やけに背中が温い。熱くもなく冷めてもいない、まるで半日前に開封したカイロが当たっているみたい。 この所、夜から朝にかけて冷え込んでいたからその熱はちょうどいい。二度寝をしてしまいそう。思えばソファよりも柔らかめのマットの感覚がするし、何だこれ、いつになく、寝心地がいいぞ。 そこでパチリと目を覚ました。 「……………。?」 瞼を開けて飛び込んできたのは、いつもと違うアングルの船長室。 まずわたしが就寝のためにいつも使っているダークグレーのソファが見えた。 寝ぼけた脳みそを回転させて毛布を払いのけ、とりあえず起き上がろうとする。 うう、寒い。 身を震わせ行動を開始した時、背後から二本の腕が回されていたことにやっと気づいた。 動くに動けない。それほど胴体をがっしりホールドされていて、一瞬また人質に捕らわれたのかと思ったほどだ。 項からやや下の首筋に掛かる、誰かの吐息。 ……誰か? 疑問がふと浮かび、先ほど見た腕を思い出して硬直する。 今まさにお腹の上で交差されたその腕に。見覚えのある刺青が、あったようななかったような。 …………。 数秒後、静かなる早朝の船内に絶叫が木霊した。 「耳元ででけェ声出すな……」 わたしの悲鳴をもろに食らったであろうローさんが呻く。 また首筋に息が掛かってゾッとした。……卑猥な意味ではなく、真面目に。 ぎょっと目を見開いて、素早く腕を振りほどき距離を取った。あっけなく解放されたことに安堵しつつ、心臓はまだバクバクいっている。 「なななななん、でっ!」 「朝っぱらから騒ぐんじゃねえよ」 「さ、騒がせるようなこと、そっちがするから……! なんで、わたしが、」 顔から火が出そうだ。何故って、……ありえない、ありえない。なんでわたしが、起きたらローさんと密着してるのでしょう。 焦るわたしと対称的に、ローさんは至極何でもないような顔をして頭を掻いた。しかも欠伸まで噛み殺してる。 「……昨日、寒かっただろ」 「…………。まあ、それなりに」 「湯たんぽ代わりになるかと思った」 「……誰が」 「お前が」 「誰の」 「おれのに決まってる」 ピシリと、理性を司る糸が、軋む音。 それは無論あたしの頭の中のできごとに違いない。 そしてそれは、再び発せられたローさんの遠慮ない言葉で呆気なくブチ切れた。 「抱き心地は悪くなかったな。ベポに負けず劣らずってとこか。いい具合に布団の中も温まる」 「湯たんぽ買えよ」 「それだと固いだろう。おれはそんなの嫌だ。どうせならモコモコがいい」 「知らないよそんなの」 「ナマエ、お前着ぐるみ着て寝てみたらどうだ。そしたら毎晩抱いて寝てやる」 「もう黙って下さい」 あたしはあらん限りの力を込めて、寝起きでどこかぼんやりしたままのローさんの顔にクッション枕を投げつけた。 「……わたしを何だと思ってんのよどうしてローさんはああなんだろう医学とかそういう知識の前にまず個々の人間には人権があるっていうことを学んだ方がいいんじゃないかな」 ぐっと床板を睨みつけてドスドス足音を鳴らし、食堂に向かう。すれ違った船員は皆わたしの表情に凍り付いては狭い通路の道を譲った。 昨夜は、本を読むローさんの邪魔にならぬよう極力身動きをしないように座っていた。ずっと落ち着かなくて体をこわばらせてたから、首筋もガチガチだ。 どうやらそのまま寝てしまった(まあ彼の説明では、その後湯たんぽ代わりにしたらしい)ようだが、どうしてわざわざ隣に座れと命令したのかがまず理解できない。というか最早、ローさん自体が理解できん。 飼うとか種類とか、あまつさえ今度は暖を取る為だなんて言って、仮にも意識の無い異性をベッドに引っ張り込むだなんて。信じられない。まるで完全なる犬扱いじゃないか。女ということ以前に、人間として見られてない。……むかつくむかつくむかつく! 朝食のスープとパンを口に詰め込む。 収まらぬ感情の波に任せ、怒り心頭に飲み水の入ったカップを置くと、隣にいたキャスがビクリと身を縮め、恐る恐ると声を掛けてきた。 「なんつー顔してんだよ。鬼みてえに目ェ吊り上げて」 「……。ローさんてさあ、どうしてあんなにデリカシー欠落してるのでしょうかね」 「なんだ。また船長に意地悪されて拗ねてんのか?」 「人事だと思って」 「ああ、うん。人事だし。……でも、よく考えてみろって。船長のあれは愛情の裏返しみたいなもんだから、それなりに上手くやればぜってーイイご褒美貰えるぜ、」 「……しっぽを振って媚びろ、と」 「やってみる価値はあるんじゃねえの?」 