山の上に住んでいるおじいちゃんは、同じ市内に住んでいてもあんまり会うことがなかった。仲が悪かったりするわけではないのだけれど、如何せんおじいちゃんの家(というか神社)の立地が悪すぎるのだ。だからおじいちゃんが倒れたって知らせを聞いて駆けつけたらあんなことになるとは思っていなかった。

「は? はにわ?」
「審神者じゃ」

 おじいちゃんが入院している病室に、知らない男の子がいる。と言ってもその子は私が連れてきたらしいのだ。「家に小夜を置いてきてしまった。とても大事なものだから取ってきてほしい」と頼まれて学校帰りに病院まで配達に来たのだけれど、私が手に取った「小夜」とは短刀だったはずである。それが何故か、少し目つきが悪くて、古風な感じの着物に身を包んだ男の子に変身した。

「お、おじいちゃん。その子誰……?」
「小夜左文字」
「……お前、僕が見えるのか」
「この子は儂の孫じゃからな。そっちの才能があってもおかしくないだろう」
「え? えええ?」

 話がまったく見えない。確かにおじいちゃんは神社の神主である。だから先祖に陰陽師とかそんな感じの人がいる……という話は聞いたことがある。ということはもしやこの子、幽霊……?

「似たようなものじゃな。小夜はこの刀、小夜左文字に憑いている付喪神。歴史の改変を阻止するために戦ってくれているんじゃよ」
「ごめんおじいちゃん。話がさっぱり見えない」

 もし、あの時あの人が死ななかったら。そんな思いから歴史の改変を目論む「歴史修正主義者」によって過去への攻撃が始まった。そして政府はそれを阻止するため「審神者」なる者を各時代へと送り出す。 審神者なる者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる、技を持つ者。その技によって生み出された付喪神「刀剣男士」と共に歴史を守るため、審神者なる者は過去に飛ぶ――。

「そしてそれが儂じゃ」
「おじいちゃんそんなに凄いことしてたの……」
「科学が進化した現代に、そのような力が遺っている人間が少なくてなあ。儂はずっと霊験あらたかなあの山で育ってきたし、血筋もいい。審神者としての素質があった。お前の父親も一応儂の血を引いているからどうかと思って昨日試してみたんじゃが、どうやら見ることができなくてな。入院している間、戦いをどうしたものかと困っていたから砂羽に素質があって助かったよ」
「それって……」
「うむ。儂が退院するまで代わりに審神者として戦ってくれ」
「無理だよ! 私戦争の知識とかないし刀も使えないよ!?」
「審神者が戦う必要はない。戦うのは、僕たち」
「でも……」
「政府から給料もらえるぞ」
「やります」



 なんてことを言ってしまって、現在に至るのだ。おじいちゃんの病室を後にし、小夜くんに案内されて神社の奥の奥、たとえ身内でもなかなか入れてもらえることのなかった部屋に入る。そこは静謐な空気に支配された空間。神様なんて信仰したことはなかったけれど、もし神様が居るのならばこのような場所にあられるのかもしれない。祭壇や鏡があるのも神社のそれらしい。ただ、異様なのは、その部屋に何十本もの長短様々な刀がずらりと並んでいること。小夜くんみたいな私でも扱えそうなものや、大人の男の人だって持つことができそうにない大ぶりの刀もあった。

「これ、全部……?」
「そうだよ。今は主がいなくなって、動くことができないけれど」
「どういう事?」
「審神者の力で僕たちは人の形を保っていられるから。今、主は遠くに居るし、体が弱っていて力を振るうことはできない。僕が今動けているのはあなたの力なんだ」

 審神者。ただの一介の学生であった私にそんな力があるとは。信じることは難しいけれど、実際にこうして小夜くんが動いているのだから、認めないわけにはいかない。それにしてもなんと美しい刀たちだろう。すべて名のある名刀で、歴史上で有名な人物が所持していたものだとおじいちゃんから聞いた。付喪神となるのだから、きっと永い永い時間を経てここに在るはずだ。美しさは普遍的なものなのだと、頭ではなく身体で私は理解したのだった。

