母がまだ健在だった頃、一度だけ旅行に行ったことがある。汽車の旅である。あまり遠くへいったことのない私はガタンゴトン音をたてて走る列車が不思議で仕方がなかった。すぐに移り変わる景色も、眠気を誘う安定した振動も、私にとってはすべて新鮮で、帰り道ははしゃぎつかれて眠ってしまった。まどろみながらも、隣に座っていた母の体温を今でもはっきりと覚えている。



 金曜日にカナワタウン行きの列車に乗って廃車になった列車を見るのが習慣だ。週末になると人が多くなるので混雑を避けるためにこんな時間なのだ。騒がしいのは嫌いじゃないけれど、たまにはゆっくりしたい時もある。それに人が多いと笛の音が雑音に紛れてしまうから嫌だ。

(どうしてあんな優しい音が出せるのだろうか)

 あいにく、私には音楽の心得がないからさっぱりわからない。でも彼女は本当に電車が好きなんだろうなと思う。じゃなくちゃ、あんなに優しい子守唄は奏でられない。カナワタウンには昔の車両が眠っている。今のトレインで使われている無駄を排除したシンプルなデザインも、機能的な美しさがあってもいいと思うけれど、私は昔の車両の方が好きだ。以前他の地方に旅行に行ったときと同じ思い出のデザインだと言うこともあるかもしれない。


「よぉ、なまえ」
「ヒュウ」
「奇遇だな、こんなとこで会うなんて」


 車両を眺めながら思い出に浸っていると、ポンと肩に手を置かれた。誰かなんて声ですぐに分かった。


「そうね。ヒュウはどうしてここに? 電車なんて興味ないと思ってた」
「ひっでーな。俺だってたまには観光くらいするさ」
「本当?」
「……嘘」
「やっぱり。大方ギアステーションで迷子になったんでしょ!」


 私のセリフにヒュウはうっと言葉を詰まらせた。似たような車両ばかり並んでいるから仕方のないことだ。普通の電車と間違えて、うっかりバトルトレインに乗って途中下車する人の話は後を絶たない。シンプルなデザインは、機能的で美しいけれど、どれも同じように似通よってしまうのがいけない。


「キョウヘイとメイがバトルトレインに挑戦したいって言うから連れてきたのに、あいつら俺を置いてマルチに乗ったんだってよ。ライブキャスターでさっき連絡きた」
「相変わらずいいお兄ちゃんなんだね」
「まあな。もう四人兄弟の長男って感じだぜ」


 いいなあ、と唇から音が漏れた。一人っ子で年の近い幼なじみがいない私には一生分からない感覚だ。


「なまえ、ここによくくんのか?」
「うん」
「電車、好きなのか?」
「うん。女の子なのに珍しいって言われるんだけど」


 テツ、とまではいかないかもしれないが普通の人よりは好きだと思う。お母さんと初めていった旅行がよほど楽しかったのだろう。気付いたら、フラりとカナワを訪れるくらいには好きになってしまっていた。


「俺次の電車でライモンに帰るけど、なまえはまだ見てるか?」
「私も今日は帰ろうかな」
「じゃあ一緒に帰ろうぜ。一人で乗っても暇だしな」


 二人で並んで乗車して、隣に座る。なんでカナワに通ってんの、お母さんと初めて旅行してね、ふうん。なんてくだらない会話をガタンゴトン揺れる車内でまじわした。けれどもいつしか、ガタンゴトン揺れる眠気を誘う振動に負けて、二人で寝こけてしまっていた。はしゃぎつかれて眠ってしまったあの日の母の代わりに、ヒュウの体温が隣にあった。