てくてく草むらを歩いていると、ドサッと音がして振り向いたらそこに女の子が倒れていた。辺りを見渡しても誰もおらず、さっきそこを通ったときにも誰もいなかったのなとトウヤは不思議に思った。これから洞窟を抜けてフキヨセシティに行かないといけないのに。けれども倒れている女の子をほうって置くほど薄情でもないので、肩に手をかけてそっと揺り起こす。


「ねえ、きみ、だいじょうぶ?」
「…………」


反応がない。顔にかかっている黒髪を払いのけると珍しい顔立ちが見えた。どうやら彼女はイッシュの人間ではなさそうだ。人売りから逃げてきたとかだったら、めんどくさいな。ポケモンセンターに預けてそのままフキヨセに急ごう。そう決意して抱き上げたとき、女の子がパチリと目を開けた。瞳の色まで真っ黒で、でもどこか紫色や藍色にも見える、見たことのないその闇の深さにトウヤは息をのんだ。


「Hui, ich wurde überrascht. Halfst du mir?」
「は?」
「Ach, Wörter machen durch keinen Zufallsgehen」
「え、ちょ、わかんない。わかんない。何言ってるの」


やはり外国人という仮説は間違っていなかったようだ。聞きなれない言語に困ってしまう。どうやって彼女とコミュニケーションを取ればいいんだ。ここにいたのがチェレンなら、きっとその博識で何とかしてくれるのに。どこの国の言語かわかればライブキャスターの翻訳機能で何とかなるのにな。自分を指さしながら「トウヤ」という。「君は?」と人差し指を彼女に向けたら「なまえ」と返事が返ってきた。もしかしたら身振り手振りは共通しているのかもしれない。少しばかり安心してトウヤは続けた。


「君の名前はなまえって言うの」
「Ja!」
「じゃあ、君はどこから来たの。どこへ行きたいの」
「?」

なまえは首を傾げた。地図を引っ張り出して地面を指さし、それから地図のある一点を指しながら「今はここ」と言う。なんとなく分かったらしいなまえは、トウヤから地図をひったくってしばらく眺めたあと、ある一点を指さした。そこはフキヨセの近くにあるタワーオブヘブンだった。自分もフキヨセまでなら行くし、言葉がわからないなら一人旅も不便だろう。最初に面倒だと思ったのはどこへやら、なまえのために何かをしてやろうと考えている。根はやさしい少年なのだ。


「一緒に行ってあげるよ。一人だと心細いだろう」


どうせ言っている意味が分からないなら、と彼女の手を握り歩き出す。目をまん丸くさせてなまえは驚いたようだったが、彼の意図を理解したのか、最後には甘えるように腕にじゃれ付いてきた。






フキヨセまで向かう道の中で思ったのは、なまえは猫科の生き物のようだということだった。あっちはこっちへふらふら歩くし、興味があるものにはいつまででも眺めているし、予想外に身軽だし、ポケモンを追いかけて木の上まで平気で登ったりする。そうして降りられなくなって哀れっぽい声を上げてトウヤを呼ぶのだ。はじめは「降りられないなら登るな」と叱りつけていたが、舌を出していつまでも反省しないなまえを見て諦めてしまった。最初に歩いていたときも、もしかしたら木から降りられなくなって飛び降りただけなのかもしれないと思った。どうやらなまえに懐かれたらしく、ふらふらあちこちを探索していないときはトウヤの傍にぴったりと寄り添って腕を組んできたり甘えるのだ。小柄な身長も相まって、女の子というよりは手のかかる妹かペットみたいに思えてきてだんだん愛おしくなった。

一番大変だったのは電気穴の洞窟で、きらきら光る石にはしゃいで騒ぐなまえが野生のポケモンに襲われまくったからだ。きっといきなり大きな音をたてたのでびっくりしたのだろう。申し訳ないと思いながらも返り討ちにし、「ポケモンを驚かしちゃだめだよ」となまえを諭した。わかってくれたかどうかは怪しい。地面から吹き出すジュエルが欲しくて手持ちも持たないのに突っ込んでいくなまえを見て、トウヤは言っても駄目だと悟った。