「じゃあキャスはそうされると嬉しいんだ?」 「なん、で、おれに振るんだよ……」 「べっつにぃー」 ローさんにも、媚びてみろって、言われたことある。 こっちは重大危機が迫っている状況下だったというのに、だ。 男の人って皆そうなのかな。媚びられることが嬉しい、とか。 ジトリと睨み上げればキャスはどこかソワソワし始めた。 そのまま会話が無くなって、わたしは再び食事に専念する。 程無くしてから、遅れに遅れてローさんが食堂にやってきた。 身支度も整えいつもの帽子もしっかり被っているが、どこと無くまだ気の抜けた目であたりを見回している。 わたしに目を留めたローさんは獲物を見つけた肉食獣のように一瞬口角を僅かに上げて、颯爽とテーブルの間を抜けこっちにやってきた。 「キャスケット。火に油を注ぐのは賢明とは言えねえな」 近づいてくるローさんの存在を徹底的に無視して見ないようにしていると、面白みを含んだローさんの声が揶揄するように頭上から振ってくる。 キャスは呆れたように振り返った。 「元はと言えば原因をつくったのはアンタでしょう。どうすんですか。かなりご機嫌ナナメになってますよ、コイツ。大体、今度は何したんです」 「大した事をした覚えはねえさ。本人に聞いてみたらいい」 地殻変動中の火山のように怒りが湧き上がって、あたしは背後に立つ人物へと向き直った。 大したことない、だなんて、あんな失礼な扱いをしておきながら、よくも飄々としてられる。 「手を出したわけじゃねえんだ、んなにカッカしなくてもいいだろう。……。待てよ。どうせなら胸でも触っときゃあ良かったか?」 「触ったら10万ベリー……!」 「罰金か? 高ェな。脚はいくらだ」 暗に触んじゃねえよと言ってるんだっつの…! ニヤニヤしているローさんに怒りをぶつけようとして、そこでハッと気がついた。 わたし、また、からかわれてる? 「まあ気を楽にしろ。これでも食って」 隣のテーブルにあった目玉焼きがコトリと目の前に差し出され、そこで確信を得る。 ローさんを見上げると、彼はとことん楽しそうだ。そして悪人面だ。 「………もー知らない」 勝手にすればいい。そして目玉焼きは遠慮なく、頂いておく。 海の上では卵は貴重な淡白源であるし、日持ちもしないから貴重な食料なのだ。 これを貰えたからといってローさんの性格に寛大になれるわけじゃないが、今だけは我慢してもいい。屈辱だけど。 朝食が終わった頃、ちょうどいいタイミングでペンギンさんがやってきて、昼ごろに銃を打つ練習をしてみようと言われた。 おお、ついに、早速ですか!なんかすごく緊張してきた。 ペンギンさんへの返事も「がんばりまっしゅ」と完全に裏返ってしまったし、そんなわたしをキャスケットは盛大に馬鹿笑いする。 大丈夫、心配するなとペンギンさんが肩を叩く傍ら、ローさんだけは一人浮かないような顔をしていた。 「ぜってーいつかヘマやらかして、怪我すんのがオチ、ってところか。そうなったらおれは手当てしてやらねえぞ。自力でどうにかしろ」 「……そこまで鈍臭いわけじゃないもん。銃を使う側がどうやったら怪我すんのよ」 独り言に近いような感じで控えめに言い返せば、ローさんはつまらなそうに鼻を鳴らした。 「なら見ものだな」 ……彼の信頼を得るためにも、まずは怪我をしない。そのことが最優先課題になりそうだ。 ナマエが食堂を出て行った後、キャスケットはまたかと言うように大きく溜息を吐いた。 船長はどこまでも素直じゃないんだから、と。 「またまたそういう言い方をして。本当は心配で気が気じゃないんでしょう」 「甘やかしてばかりじゃあ躾にはならんだろ」 「そりゃそうですけど。待遇的に考えて、一っ番、甘やかしてんのはアンタじゃないですか」 「……そうか?」 「他に誰がいるんですか。ナマエを連れて帰ってきたときだって、……正直驚きましたもん。まさか船長自ら迎えに行くなんて。きっと誰も想像してなかったんじゃないですか?」 問いかけるように語尾を上げたが、それが真実だということをキャスケットは知っている。事実、あの夜は多くのクルーが、「意外だ」と影で囁いていたのだから。 「猫可愛がりするのもいいですけどね。アイツは、銃よりもいっそバズーカあたりが似合う女ですよ。一見か弱いように見えて、そんくらい威勢がいいんです」 「……。分かってる」 そこまで言って、ローは諦めたように口を閉ざした。 か弱いだなんて思っちゃいない。 ダックスフントは、元来猟犬だ。 はじめの一歩! (最大限の譲歩は、した) |