※独りよがりで偏執的なヒュウ/メリバ






00
 妹思いのお兄ちゃんとかしっかりしてるとか言われるあいつのことを昔っから頭おかしいんじゃないのって思ってるのは私だけだったみたいだ。だってさあ、あんなに完璧なんておかしいじゃん。いつもいつも彼は正しいことを正しい発言をしているけどね、人間どこかしら間違いを持つものなんだよ。皆わかんないの?ってたら「なまえは変わり者だね」って言われる。はいはいどうせそうですよー。私も私で頭のネジぶっ飛んでますよ。自慢ではないけど(と言うか自慢にはならない)、私は一般からかなりずれている部類である。例えば同じ絵を鑑賞しても抱く感想が"あり得ない"らしい。
そんな私がみんなに大人気のヒュウのことを、「頭おかしい」なんて言うものだからますます煙たがれてしまった。でも仕方ないんだ。そう感じたんだもの。私にはヒュウから違和感を感じたんだもの。けれどまあ、ずれてはいるけれど割りと常識は持っているので、私はそれ以来ヒュウのことを誰かに言うのはやめた。相変わらず違和感は抱いていたけれど、それをうまく伝えることはできないし、ますます世界から疎外されるのが嫌だったからだ。

 今になって私が正しいことが証明されたけど今さら証明されたってなんにもならないのだ。あのときもっと主張していればこんなことにはならなかったかなと思ったけれど、もう手遅れなんだよ。残念なことに。


01
 同郷の、なまえという女だけはどうにも好きになれなかった。
 俺は、自分で言うのもなんだが良くできた人間だと思う。顔の美醜なんか気にしないし、誰にも差別せず公平に接しているつもりだ。そしてそれは成功していると思う。俺は、あいつらが間違っているということを証明するために誰よりも正しくあらねばならないから、喜ばしいことだった。
件のなまえは人目を引く奇抜な服装や言動から周囲から煙たがられていた。最近はみんな成長して「なまえとはあんなものだ」と云うことを理解し、なまえが不可解な行動をとってもスルーするようになった。けれどもまだ幼いときは、殴る蹴るの暴行を加えられていた。それを何度か庇ったこともある。代わりに殴られて痛かった。相手が間違ってるから、正しいことだから、それとなまえによかれと思ってやったことだ。だと言うのに、なまえと言えば感謝の言葉すら言わず、不機嫌そうに睨み付けてきたのだ。

『なんでそんなことしたの』
『なんでって……理由なんかねえよ。当然のことだろ?』
『それがおかしい。ヒュウはおかしいよ』
『ハァ?』
『だって私、自分が苛められるの当然だと思ってる。私変なんだもん』

 ああこいつ日本語通じねえ。
 みんなが云う通り宇宙人なのかもしれない。思考回路が意味不明。感謝して欲しいわけではないが、不覚にも助けなきゃよかったと思ってしまった。それから俺にとってなまえは扱いにくい存在になった。嫌ってるわけではないが、なんとなく苦手で、どうにも好きになれないのだ、残念なことに。


02
 私にはどうしても気持ち悪いとしか思えない。
 相棒のチョロネコを抱き締めてふらりと立ち寄ったサンギ牧場でヒュウがいなくなったハーデリアを必死に探している姿を見て私はそんな感情を抱いた。ハーデリアのマスターが心配すらしていないのに、どうして他人のポケモンにあんなに必死になれるのだろうか。いなくなったポケモンを探しているヒュウは一生懸命で、まだ気温は高くないのに汗びっしょりで、唇がぎゅっと真一文字に結ばれていて。本人には失礼だけれど真剣なのが逆に滑稽で、引いてしまった。
さらに悪いことに、ヒュウの弟分と妹分のキョウヘイくんやメイちゃんまで捜索に参加させていた。素直な二人は疑うことすらせず黙々とハーデリア捜索に参加している。そんな姿が、異常で、胃の中がムカムカしてくるのを抑えて震える声でヒュウに問いかける。

「ヒュウ、何してるの」
「なんだ、なまえか。丁度いいお前も暇ならハーデリアを探すのを手伝ってくれ」
「何言ってるの……?」

 信じられない、といった風に拒絶の意を示すと途端にヒュウの目がつり上がる。

「お前こそ何を言ってるんだよ! ポケモンがいなくなったんだぜ! 事件に巻き込まれてるかもしれないって心配するのがトレーナーってもんだろ!?」
「でも、ヒュウのポケモンじゃないじゃない。なんで人のポケモンに必死になってるの? 端から見たら異常よ」
「人のポケモンとかそんなの関係ないだろ」
「ヒュウ、あなた気付いていないかもしれないけど偽善者ぶってて気味が悪いわ」
「……なまえ、お前ってやっぱサイテーなのな」

 鋭い目で睨み付けられる。普通の人ならそれで怯んでしまうのかもしれないが、あいにく私はそんな視線になれていたのでたいしたダメージはなかった。悲しいかな、普通に振る舞っているつもりでも世間とずれてしまうのだ。