「なまえ、危ないから手持ちを持った方がいいよ。モンスターボールならあげるから、好きな子を捕まえてごらん」


見かねたトウヤがモンスターボールを渡したけれど、彼女は一瞬きょとんとした顔をした後、かたくなに受け取ろうとしなかった。しばらくモンスターボールの押し付け合いをしたのち、突然なまえがぽろぽろと泣き出したのでびっくりしてしまった。何か、失礼なことをしてしまったのだろうか。トウヤがほとほと困り果てていると、彼女はポケットから壊れたモンスターボールを引っ張り出した。ボロボロだけど、彼女が大事にしているのは一目見て分かった。その瞬間トウヤはなまえになんてひどいことを言ってしまったのだろうと後悔した。きっと、そのモンスターボールに入っていた子が死んでしまったのだろう。その傷がまだ癒えていないのだろう。タワーオブヘブンはポケモンのお墓だ。だからなまえはあそこを目指しているのだ。


「なまえ、ごめんね」







フキヨセのジム戦を終えて、ようやくタワーへ向かうことになった。ジムが終わる前まではおとなしく待ってくれていたなまえなのに、タワーオブヘブン見た瞬間駆け出していた。大慌てて彼女を追いかける。身軽で、足の速いなまえは、女の子なのに追いつけなかった。どうしてこんなに早いんだろう。やっと彼女に追いついたときはもう最上階で、鐘の前でしくしく彼女は泣いていた。


「なまえ、なまえ、泣かないで」
「トウヤぁ……無理だよ、我慢できないよ、だってわたしとトウヤ、ここでお別れなんだよ?」
「なまえ?」


トウヤが驚いたのはなまえが発した言葉の内容だけじゃなかった。外国人の女の子が、どうして僕と同じ言葉を操っているのだろう。バラバラの言葉を持っていたんじゃなかったのか。どうして急に喋れるようになったのか。……お別れってなに?


「あのね、このモンスターボールね、わたしのなの。わたしが入っていたモンスターボールなの。ご主人がわたしを逃がしてくれたんだけど、それからわたし死んじゃったの。大好きだったご主人とお別れしたのがつらくてつらくて、ご飯食べれなかったら死んじゃったの」
「ポケ、モン?」
「うん。そう。チョロネコ」


黒にも、紫にも見える瞳。身軽な身体。気ままな性格。そう言われたら、納得できた。見かけない顔立ちなのも、元は人間じゃないのなら当然だ。


「死んじゃったけど、誰もお墓に入れてくれないから成仏できなくて、そしたらなんか人間になってて、入れてくれないなら自分からはいっちゃえ、って思ってここまで来たの。でもその途中でトウヤにあったの。なんとなくご主人に似てるから甘えちゃって、やさしかったし……でもそうしたらいつの間にかトウヤのこと好きになってて、わたし、お別れがさみしい」


わーん!と泣き叫びながらなまえが思いっきり抱きついてきた。


「そんなの、僕もだよ」


なまえにつられたのかトウヤの瞳にも大きな涙があふれていた。一緒に旅したのは一月にも満たない短い間だったけど、彼女との旅はとても楽しかったのだ。もし、死ぬ前になまえと出会えていたら、と思う。そうしたらまだ一緒に旅をすることができたのに。楽しい思い出は続くことができたのに。


「死ぬとこ、絶対誰にも見られたくなかった。でもね、それもそれでとても悲しいことだね。だから、今からわたし最低なことするよ。トウヤに嫌なことするよ」
「うん。うん」
「嫌いになってもいいから、忘れないでね」


ゆっくりとなまえが離れていって、鐘を静かにならす。澄んだ音が響き渡る。その様子をトウヤは涙でぼやける視界で見ていた。鐘の音が聞こえなくなると、なまえの姿は消えて、彼女の立っていた場所に壊れたモンスターボールが落ちていた。