「ちょっといいか」
「はい……って骨喰先輩。どうしたんですか?」

 お昼休みに廊下を歩いていると、色素の薄い落ち着いた感じの先輩に声をかけられた。一つ上のこの先輩はやっぱり乱くんたちの関係者だった。彼らは粟田口一家と言って、本家と分家に分かれているけど繋がりの強い一族らしい。その関係で、というか彼らがあまりにも私のことを話題に出すものだから従兄弟である骨喰先輩たちも私の知り合いになったのだ。骨喰先輩と鯰尾先輩が双子で、彼らの弟に別のクラスの後藤くんがいる。他にもまだたくさんいるらしいけれど、もう大学生だったりまだ中学生だったりと年齢が違うらしい。

「薬研にこれを返しておいてくれるか?」
「いいですよ。でも骨喰先輩が忘れ物なんて珍しいですね」
「鯰尾が借りたんだが、一緒に返しに行く最中にやつはいつの間にか消えていた」
「なるほど。一緒にいないの、珍しいなって思いました」
「そうか?」
「そうです」

 賑やかな鯰尾先輩と物静かな骨喰先輩。性格も外見も正反対だけれど、馬は合うらしい。そういえば薬研くんたちも似ていないけど仲はいいし、血の繋がりってやっぱり目に見えない絆みたいなものがあるんだろうか。全く異なる人間なのに、自分を受け入れてくれる居場所になるのか。血の繋がり以外で絆は結べないのだろうか――なんてことを考える。考えたところで私には兄弟がいないからわからないけど。

「そう言えば、長谷部の姪なんだって?」
「はいそうです。叔父と知り合いで?」
「いち兄……いや、本家長男が同じ学校で」
「世間は狭いですね……」
「本当にな。一つ、訪ねたいんだが」

 表情が変わらないからわからないけど、心持ち普段より鋭い空気を纏った先輩に緊張してしまう。なんで私の周りの人達は、こんな、殺気みたいな恐ろしい一面を身の内に隠しているのだろう。

「長谷部に恋人はいるのか」
「それ、うちでも心配されているんです」
「そうか。不躾な質問をして済まなかった」
「いいえ。よかったらお兄さんから叔父にキツく言っておいてください」
「伝えておこう」



 長谷部おじさんがキーだということだけは確かである。おじさんの所へ行ってから出会った人達が全員おじさんを通じて繋がっているのだから、彼らの内の誰か、もしくは全員が倶利伽羅くんの秘密を知っているかもしれない。長谷部おじさんはきっと何かを隠している。私はそれを暴きたかった。倶利伽羅くんに嫌われたくないからと言って物分りのいいふりをして私は本音を飲み込んだ。でも私は彼の秘密が欲しかった。だってもう一緒に住み始めて三ヶ月近くも経っているのだ。私の作ったご飯を食べて、ひとつ屋根の下に、家族みたいに生活しているのだ。そろそろ心を許してくれたっていいじゃないか、ねえ?

「あ、雨だ……」

悶々とそんなことを考えていたらいつの間にか雨が降り出していた。そろそろ梅雨の季節だというのに傘を持ってこないなんて、失敗したな。土砂降りの雨がまるで私の気持ちを表しているようで少し笑えてきた。


「さむっ」

 あれから家まで全力で走ったものの、やっぱり全身濡れ鼠になってしまった。シャツは換えがあるからいいけど、スカートは乾くだろうか。なんてことを心配しつつ私はお風呂に入る準備をする。通路を少し濡らしてしまったが、倶利伽羅くんは今日バイトだし、後で拭けばいいだろう。
 芯から冷えた体にお湯のぬくもりが染み渡る。湯船には不思議な力があって、とりとめのないことを考えてしまう。私の料理が美味しかったときの倶利伽羅くんの顔、一緒に買い物に行って仲のいいカップルだとからかわれたこと、だんだんと一緒にいても警戒されなくなったこと。これ以上彼と仲良くなるにはどうしたらいいんだろう。

「ん?」

 不意に大きな物音がして思考が中断された。続く足音。つまり家に誰かがいる。
 玄関の鍵を締めたかというところに思考が飛んで、締めていないとの結論が出た。いつもならきちんと施錠するのに今日は余計なことを考えていたからそこまで気が回らなかった。もしかしなくてもこれはやばい。ただでさえ女の身の上なのに、今は何も身にまとっていない状態だから逃げ出して助けを呼ぶこともできない。音がしないようそっと浴槽を抜け出して、そっと服を身に付け……。

「えっ」
「……」
「えっちょっと、まっ」
「……済まなかった」

 倶利伽羅くんだった。
 人間は驚きすぎると悲鳴を上げることもできないらしい。パニックになった頭の端で、思ってたより長風呂してたんだなあとか大きな物音は私が作った水たまりで倶利伽羅くんがすべったのかなあとか冷静な判断を下していたのだった。