「私は、どうすればこの刀を蘇らせることができるのかな」
「さあ。僕はそのあたりはあまり知らない」
「おじいちゃんは全部蘇らせていたんだよね」
「そうだね」
「私に出来るかなあ」
「……たぶん、今は、無理」
「そっかあ」

 平和な環境で育ってきた私にとって争いとは、自分と無縁なものであった。そしてこんなにたくさんの刀を――戦力を必要とする戦を、頭で聞いてはいても真実理解できていなかった。軽い気持ちだったのだ。ほんの。かるい。お遊び程度の気持ち。だから、その刀の気持ちを、一生を、それだけではなく過去の傷さえ背負うことになるとは知らずに、うつくしいから、という理由だけでひと振りに触れた。
 触れた以外に何もしていないけれど、その刀は途端に輝きを放ち、熱を帯びる。季節はずれの桜が舞ったかと思えば、長い金色の髪と薄汚れた白い布に隠された青色の瞳が私を見つめていた。
 女を綺麗に見せる方法は三つあって。夜目と遠目と……なんだったかな。覚えてないや。でも「隠す」ことが関係していたのは覚えている。布と髪に隠されて垣間見ることしかできないその男の人の顔。昔よりはだいぶこの国に馴染んできたその色彩は、私の視線を釘付けにした。

「なんだ」

 低い、声。私より少し大人の男の人の声。耳馴染みがよくて、でも、微かに滲むさみしさに私まで引き摺られそうだ。彼はどうしてこんなにさみしさを抱えているのだろう。

「あなたが綺麗だと思って」

 彼の問い掛けに答えると右頬を思い切り張られた。お父さんにも殴られたことないのに!とどこぞの誰かみたいなセリフが脳内を過ぎる。きっと手加減はなかった。そのくらいの痛みが突然走った。

「った!!」
「綺麗って言うな!」

 寂しげに揺れる淡い水のような瞳から一転。燃える炎のように熱く怒りを燃やし、彼は私を見つめてくる。急に声を荒げられたことと、先程受けた暴力からビクンと体が恐怖に竦む。怖い。本当に意味がわからない。金髪の彼はそのまま部屋から飛び出していった。頬に手を当てたまま呆然としている私に「大丈夫?」と声がかかる。

「小夜くん」
「山姥切国広に綺麗って言葉は言ったらダメだよ」

 彼、名刀の山姥切の写しで、そのことを凄く気にしているみたいだから。綺麗って言葉は地雷なんだよ、と彼は言う。知らずのうちに傷をえぐってしまったからこの仕打ちらしい。それにしても、女の子に手を上げるのはなんだかな、と思わなくもない。

「君はどうするの。前の主みたいにここに住む?」
「ううん。私は家があるからなあ。小夜くんたちを連れて帰ってあげることはできないけど、平気?」
「うん。……この部屋で生活してたから」
「そう。なら明日また来るから、それまで好きにしててね」
「分かった」

 小夜くんみたいな小さい子を一人で残していくのはちょっと気が引けたのだけれど、さっきの金髪の人もいるし、生活できていたらしいし大丈夫だろう。バイバイ、と声をかけて神社を後にした。今日は随分と遅くなってしまった。怒られないかな。



 次の日、私は勾配のきつい坂を登っていた。神社の途中まではバスや車も入ることが出来るのだけど、おじいちゃんが住んでいる場所や昨日小夜くんたちに会ったあの部屋は神殿の近くに有る。だからどうしても自分の足で坂を登らないといけないのだ。