「サイテー、じゃない」
「は?」
「いつかヒュウ、あなたが間違っていると気付くわよ」


03
「あ、なまえさんだ」
「どこ?」
「あそこ」

 メイちゃんの声に草むらの中から顔を出すとヒュウ兄のもとへ歩いていくなまえさんを見付けた。と同時にヒオウギからうんと離れたサンギ牧場で姿を見せたことに驚いた。彼女はぼくたちより年上で、なぜか10歳で旅立たなかったのだけれどようやく旅立つことにしたのだろうか。なまえさんの胸に抱かれているチョロネコをみて何となくそう思った。確かなまえさんは自分のポケモンを持っていなかったはずだ。

「だ、大丈夫かな……?」
「わかんない、けど。たぶん大丈夫だと思う」

 メイちゃんが心配そうに問うた。暴力とかそう言う意味ならヒュウ兄ほど心配のない人はいない。だってヒュウ兄は"悪いこと"を心の底から嫌っているから自分が同じことをするはずないのだ。ぼくは別になまえさんが嫌いではないけれど、ヒュウ兄は昔からなまえさんのことを嫌っていた。人がいいから表には出さないけれど、なまえさんの姿が近くにあるときはどこか不機嫌そうなのだ。バトルが強くて、優しくて、いつだって正しい正義のヒーローみたいなヒュウ兄に嫌われるのはよほどのことだと思う。なまえさんは、確かに少し変わっているけど悪い人ではないのにな。
 ハーデリアを探しつつ、チラチラ二人の方を伺っていた。最初は普通に話していたけれど、途中からいつものように険悪な雰囲気になり、最後はお互い何か叫んで喧嘩別れしていた。あんな姿のヒュウ兄は貴重である。そしてあそこまで怒るなまえさんも、また、貴重である。彼女も変わってはいるけど(何度も同じ表現をして申し訳ないけど、なまえさんはこう形容する他ないのだ)根は優しい人だから怒ることも滅多にないのだ。

「あなたたちは、可哀想ね」

 ヒュウ兄に背中を向けたなまえさんがこっちを向いて呟いた。ぼくたちのいったい何が可哀想だと言うのだろう。少なくともなまえさんよりは幸福だと思うけど。


04
 不愉快な男はそれからも度々私の前に現れた。歪みあってるゆえの引力だろうか、とりあえずお互いがお互いに強く気持ちを抱いているのでどこかしら引き合っているらしい。とは言っても私はヒュウのことが好きではないから、街であっても話すことはないけれど。
 そして相変わらずヒュウの後ろをついていくキョウヘイくんとメイちゃんたちに呆れると同時に可哀想に思った。そんなに懸命にヒュウの後をついていって何になるのだろう。今は同じ道を歩んでいけても、彼等は同じ人間ではないから決別して、いつか道は別たれるのに。それにあの子たちは気付いていないがヒュウにははっきりした旅の目的がある。ヒュウの本当の目的を知ったとき、それでもあの子たちはヒュウを以前と同じように慕うことができるのだろうか。

「まあ、私が気にしても仕方がないことだけど」

 ボールから出しているパートナーたちが何事かと顔をあげた。もうすぐ6つ目のジムバッチだと云うのに、私の手持ちは初めてのパートナーのレパルダスと、サンギで捕まえたデンリュウとルカリオたち以外に増えていない。このことも私が変人と呼ばれる理由のひとつになっていた。なぜなら、愛玩用に捕まえている以外の普通のトレーナーはたいがい手持ちを増やしたがるものだからだ。ポケモンがたくさんいたほうがバトルのときに有利だし、旅をするときも便利だ。ポケモンは人間より強くて様々な能力が使える。空を飛べばはやく移動できるし、洞窟内のかいりきやいわくだきも旅には必須のものである。だから気持ちはわかるけれど、私はたくさん捕まえようという気持ちにはなれなかった。
だって六体もいたら皆を愛してやれないじゃないか。たくさん手持ちがいればいるほど、一体に構ってやれる時間は減っていく。ここで大嫌いなヒュウの悪口になってしまうが、あれほどポケモンポケモンと言う割りに手持ちをギリギリの六体にするヒュウが信じられなかった。人間は生涯の伴侶を一人と定めるように、ポケモンも一体にした方がいいのではないか……と常々思っているのだけど、それを口にしたらまたなまえは変わっているねと言われるのは明白である。自分が正しいと思ったことが世間とずれてしまうのは悲しいけれどもう慣れた。思考回路は変えることはできないけど隠すことはできる。そうして私は普通の人間に擬態していくのだ。
 とはいえ、私の現在のパーティでは水上が進めないからみずタイプをゲットしなくてはいけない。私のポリシーには反するけど旅をする上では仕方のないことだと割りきって、一目で気に入るような運命の相手が見付かりますようにと祈りつつ、私は水面にブイを投げた。


