校門の前に知らない男の子が立っている。長めの金髪を結っていて、黒地に金の刺繍の入ったジャージを着ていていかにもという感じだ。しかも、手に、布に包まれている物体……たぶん剣道部が持っている竹刀袋みたいなものを持っていた。きっと彼の喧嘩の道具なのだろう。私の学校は一応進学校の部類に入るし、そこまで荒れていないから喧嘩をするような人はいなかったと思うのだけど、誰かが恨みを買ってしまったのだろうか。まだ五時間目の時間帯だというのに出待ちをしているのは不穏すぎる。

(こ、困ったなあ)

 まだ授業が行われている時間帯に金髪の男の子がここにいるのが非常識ならば、私が校門付近にいることも非常識なのである。でもこれには理由があって、私は体調を崩して早退になったのだ。元々体が弱い方で、両親も仕事が忙しくてなかなか迎えに来れなくて、自力で動けるうちの早めの帰宅は多い方なのだが、出待ちをされているのは初めてなので帰ろうにも帰れない。どうしよう、と結論の出ないまま立ち竦む。でも、私は彼を初めて見るし、誰彼構わず殴りかかるようなことはしないだろう。目を合わさずにそっと通り過ぎればなんとかなるはず……!

「あ、ちょっといいか?」
「はっ、はい」

 駄目だった。速攻で声をかけられた。ビクッと体が震え、怯えた眼差しで金髪の男の子を見る。近くで見ると綺麗な顔立ちをしていて、予想より優しそうににこにこ笑っていて、ちょっとだけ緊張が解けた。

「ちょっと人を待ってるんだけど、これって何時ごろ終わるんだ?」
「あと二時間くらいはかかると、おもい、ます……」
「二時間? 二時間って長い?」
「長い、です」
「一刻くらいか……?」
「一刻?」

 なんというか、珍しい時間の感覚をお持ちなんですねこの方。古典の知識をフル動員して、多分あっているだろうと「そうです」と答えた。もう行ってもいいだろうか。

「へー、そっか、ありがとな!」
「いいえ……」
「ん? なんであんたはここに居るんだ?」
「私は体調が悪いので早退です」
「えっ! そう言えば顔色が悪いな。大丈夫なのか?」
「いつものことなので」

 これ以上体調が悪化する前に早く帰りたい。それでは、と声をかけて自宅の方へ歩き出すと、腕を掴まれた。なんだろうと思えば、金髪の彼の顔がすぐ近くにあって動揺した。ドキッっていう感情ではなくて、動揺。恐怖の方が勝っているらしい。

「あ、俺ししおーってんだけど、お前は?」
「なまえです」
「なまえは一人で帰るのか?」
「はい」
「……なあ家どこだ? 俺が送ってやるよ」

 いいです、と断る隙もなく彼は私の腕から荷物を奪いとる。返してもらおうとしても断固として手を離してくれなかった。こんなの初めてでどうしていいかわからない。途方にくれて金髪の彼を見つめると、

「これがないと困るんだろ。早く来いよ」

 なんて言われてしまって、大人しく付いて行くしかないのであった。ところで、見目の良いやつはどこでこんなこと覚えてくるんだろう。



「へー、んじゃ学校って言うやつは集団でべんきょーするところなんだな!」
「そうだけど……」

 あのまま押し切られる形で家まで送られて、家族がいないと知るや自宅内に押しかけられた。看病するとの名目だったのに、ずっと話しているのはいかがなものか。金髪の彼――ししおくんは終始快活で、警戒しているのと元々人見知りなのとでろくな対応できない私の態度も気にせずに楽しそうだ。一般常識が抜けている嫌いはあるけれど、見た目に反して多分いい人なのではないか。強引だけど!

「学校も知らないなんて、どこに住んでたんですか……?」
「ん〜? ここじゃねえとこ」

 そりゃそうだろうけど、なんてアバウト! 染めてなくて自毛だとしたら、外国の人なのかな。確か外国のお金持ちは学校に行かせずに家庭教師付けるって話も聞いたことあるからそうなのかも……?

「女が好きに外を歩けて、好きなこと学べるなんて、いーい国だな」
「うん、日本は治安もいいし恵まれてると思う」
「だから平和ボケしてんだろうな」
「え?」

 口にやわい感触が触れたと思ったら視界が反転して。ベッドの上に押し倒されたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。さっきまでにこにこ笑っていたししおくんは、今はその面影もない。手首をきつく握って拘束して獲物を狩るライオンのように鋭い眼差しで私を見ている。

「し、しお、くん……?」
「簡単に名前も家も教えて。隠されても知らないぜ?」

 器用に片手で腕を拘束したまま、彼は私の制服の襟元を緩めてきた。これから何をされるか鈍い頭でもわかって、力いっぱい抵抗するけれど、やっぱり男の人には叶わなかった。はだけた胸元に、首筋に、ししおくんが唇を寄せる。やっと離れたと思った瞬間、規則正しい機械音が部屋に響いた。

