「スガさんって彼女いたんですね」
「……日向、それどこで聞いてきたの?」


ある日部室に爆弾が落とされた。それは後輩が入ってきて数ヶ月、ピカピカの一年生で学校の異物だった彼らがようやく部にも馴染んできた頃の話であった。入部当初は少しごたついたものの、比較的仲の良い先輩後輩関係を築いてきた、と自認していたのだが、日向が件の発言をしたその瞬間部室内の空気は氷点下まで凍りつき俺はその意見を覆しかけた。俺たちって、軽く恋バナもできないほど心理的に距離があったのか。普通こんな後輩の言葉には笑って軽く流すのがセオリーではないのだろうか。真偽のほどはどうであれ。スガさんの彼女と聞いてやかましい二年組が騒ぎ立てないはずはないのにこの日だけは静かだった。それというのも、普段は温厚なスガがまったく笑っていない笑顔を顔面に貼り付けているからであろう。


「え、えっと、クラスにみょうじなまえって子がいて、席近くで、なんか男子バレー部に興味があるみたいでちょくちょく話してたらそんな感じの話になって、それで」
「なまえが直接言ったの?」
「そ、うです」
「そっかあ。なら隠しても無駄だな。本当だよ」


少し頬を赤らめて照れたように笑ったスガは完全にいつものスガであった。緊張の糸がゆるゆる解ける音がした。なにか気に障ることでも言ってしまったのだろうかと萎縮していた日向は元の調子を取り戻し、スゲー! 彼女! と意味のわからない歓声を上げる。固まっていた二年生たちもやかましく騒ぎ出し始める。そうして部室内はいつもの空気を取り戻して、月島は知らん顔、他のメンバーは田中や西谷ほどではないけれど少しだけ興味を示してこっそり聞き耳を立てている。


「えーーーーーー!!!! そんな! スガさん彼女いるとか裏切りじゃないっすか!!!!」
「ていうかなんで言ってくれなかったんスか!? いつから付き合ってたんですか!?」
「中学の時から……」
「そんな長くから……」


すっかりショックを受けてしまった後輩を旭が慰める。てことはもう三年は過ぎてるのかあすげえなあ、と俺は感想をつぶやいた。表面上は何でもないことのように装っていたが、実際俺はかなりのショックを受けていた。同じ部活でそれなりに仲がいいと思っていて、信頼関係だってあったと思うのに。三年も一緒にいるのに、そんな話は一度も出たことがなかった。スガは、日向と同じクラスらしい彼女の存在を少しも匂わせたことすらなかったのだ。それが、俺の心に少しだけ引っかかった。







みょうじなまえという女の子はこれまでの三年間一度も俺と旭の前に姿を現すことがなかったのに、日向によって正体が暴かれてからというものの、ちょくちょくと存在を示すようになった。まずは名前。次にクラスでの印象。スガが語る彼女の印象。ちょっとずつみょうじなまえという女の子がはっきりと輪郭を持ち始めて日向が爆弾を落とした日から一ヶ月以内にとうとう実態を伴って俺たちの前に現れた。


「先輩、今日見学の子連れてきた!!」


放課後の体育館に元気よく日向が駆け込んできて、彼が手を引いてきたのは小柄な可愛らしい女の子だった。男子部だからかみんなのテンションが少しだけ浮上する。男とはかくも単純な生き物なりや。見学、ということはマネージャー志望なのかな。清水しかマネージャーが居ない今、後輩のために彼女が引退してしまう前に引き入れたかったことは確か。絶対に逃したくない獲物である。三年ということで威圧感を与えてしまうから、なるたけ優しい笑顔を作り猫なで声で囁いた。そんな俺の姿を見て「うわっ」と悲鳴を上げた奴ら、後で見てろよ。とっちめてやる。


「主将の澤村と言います。たいしたことは何もしていないけれど、それでよかったら自由に見学していってください」
「え、ええと……なまえと言います。お邪魔にならないようにしますので、よろしくお願いします」
「みょうじさん!?」
「はいっ! そうです!!」
「ああごめんね驚かせて。マネージャー志望なのかな?」
「はい。前からバレーは好きで気になっていたんですけど、自分は運動音痴だからやるのは難しいし、どうしようか悩んでいたところ日向くんからお話を頂きまして、それで」


みょうじさんの言葉を聞いて勝ち誇ったように笑う日向。きっとスガの彼女だからと気を利かせたつもりなんだろう。これがもし、想像はできないけれど田中とか西谷の彼女だったら喜ばれたかもしれない。わーわーと姦しく騒ぎ立て、和やかな空気になったかもしれない。けれども相手が悪かった。なぜなら、この子はスガの彼女なのだ。


「なまえ!?」
「あ、こーしくん」


ほら現に、遅れてやってきたスガが、お前のこと見たことない表情で睨んでいる。


彼と彼女の特異性、つまり菅原孝支とみょうじなまえの関係の異常性に遅れながらも気づいた俺の見解を述べさせていただこう。スガはみょうじさんが他の男と関わるのを、いいや視界に映るのすら嫌悪している。みょうじさんの名前が日向の口から飛び出したとき、みょうじさんが見学に来たとき、照れるならまだしも、あのスガが人を殺しそうな顔をしたからだ。恥ずかしいから、という感情があったとしても最低三年以上も彼女の存在を匂わせもしないのは普通じゃないというか、常軌を逸している、と思う。もう存在がバレたせいか俺たちバレー部の前ではスガは彼女と普通に接するようになった。昼休み、渡り廊下の陰に隠れるようにして会話をしている二人を遠くから眺めていると、不意にスガが視線を上げた。俺をじっとり睨めつけると、唇をゆっくり動かす。


「み ちゃ だ め」