「はあ、はあ、きっついなあ……」

 そんなに暑い季節でもないのに、汗をだくだくと流しながら歩む。政府からお給料がもらえるって話じゃなかったら絶対引き受けなかった。お小遣いを貰っていない身の上で、学校がバイト禁止だからなかなか金策に苦労しているのだ。これがバイトに相当するのではないかと言われれば、そうかもしれないけど、其の辺は特殊な事情だしいざとなったら権力がなんとかしてくれるだろう。やっとのことで登り終えてあの部屋に向かう。そっと部屋に踏み入れば、昨日の静謐な空気とは一転、きのこでも生えてきそうなジメジメとした空間となっていた。

「ちょ、ちょっとなにこれ!?」
「ああ、お前か」
「……」

 暗い。暗すぎる。そう言えば小夜くんもぼそぼそとしか話さないし、山姥切さんは見たまんま暗そうだし、この二人もしかして昨日から会話もしてなかったんじゃ……。大人がいるから大丈夫かなって思ってたけど、全然大丈夫じゃなかった!! 失敗した!!

「ねえちょっとこの部屋換気した!? 空気やばいよ!?!?」

 はい換気換気〜!! あとみんなこっちきて!と無理やり外に連れ出したものの、やっぱりなんだか空気が重い。縁側に腰掛けて、温かいお茶とお茶菓子を拝借して親睦を深めようとしたんだけれど、どうにもならなかったか。これはやっぱり仲間を増やすしかないか。

「よっし! ごめんね挨拶が遅れて。私は朝霧砂羽。あなたたちの前の主の孫娘よ。入院しているおじいちゃんに代わってしばらく審神者を務めることになったからよろしくね」
「しばらく……?」
「どうしたの、山姥切さん」
「昨日、お前は俺を呼び出した。あの時点で主は変わっている」
「えっ、そうなの?」
「そうだ。今人の形を取れているのはお前の力だからな。ジジイのじゃない」
「そうなんだあ」

 これは、ちょっとあれかもしれない。おじいちゃんが帰ってきたときやめるのすんなり行かなさそうだなあ。めんどくさいなあ。

「そう言えば、あなたたちは普段何をしているの」
「……主に言われた通りの仕事をこなしてる」
「仕事って?」
「出陣したり、遠征に行ったり、命じられた通りに」
「そうね。戦っているんだったわね。それは、今いる二人でできること?」
「やっぱり写しは大切にする価値もないと」
「無茶言ったわ」

 山姥切さん、面倒くさい人だけど、聞いたことはちゃんと答えてくれるし根はいい人なのかもしれない。昨日いきなり頬を張られて警戒していたのだけれど、それは私が地雷を踏んだからで何もなければ少しばかり根暗なイケメンで害はなさそうだ。

「ごめんなさい、戦のことは詳しくなくて。おじいちゃんのときは何人くらいで戦闘していたの?」
「六人。最低でも五人は」
「そうしたら仲間を増やしてあげないといけないんだね。おじいちゃんが刀を集めてくれているからそれを借りてもいいのかな。でも人型にするやり方がわからないんだよね」

 ねえ、知ってる? と問えば知らないとすげなく返された。戦のことは教えてくれるけど審神者のことは管轄外らしい。

「小夜くんは? 何か知ってる?」
「祈り。想いの力が一番強いって、強い想いに心が食われるって主が」
「な、なるほど」

 小夜くんの心の闇を垣間見てしまった気がした。とりあえず念じればいいのかな? 山姥切さんを出した時も、あまりに綺麗で触れたいと思ったからだし。今回は彼らの気持ちを明るくしてくれる人と巡り合わせてくださいと思えばいいのだろうか。そうと決まれば、とあの部屋に移動して刀を見る。鞘が派手なもの、実用性に沿ったデザインなもの。人格も大事だけど、戦うにはたぶん戦略とかも必要なのだろう。いったいどの刀がいいのだろう。私にはさっぱり分からない。

「私と、あの人たちとともに戦ってくれる人と会えますように」

 目をつむって、そっと、祈る。再び目を開けると季節はずれの桜が舞い、新しい人が姿を現した。

「俺を呼んだのは、あんた?」