夜の海ってさ、まるで異世界なんだよね。水の色も真っ黒でさ、吸い込まれそうなの。もう何度も二人共夜に来ているのに、知ったかぶって私は話す。隣に佇むレッドは聞いているのかいないのか、ふぅん、とだけ相槌をうった。


 私とレッドの出会いは小学生の時まで遡る。ちょうどお互いの環境が荒れ出したときに出会った私たちは、同類の匂いを嗅ぎとり、傷を舐め合うように仲良くなった。不幸の形は人の数ほどあれども、ここまで似通った環境の人と出会えたのは不幸中の幸いと言えただろう。どちらの方が不幸だとか自慢しあうこともなく、だからといって変に諭したりしてこない相手は都合が良かったのだ。家に帰りたくないから下校時間ギリギリまで学校で過ごす。たまには遊んでくれても毎日遅くまで残る生徒なんて滅多にいない。宿題は部屋に引きこもるための手段だから学校でするわけには行かない。だから、嫌がらずに遅くまで遊んでくれる相手が、あの頃の私たちには必要だったのだ。

 中学生になってそうはいかなくなってきたのは困った。男女の差が私たちを引き裂いたのだ。仕方なくお互い同性の友人とつるんではいたものの、やっぱり、普通の環境の子とは、話が合わない。苦手だな、と思えば人間はそれを敏感に察知する。今の私たちならうまいこと誤魔化すことができたのだろうけれど、まだ子供だった私たちはそれが原因で集団から弾かれてしまった。家でも居場所がない子供が学校でもはじかれてしまうことが何を意味するのか。はじかれたと気づいた瞬間は血の気が引いたけど、私にはレッドがいた。幸い、私もレッドも恋愛関係にだらしがない親に似て容姿だけは良かったし、いびつな環境で育ってきたせいか影を背負っていた。私たちが二人で行動するようになると、ほかの人からの干渉は全くなくなった。絵に描いたような二人が構成する世界はきっと入り込めなかったのだろう。

「レッド、絵は好き?」
「あまり。どうかしたの?」
「美術部、ほとんど幽霊部員ばかりなんだって」
「ふぅん」

 家に帰らないようにするには部活に入ることが一番自然だった。でも運動部はお金がかかるし、親には言い出しにくい。その点ほぼ活動していない美術部なら、とふたり揃って入部した。最初は日中一緒にいられなかった数ヶ月分を埋めるかのように話をした。ほかの誰の目も気にしないで話せる部室はとても居心地がよかった。私たちだけの楽園を見つけたのだ。中学校の三年間、その部室で何かをした覚えはない。歴代の部員たちが熱心に創作していたから染み付いた油絵具の匂いと、緩やかに過ぎていく穏やかな時間と、窓から見える鮮烈な夕日だけは今でも思い出せる。

 高校は学力の関係でお互いの学校が別れた。私は自宅から遠い進学校へ進んだから帰宅が遅くなりレッドと会うことは減っていった。でも自宅は近いから、お互いの都合が合うときに近所の海で会うことが習慣になった。私たちが住んでいるまちはものすごい田舎だから、ほかに若い子たちが夜に会える場所なんてないのだ。高校生にもなるともうだいぶ大人だ。処世術を身につけて上手いこと立ち回れている。相変わらず親はだらしのない生活を続けているけれど食べていくことはできる。多くを望まなければ満ち足りた生活だった。

「今度の週末も模試があるの」
「大変だね」
「ええ。休みがないから体力的にきついわ」
「君がそんなところに行くから」
「だって」
「……どうしたの?」

 だって、なんだというのだろう。将来なりたいものがあるわけじゃない。なのに、なぜわざわざレッドから離れるような真似をしたのか。レッドから離れても生きていけるか確認したのか。私とレッドを繋ぐのは、まち。この廃れた田舎の、海しかない、まち。大学へ進学して、もしくはどこかへ就職して、そうして離れてしまったらもう私たちは会うこともなくなる。環境が荒れ出したときに出会った私たちは、同類の匂いを嗅ぎとり、傷を舐め合うように仲良くなった私たちには、絆、みたいなものはあるけど関係に明確な名前はない。離れてしまったらそこでおしまいなのだ。

「ねえ、レッド、あなたは将来どうするの」
「急だね」
「いいから答えて」
「……そうだね、僕はきっと地元に就職して、そのまま朽ちていくと思うよ」
「そう、なの」
「君は?」
「え?」
「君はどうするの」

 考えたことがなかった……わけではない。仮にも進学校に進学した身の上なのだ、進路のことはそれはもう頻繁に面談が行われている。私が黙ったのは。答えに窮したのは。私と、レッドの道が分たれてしまったからで。

「私は県外の大学に進学すると思う。就職はどこになるかわからないけれど、きっと地元にはしないわ」
「そっか」
「そうよ」
「卒業したら、お別れなんだね」

 小さい頃から、ともに過ごしてきた、私の半身。ずっとずっと一緒にいたかった。でも私たちはお互いの歩む道を決めてしまっているし、諦めてまでお互いについていくと思うほどの恋の熱量も持ち合わせていない。本当に、ここで、おしまい。

「寒いわね」
「そうだね」

 隣に佇むレッドに寄りかかる。冬の、しかも夜の海から吹く風は寒いに決まっている。それを言い訳にして私は恋人みたいにレッドに寄りかかったし、レッドが唇に熱を灯したとしても、それは寒さに故に行った、仕方のない行為なのだ。