ずいぶん彼が気に入ったんだね、と九鬼は父親に声をかけられた。どういう真意で言っているのか分からず一瞬反応に迷ったけれど、いつもと変わらない笑顔の父親には特に他意はなさそうだった。親が決めたものとは言え、婚約者のいる、年頃の娘が他の男に近寄るなと親に言われてしまえば逆らえない時代だったのだ。

「だって珍しい髪と瞳をしているんだもの。宝石みたいで素敵」
「……他人と違うことを気にしているかもしれないから、本人に言ってはいけないよ」
「わかっているわ、お父様」
「それならいい。仲間とはぐれて一人では心細いだろうから、親切にしてあげなさい」

 優しい人だな、と九鬼は思った。容姿が少し違うせいで、鉄の武器を作ることが出来るせいで麓の村の人たちからは鬼だと呼ばれているけれど、温羅の「温」という漢字は穏やかなとか優しいとか情け深いという意味があるのだ。そんなお父様を知ろうともせずに罵倒するなんて酷いと思うのだ。
 それはさておき。実は九鬼がさっき父親の言葉を気にしたのは、彼女が山姥切を気にしているからだった。自分が城へ連れてきたからというのもある。彼の容姿が変わっていて、憧れているというのもある。けれども一番は、彼の纏う空気だった。儚げで、寂しげで、なのに鮮烈。彼を初めて見たその瞬間に、飲み込まれてしまったのだった。
気配に聡い古代人の、さらに多感な時期に、村に人たちへの少しの憎悪、それから婚約者への不安など負の感情を抱いていた九鬼は人ならざるもののそれに魅入られただけなのだった。昏い感情は良くないものを呼ぶ。あちら側へ近付いてしまう。けれど彼女はきっとそれを理解していないだろう。勘違いしたままだろう。

(仲良くなりたい、けど)

 どうやら向こうにはその気がないようだった。良かれと思って作っていった手料理は断られてしまうし。九鬼の周りに自身を嫌う人はいなかったから、このような時にどうすればいいか分からないのである。

「九鬼」
「ひゃああああっ」
「……そんなに驚かないでもいいだろう」
「け、気配消さないでよ……どうしたの?」
「いい加減、布を返してくれないか」

 あれがないと困るんだ、と言う。そう言えば初めて会った時に血の染みがついた巨大なボロ布を引っペがして洗濯したっけ、と思い出した。汚れ自体は落ちたのだけれど、端があまりにも汚いから処分しようと考えていたのだ。勝手に捨てなくてよかった。

「あれはそんなに大事なものなの?」
「ああ」
「顔を隠したいのなら、鉢巻きあげるよ。お揃いのやつ」
「あれじゃないと駄目だ」
「……そうなの」
「ああ」

 今でさえあまり顔を見せてくれないのに、あんな布をかぶってしまったらますます王丹の顔が見れなくなってしまう。だから九鬼は布をあまり返したくなかったが、本人にとっては大切なものならば仕方が無かった。

「お前たちが巻いている鉢巻きに、意味があるのか?」
「ん?」
「会う人間全員がしているから、不思議に思った」
「そうねえ、一族の決まった衣装みたいなものかしら?」

 額には神様が宿っている、というのが一族に伝わる話だった。神様は、一生を健やかに過ごすための守護神であり、あまり誰かに見せるものではないから額当てで隠しているのだ。その話をすると王丹はなんとも言えない胡乱な目つきでこちらを見ていた。

「王丹?」
「……なんでもない」

 王丹はきっとなにか秘密がある。だけどそれがなんなのか、九鬼は問うことができなかった。もしそれが自分たちに害をなすものだったら、発覚した時点で王族である自分たちは彼を集落から追い出さなくてはいけない。うつくしい鬼に心を奪われてしまった彼女には、そんなことは到底出来そうになかった。ずっとこのまま彼の仲間が迎えに来なくて私たちの中に混ざってしまえばいいのに、と九鬼は思っている。そのために、彼と一緒になっても構わない。むしろそれを望んでいるのだ。

「……王丹は」
「ん?」
「どうしてこの日ノ本に来たの?」
「自分を探しに来たんだ」
「そうなの」
「自分の居場所が欲しいんだ」

 かえりたい場所がある。でもかえれないんだ。
 その言葉は、九鬼の胸を揺らした。九鬼も、自分の居場所を探していたのだ。理由があって故郷を離れて遠い異国の地にきて、いくらそこに仲間がいたって九鬼の帰る場所はここじゃなくて海の向こうだった。生まれ育った土地への愛着は拭えない。ましてや、元から住んでいた人々から迫害されてはその気持ちも高まるもの。帰りたいけど帰ることのできない、永遠の迷子だった。

「うん、私も、だよ……」
「お前もか」
「うん、故郷に帰りたいよ……」

 ひとはいつだって帰る場所を探している。二本の足で、頼りない足取りで、帰る場所を探すのだ。そのときの胸のなかの孤独と孤独が、ひとを深く繋ぐものとなるのであった。――そう、九鬼と山姥切国広みたいに。