いつの時代の出来事かは伝わっていないけれど、吉備の国に属するとある本丸の審神者は、初期刀である山姥切国広について悩んでいた。彼ないし彼女の本丸の山姥切国広の刀は鋭く、肉体の方も極限までに研ぎ澄まされていた。本丸最強は誰かと言われたら、多くの刀が山姥切の名を挙げただろう。さてその山姥切国広は、彼の動きに誰も付いてくることができなくなってから出陣することがなくなり、本丸にて留守番することが多くなった。彼の他にも出陣を与えられず内番や稽古に勤しむものもいたが、山姥切の場合は「写しである」ことをコンプレックスに思っているせいで出陣させてもらえないのは自分が本科ではない、霊刀ではないからだと勘違いしていた。
 それを審神者の方も察したらしい。どうしようかと考えてからしばらく後、山姥切を自室に呼び出してこう告げたのだった。

「山姥切、鬼退治に興味はないか」
「鬼退治?」
「時の政府が鬼に関する調査をしているらしく、この本丸に声がかかったんだよ」

 呼び出された刀剣男士が戦っている相手のことを、その外見から「鬼」と呼ぶのが定着している。昔話の挿絵によくでてくる鬼とは外見が違うものの、なるほどその名に納得するものもある。別の世界の自分たちだの、歴史修正に同意してしまったら自分たちもああなるだの、色々噂は囁かれているものの未だに鬼の正体はよくわかっていない。正体を解明するべく時の政府は色々調査を行っているのだ。

「昔の吉備の国に鬼ノ城という城があって、そこに鬼の伝説が残っているんだ。それが本物の鬼なのかただの噂なのか確かめて欲しい。そして本物の鬼だった場合敵の勢力だと考えられるから殺して欲しいと依頼があった」
「俺たちがどうやってその時代に飛ぶんだ」
「特別遠征という形にしてこの本丸だけ新しく道を開くらしい。特殊任務だから期間が三ヶ月〜半年と長めになるけれど危険にさらされても今までの遠征と同じように強制期間がついているから安心だそうだ」
「なるほど。それは分かったが、なぜ俺を選んだんだ」

 言外に俺の他にも刀はいるだろう――と自分を卑下する響きを読み取り審神者は悲しくなった。こんなにも大事にしているのに、写だとか本科だとか関係なく彼は強いのに、そして彼は彼でしかなりえないのに、写しということに囚われている初期刀を哀れに思った。これを期に自信を持ってくれたらいいと思ったのだった。

「それは山姥切国広、お前が霊刀になりたいと考えているからだ」
「……ッ」
「私はお前のままでいいと思うけれど、お前は自分が本科でないこと、霊刀ではないことを気にしすぎている。山姥ではないけれど、同じ化物を斬ったならきっとお前も霊刀になれるだろう。それで劣等感が晴れればいいと思っただけさ」

 審神者の言葉に対して山姥切は何も言わなかった。人の身になって初めて与えられる感情がわからなかったのと、元来あまり素直ではない性質だったので自分の思ったことを言葉に出して言えなかったのだ。

「……その任務、俺が受けよう」

 不器用な彼の精一杯の言葉の真意を、審神者は読み取って優しく笑った。





 過去の時代に送られた山姥切国広は、渡された特上装備とお守り、緊急時に審神者に連絡が付かなかったときの帰還用の特殊なお守りを見て少しだけ心が温かくなったのであった。
 送られた場所をみて、彼は自分のいた本丸が政府に選ばれた理由を理解したのだった。自分が立っていた場所から多少の座標のズレがあるものの――これは彼の主の審神者が不器用でよく座標の位置を微妙にずらすのだ――山の上にそびえ立つ「鬼ノ城」とやらが、自分たちの本丸の外観と、そして建っている場所が同じだったからだ。全く知らない時代に一人行っても周囲の地形を知っているのならば生き延びられるだろうとの判断だったのだろう。さてこれからどうしようか。付喪神は最悪本体さえ無事なら食事は必要としないからいいが、安心して寝ることのできる場所を探さなくてはならない。まだ人の器に馴染んでなかった頃の山姥切ならば睡眠すら必要としなかったが、もう睡眠の習慣が身についてしまったので疲れを取るためにも睡眠だけは取りたいと思うのであった。
 人間の言う疲れとはケ、肉体の源となっている気が枯れてしまうこと。本丸にいれば審神者から神気をもらって穢れを祓うことができるが、遠く離れてしまった今はそうはいかない。繋がりが断ち切られてしまったわけではないから多少は穢れは祓うことが出来るだろうけど、それにも限界がある。だから睡眠だけは必要なのであった。神様ほど高位の存在ではない。妖怪としても低級だ。それなのに人間らしい生活も会得してしまって、俺たちは一体なんなのだろう。
 ――いや、そんなことを考えている場合ではない。よく馴染んだ、本丸へ向かうのがいいだろうか。その前にこの時代の情報を収集するのがいいだろうか。考えがまとまらないまま森の中から抜け出すと、人とばっちり目が合ってしまった。

「その見た目、お前、鬼なんか?」
「は?」
「そんな外見の奴らはここにはおらん。城の奴らの仲間じゃろう、刀なんか持ちよって、わしらから何か取り上げるつもりか」
「いや、そんなことはしない」
「鬼め! さっさといなくなれ!」

 道端にあったらしい石を投げつけられたと察したのは、鈍い痛みが頭を襲ったからだ。事を荒立たせるのは得策ではない。訳も分からないまま、そびえ立つ城へと駆け出していく。その姿を見て、農民は山姥切のことを鬼の仲間だと確信したに違いないが、そのことに考えが回る余裕もなかった。
 人は、いつだって自分に優しくしてくれた。出陣や遠征にいった時代が武士の時代だったから遠巻きにされていたのもあるが、審神者も優しい人だったし、今までの持ち主も刀の扱いは丁寧だった。人に冷たくされることがこんなにも胸にくるものだなんて、彼はまだ知らなかったのだ。

「あれ、あなたどうしたの?」

 ある程度山を上って一休みをしていると、年若い女に声をかけられた。乱や薬研よりは上だが、自分よりは年下だろう。さっき出会った男とは趣の異なる服を着ている。何より目を引いたのは、彼女に額に巻かれている鉢巻きだった。

(鬼、か?)

 政府が言っていた通り、ここが歴史修正主義者の拠点だったのだろうか。彼女の外見はわずかながら日ノ本の人間の顔の造りと異なっている。巻いている鉢巻きが角を隠していると思える。鬼か人かじっと値踏みしていると、警戒心だけは伝わったのか、優しい笑みを向けてきた。

「大丈夫。あなたも海を越えてやってきたんでしょう? 私たちもよ」
「海……?」
「あっその染み、怪我してるんじゃない? 大変!」
「っ!」

 布の下から怪我の場所を触られて痛みに顔をしかめる。馬鹿か。こいつは馬鹿なのか! 血が出るほどの怪我なら触られたら痛いに決まっている。

「見た目ほどたいしたことはなさそうだけど、ここじゃ何も手当できないわね。手当してあげるから、私たちの城にいらっしゃい」
「城?」
「そこに見えているでしょう、鬼ノ城よ」

 山の上に燦然と聳え立つ、鬼の城。後の時代に自分が顕現する場所。感慨深く思いながら、降ってきた幸運に感謝しながら、少女の後をついていくのであった。