっているような気がした。じわじわと上がっていく熱を奪っていくように、冷房で冷えた空気がするりと肌を撫でていった。