「あっやべ!」
『ちょっと、獅子王! あんた今どこにいるの』
「ごめん、主! 今ちょっと離れた。すぐに向かうから待っててくれ」

 あの張り詰めた空気はなんだったのかと思うくらい、あっさりと雰囲気が緩んだ。さっきまで怖かった彼は、最初に会った時のような優しい雰囲気に戻り、「ちょっと主の護衛してくる。またな、なまえ」と、何事もなかったかのように言って去っていったのだった。



 あれからししおくんの姿を見ることはなかった。また、なんて言われたから家に押しかけてくるのではないかと怯えていたのだけれど、どうやら杞憂に終わったらしい。さすがに犯罪になっちゃうもんね。ただ、トラウマになってしまったのか、私は毎日毎日ししおくんの夢を見るのだ。
 私は自分の部屋にいる。ししおくんを案内したあの部屋だ。鍵はかかっている。部屋の外から、彼が私の名前を呼ぶ。開けて、開けて、なあなまえ。開けて、おいで、迎えに来たぞ。ドアを開けていないけれど、わたしにはあの肉食獣の瞳が見える。このドアは最後の境界なのだ。開けたら、なんのちからも持たない私はぺろりと彼に食われてしまう。夢の中だけれど、押し倒された時の恐怖を思い出して返事をすることができない。あの瞳。圧倒的な支配者。ただ、ずっとドアを見つめて、そうして朝を迎えるのだ。おかげでしばらく寝不足である。
 それともう一つ。彼が口づけた場所に、奇妙な痣が浮かび上がったことも私を恐怖に陥れている。殴られた、とかではなくて。なにかの紋のようにも見える奇妙な痣。ひとつだけならばこんなに怯えることはなかった。けれども怪奇現象が二つとなると、なにか、恐ろしいものに巻き込まれてしまったのではないかと考えてしまうのだ。

「あ、ごめんなさい」
「こっちこそ……え!?」

 授業中の居眠りにまででてくるせいで気が休まらない。体育もあったせいでさらにフラフラな私は、放課後に無意識にうとうととしてから帰宅するために廊下を歩いていた。友達は部活やらバイトやらで帰っているから、私は一人だった。そのせいで、となりのクラスの女の子にぶつかってしまった。彼女は一瞬私を見て驚いた顔をすると、「こっちに来て」と手を引っ張って、どこかの教室に連れ込まれた。

「あの……?」
「いきなりごめんね、えっと、隣のクラスのみょうじさんだよね」
「はい」
「みょうじさん、最近誰か知らない男にあったりしなかった? 結構顔がいいやつ」
「ししおくんって言う、金髪をひとつに結んでる方なら、お会いしました」
「獅子王? まさかあいつが!?」
「獅子王、ではなくてししおですよ」
「違うの、彼は刀の付喪神で獅子王っていう名前の刀の……ってそれはいいの。みょうじさん、獅子王になにかされなかった!?」
「ええ、と……」

 されたはされた。けれど、あまり親しくない人に言うのははばかられる内容だ。どうしたものかと考えていると、すっと、教室のドアが開いた。彼女はドアを背にしているから気づかない。あ、と意味のなさない音が唇から漏れる。

「みょうじさん、教えて、このままじゃあなた」
「へえ、なまえの苗字、みょうじって言うんだな」

 つかまった。
 本能でそう思った。もう駄目だ。私は彼から――獅子王くんから逃げられない。

「獅子王、なんであなたがここに……」
「主が出てくるのが遅かったから何かあったのかなって。俺一応護衛だし? 怒られることじゃないだろ」
「それはそうだけど、でも獅子王、神隠しなんて」
「なあ主。戦の采配は主に従う。だけど恋愛とか私事にまで口を出される覚えはないぞ?」

 夢では越えられなかった境界線を、獅子王くんは容易く乗り越えてこっちにやってくる。ゆっくりゆっくり。歩みが遅いのが、勝者の余裕の表れのよう。でも分かる。人間は――人ならざるものに、打ち勝てない。

「なまえ、遅くなってごめんな。迎えに来たぜ」

 怯える私に優しく口付けて。また襟元をはだけさせ、そこに浮かんでいる痣を確認して愛おしそうに撫でるのであった。

「俺の物って印、ちゃんとついてるな。さあおいで、なまえ、いいところだぞ。慣れたら本丸のみんなに挨拶しような」

 境界のドアを獅子王くんに連れられ越えていく。学校の廊下ではなくて細い細い細道。さあ、とおりゃんせ、とおりゃんせ。ここは神様の細道じゃ。行きはよいよい、帰れはしない。

 神様に攫われて、私は境界の向こう側へ去っていくのだ。