※最終回後どうやったら全員生存できるのかを考えたお話。生存フラグは三日月さんが正常なまま練度をあげること、という設定を踏まえてお楽しみください













 目を閉じて、再び開けるということは境界を越えること。たとえそれが睡眠という人間として自然な営みだったとしても、意識の断絶という事象を経てしまっているので境界を越える条件を満たすのだ。私は睡眠から目が覚めた。もう長いこと生活した本丸の、自室だというのに、目覚めた瞬間強烈な違和感が私を襲ったのだった。

(何かがおかしい)

 具体的に何がおかしいのかわからないのだけれど、明るい、というか。もう日も高く登っているのだからそれは当然なんだけれど。寝巻きのまま着替えることもせず、私は思索に耽る。寝る前に私は何をしていたか。どうして私はここにいるのか。記憶に問う。審神者としての概念、役割、誰かと共同生活を送っていたことは思い出せるのだが、「誰」と生活を送っていたのかは思い出せない。そしてまた一つおかしなことがある。ここには四十人ほどの人がいて生活していたはずだ。時計がないからわからないが、太陽から判断してだいたい昼間頃。なのに、まったく物音が聞こえないのはなぜだろうか。

「とりあえず部屋から出てみよう」

 着替えを手早く済ませ、違和感をぬぐいさるために私は本丸内を探索し始めた。みんな、は無理だとしても近侍には会えると思っていたのだが、それは叶わなかった。広間、厨、畑、お風呂場――思いつく限りの場所を回ってみたのだが誰もいなかった。本丸は、記憶の中の本丸とそっくりだった。まるで私の中の記憶の本丸の中から、そこにいた人物のみを切り取ったみたいに。そんなことが起きているのならば心霊体験かと思うのだが、そういう禍々しい空気は一切なくむしろ清浄な感じがする。

「あ」
「目が覚めたか」
「三日月、さん」

 最後にもう一度広間に行ってみれば、いなかったはずの場所に人がいた。確か彼の名前は三日月宗近。私が最後に鍛刀した刀のはずだ。

(あれ?)

 最後ってどういうことだろう。記憶が曖昧だ。言語、生活習慣などの知識は問題ない。それなのに思い出せないことがあるのだ。

「気分はどうだ」
「特に問題ないです」
「そうか……清浄な気で満たされていると思ったのだが」
「それは感じます」
「ならば成功したということか。俺の練度が高くてよかったな、主」
「三日月さんは後から来たのにたくさん出陣していただいて申し訳ないです」
「気にしておらん。それが役に立ったのだからな」

 まあ茶でもどうだ、と彼に勧められるまま座る。どこからともなく湯呑が現れる。膝を突き合わせてお茶を飲んでいると些細なことはどうでもよくなってしまった。何かを忘れたことすら忘れて、だらだらと雑談に話を咲かせながら私と三日月さんは時間を過ごした。


「あ」
「どうしたのだ?」

 最初に目が覚めてからどれだけの時間が経っただろうか。いつものように三日月さんとお茶を飲んで、たまにお菓子をつまんで、雑談を交わしていたとき強烈な既視感が私を襲った。今日は天気がいいから、と中庭が見える縁側に腰掛けておしゃべりをしていたのだ。でも私は三日月さんではない誰かと、中庭の、池を見ながら、私は誰かとこの会話をしたことがある。あれは気温が一定に保たれている本丸が、見せかけの夏へと変化したときのこと。池を見て、こう暑いと水浴びでもしたくなるねって言ったらあの人は「まるで子供のようだな」って笑って。たまに見せるその笑顔は日差しに反射する彼の金髪のように私には眩しく見えて……。

「くにひろ、さん」

 呟いた誰かの名前がトリガーとなって私の記憶を呼び起こす。初期刀の彼。一緒に苦労しながら戦場を巡ったこと。私が死んだこと。それを受け入れることができずにみんなで時間を遡っていたこと。それが限界に来ていたこと。鬼に堕ちた彼は、今一体どこにいるんだろう?

「国広さん!」
「……思い出してしまったのか」
「三日月さん、ねえ、国広さんは!? 他のみんなはどこへ行ったの!?」

 一番美しい刀に私は掴みかかる。困ったように眉をひそめても、三日月さんの美しさは損なわれない。本気で困った顔をするから。普通の人ならばこっちが悪いことをした気になってしまうのだろう。でも私はそんなことに騙されるたまじゃない。

「ここに、いる」
「いないじゃない、どこにも。時の流れはまったく分からないけれど私が目が覚めてから結構な日が経ったのに、他の誰にもあってないじゃない!」
「いるぞ。確かめたいのなら鏡を持って来い」

 鏡といえば一つしかない。私が戦場へ行ったみんなの様子を時々窺っていたあの鏡だ。祭壇のもとへ駆け寄って鏡を引っつかむ。そこには信じられない光景が映っていた。

「何、これ……?」

 ここと全く作りが同じ本丸の、私が今いる部屋と同じ場所に何十本もの刀剣が落ちているのだ。鏡に映った背景に、それが映し出されているのだ。
 思わず足元を見たけれど、そこには何もない。けれども鏡に映ったもうひとつの本丸に、三日月さん以外の刀剣が存在している。これは一体どう言うことなのだ。彼は私に何をしたのだ。

「鏡に映った本丸が、俺たちの前にいたところだ」
「それならここは……?」
「ここは俺の神域だ。堕ちてしまった奴らは足を踏み入れることはできない」

 いつの間にか背後に立っていた三日月さんが、表情も抑揚もないまま、淡々と語っていく。

「奴らが堕ちてしまったのは主、お主を助けようとしたからだ。助けようとして時間を遡ればそれだけ奴らは穢れていく。だが運命は主の生存を許さない。堂々巡りだ。だから俺が主を神隠しして、現世の歴史から隔離したと、まあそういうことだな」
「それが何の助けになるの?」
「主が歴史の表舞台から消えてしまえばあれ以上穢れることはない。幸いなことに主の本丸があった神社は、山自体が御神体の神社だったからな。本体をあちらにおいて、長い時間放置していればいつかは清められる。あとは政府にも敵側にも手出しができぬよう、あちらの本丸と、俺の神域とをぴったり重ね合わせて守っているというわけだ」

 時間を遡るとき、私の記憶は彼らによって消されていた。だから全貌は把握していない。けれど彼らが私のために危ない橋を渡っていたということだけは理解できていたのだ。

「繋ぐことは難しかったが鏡には様々な意味がある。地中の邪気や悪霊から塚を守護するということ、古来からの霊山信仰において、神的存在が宿る場であると見なされている山中の湖、沼、池に奉納されたりしておる。それのいい所だけを採用してなんとか保っている」
「それじゃあ、国広さんたちは……」
「完全に清められたらこちら側に俺が連れてきてやれる。なあに、主ももう人ではない。たとえ何百年かかったとしても、全員がこちら側に来るのを見届けられるだろうよ。そうしたら、また、騒がしくなるぞ」