「ああよかった……無事だね? どこも怪我してないね?」
「ああ、なんともない。それより何かあったのか?」
「実はその時代に検非違使が向かったようなんだ。君をそちらに送った直後の時空の乱れも検非違使のせいかは分からないけど……とりあえず通信が遮断されていて。今やっとつながって」

 捲し立てるような審神者の語調と支離滅裂な内容に山姥切は混乱する。音声も不鮮明だし、顔が映っていないことから通信に問題が起きていたのは感じることができた。見捨てられていなかったとの安堵がひとつ。しかし気がかりなこともひとつ。

「検非違使?」
「そう、なんでも歴史が変わるような出来事が起こりかけているらしい。調査なんていい、政府にはいくらでも言ってあげる。お前のほうが大事だ、早く戻っておいで、今なら」
「すまない、気がかりなことがある!」
「えっ、山姥切!? 待ちなさい、何処へ行くんだ、山姥切!!」

 歴史が変わるような出来事と、先ほどの九鬼のあの態度。嫌な予感がする。嫌な予感がするのだ。山姥切のその予感を裏付けるように、けたたましい音があたりに響く。忘れていた、懐かしいあの空気だ。それでもどうか外れてくれますようにと願いながら、山姥切は城へと急いだ。



 人々の怒号、殺戮の嵐、鉄錆の匂い。製鉄がひと段落ついてたたら場が止まっていた時期の夜襲だったから、城に住んでいた人々になす術はなかった。人の形をしているので検非違使ではない。しっかりとした戦装束とその武器からして麓の村人ではない。ここに来る前に審神者に教えてもらった知識を思い出す。かつてこの城は一度滅びた。それならば、ここを襲っている人間は。

(この時代の、政府――)

 山姥切が元いた時代の政府の礎となる大和政権の人々であろう。優しくしてくれた人々を助けたかった。けれどそれは出来なかった。歴史を変えてしまうことになるから。それをするのは、主にも本丸の仲間にも迷惑をかけてしまうから。この城の心優しい人々を殺すだなんてどちらが鬼なのか。心を殺して、見知った顔が捉えられ、陵辱され、屠られていく中を駆け抜ける。それでも山姥切は知りたいことがあった。

「九鬼っ!」

 九鬼のことだった。あのような頼りない姿で彼女はこちらへ駆け出したのだ。殺されていないかそれだけが心配だ。彼女はこの城の主の娘だからきっと一番奥の部屋にいるはず。歯を食いしばり矢のように駆け抜ける。いつも城主がいた部屋に駆け込んだ瞬間、

「お父様ああああああ!!!!!」

 九鬼の、悲鳴が聞こえた。その声を追いかけるように部屋に飛び込むと、九鬼の目の前で彼女の父親が倒れていた。下手人は誰だ、と山姥切は目を走らせる。政権の人間ではなかった。よく見知った装束を着た九鬼の許嫁がそこに立っていた。

「お前……」
「来たか王丹。お前は九鬼にご執心だったもんなあ? こいつの方も許嫁の俺を差し置いて満更でもなさそうだったし?」
「なにを……」

 馬鹿な事を言っている。そう言いたかった。けれども奴の目は本気で、冗談で言っているわけではなさそうだった。確かに自分は九鬼と親しくしていたけれど、恋仲ではなかったのに。お前たち二人の間を引き裂くつもりはなかったのに。

「昼間こいつに俺と結婚してここから逃げようといったときの抵抗といったら凄かったぜ。余りにも嫌がるからかっとなって手をだしたら泣きながらお前の名前を呼ぶときた。腸が煮えくりかえりそうだったぜ」
「やめて……」

 九鬼の瞳から涙が一筋こぼれ落ちる。その涙と彼の言葉の意味を理解した瞬間、山姥切は目の前の男を斬り殺していた。肉を斬る感触は久しぶりだった。でも憎しみから人を斬ったのはこれが初めてだった。

「九鬼」
「王丹」

 自分がいなければこんなことにならなかったのだろうか。この城は滅びなかったのだろうか。優しい人々は鬼に喰われることはなかったのだろうか――様々な後悔が身を包み込む。けれど詫びることすら彼には許されなかった。

「王丹、お願い、私を殺して」
「なぜだ」
「お父様がいなくなった今、もうどうしようもないわ。女の身では何もできない。生きる希望も見失ってしまった。それに、わかるでしょう? 捕まったら私がどうなるかくらい。だからお願い。私のことを少しでも愛おしく、思っているのなら。どうかその手で殺してちょうだい」

 目を瞑る。覚悟している。決意は覆ることはない。どうせ自分といては幸せになれないのだ。それならいっそ――山姥切の本体が、九鬼の心臓を貫く。先ほど見てしまった身体のように柔らかくて、なめらかで、女性らしいうつくしい身体だった。この感触を生涯忘れるまい。
 望まずして「鬼」と呼ばれる少女を斬って呆然と立ち尽くしている山姥切を背後から襲うものがあった。本物の鬼――すなわち検非違使である。検非違使は、山姥切をこの時代の歴史を変更するものとして認識して襲いかかっているのだ。殺意の波動を感じても、山姥切は動くことができなかった。そんな気力は残っていないのだ。あわや破壊されるかという瞬間に、まばゆい光が彼を包み、姿が掻き消えた。



「山姥切!」

 名前を呼ばれ、はっと意識を取り戻すとそこは見慣れた本丸であった。なぜ自分が――と思ったが、足元に落ちている布を見て気付いた。緊急帰還用のお守りが発動したのだ。

「ああよかった、自分でお守りを発動して戻ってきたんだね。邪魔が入ったせいでこちらから帰還させることができなくて困っていたんだよ。ああ、本当に、よかった……」

 お守りのおかげで身体に傷はなくとも、心は限界まで磨り減っていた。けれども山姥切が自棄を起こさなかったのは審神者のおかげである。なぜ今まで気付かなかったのだろうと山姥切は思った。この声、その顔。先程までいた時代の鬼ノ城の主、そして現在の鬼ノ城の主は同じ人物ではないか!
 審神者は選ばれるべくして選ばれた。特別遠征もすべて運命の手の内だったのだ。では、九鬼は。九鬼も。

「主、聞きたいことがある。お前に娘はいるか?」

 心身が疲弊していた山姥切国広はそこで意識を手放してしまったから、答えを聞くことはできなかった。けれども目が覚めたら彼の主が答えをくれるだろう。だから今はぐっすりおやすみ。そして夢を見よう。その夢は心地よいものだろうか、それとも悪夢だろうか。結論は目が覚めた時のお楽しみ。
 果たして、写し刀はもう一度、鬼の城で夢を見ることができるのだろうか?