05
 違和感を覚えたのはいつからだろう。
プラズマ団と名乗る怪しい奴らとバトルして、気付けばキョウヘイもメイもプラズマ団が間違っていると思っているのだけど、俺と違うみたいなのだ。思考回路や方向性は同じだけれど、どこか俺たちには温度差があった。ヒュウ兄、ちょっとやりすぎなんじゃないかな。ヒュウ兄、そんなやり方じゃ伝わらないと思うんだ。何言ってるんだよ相手はプラズマ団なんだぜ。他人のポケモンを奪う悪い奴らなんだぜ。そうだけどね、それは解っているけどね……じゃあ、なんだよ。何が言いたいんだよ。
一度亀裂が生じてしまえば、流れ落ちる水のように、止めることはできやしない。

「もうぼくたちはヒュウ兄についていけないよ」

 ある日、二人に呼び出されて俺は別れを宣告されたのだ。可愛い弟分と妹分の言葉は俺の心臓に深く突き刺さった。ぐさり。とても痛い。二人が心臓に突き刺したナイフは血液のまわりを悪くする。痺れた手足では上手く立てずにその場にしゃがみこむ。何もせずつらつら考えていると、いつだったか大嫌いな、いけすかないなまえに言われた言葉を思い出した。

『いつか、あなたが間違っていると気付くわよ』

 自然と握り締めていた拳から真っ赤な血が滴り落ちる。お前たち二人が俺の心臓に突き刺したナイフが具現化してしまったんだなァ、とぼんやり思った。そう言えば、なまえは俺が間違ってるって知っていたのだろうか。こうなることがわかっていたのだろうか。いったい何を間違えたんだろう!


06
「駄目だ、ここじゃ上手くいかない」

 まったくどうして、ヒュウと私の因縁はここまで強いのであろう。お互いに嫌いあっているのだから放っておいてくれてもいいじゃないか、ねえ、神様。未だかつてヒュウといていい思いをしたことがないので、釣竿を握りそそくさと逃げだそうとしたら。何と言うことだろう、まさかのまさか、ヒュウにしっかりと腕を掴まれて阻止されてしまった。

「なまえ」
「ど、うしたの」

 デンリュウにでんじはを頼んで逃げ出そうかと考えはしたものの、陰気と云うか、このままほって置いたら自殺でもしそうな雰囲気のヒュウを見てやめた。私もたいがいお人好しだ。逃げる素振りをやめてもヒュウの私を掴む手の強さは変わらない。痛いなぁ、これ、痣になっているんじゃないだろうか。ヒュウ、痛いよと呟いても止めてくれない。原因は何か考えてみたらいつもヒュウの側にいたあの子たちがどこにも居ないことから何となく察した。きっとお別れを言われたのだろう。可哀想なことだ。

「なまえ、お前さ、前に俺が間違ってるっていったよな……?」
「言ったよ」
「教えてくれ!」

 ぐっと強く腕を引っ張られた衝撃でヒュウの上に倒れ込む。変なバランスだというのに気にしないまま、彼は私の肩に手をかけて揺すぶった。

「なぁ、なぁ、俺の何が悪かったんだ? 今までヒュウ兄ヒュウ兄って慕ってきたくせに否定なんかしなかったくせに俺はいつでも正しく在ろうとしてきて、辛いことや嫌なこともたくさんたくさん──嗚呼、」
「ちょっと、落ち着いてよヒュウ」

 目がマジだ。イッちゃってる。皆はあなたのこといい子だとか言うけれど、やっぱ頭おかしいよ、アンタ。気付いてないの? 気付いていないから今こんなに壊れちゃってるんだろうけどね。

「デンリュウ!」

 興奮したヒュウの手がとうとう首まで伸びてきて、さすがに危機感を覚えたのでデンリュウにでんじはをかまして貰った。バタリと私の上で気を失ったヒュウを見て、助かったと安堵の息をついた。

「あなたの間違っているところはね、間違っているとこがないところだよ、ヒュウ」

 人間誰しも不完全な部分を持っているものだ。それを無理に押し隠そうとするから歪んでしまうのだよ。もっとも、平気で人を傷付けるようポケモンに指示するようなトレーナーに言われたくないだろうけどね。仕方ないね。


07
 ポケモンセンターのベッドの上に横たわるヒュウの、女の子よりもさらに白い喉を見て絞めてやりたい衝動に駆られた。伸ばしたその手をデンリュウの電撃で叩き落とされ我に返る。

「またやっちゃった」

 殺してやりたいほど憎くはない。そもそも私はベクトルがどっち向きであれ、他人にそこまで感情を抱いていない。他人を好きでいるのも嫌いでいるのもたいそうエネルギーのいることだからあまりしたくないのだ。けれど、まあ、これが変わっているところだと思うのだけど、弱者が強者を虐げるのが大好きなのだ。この世の中は弱肉強食、強いものが正義だという現実を──そして自分がその"強者"になれない現実を──はやいうちから知ってしまった私はひねくれて育ってしまった。強いものが常にいい思いをしているのだからね、たまには私みたいな弱い奴が勝ってもいいんじゃないかなぁって。そんなことを思ってしまうと、ついつい手が出てしまうのである。

「昔ね、ヒュウは苛められていた私を助けてくれたよね。でも庇ったヒュウが信じられなかったよ」

 自分がそんな浅ましい性格なものだから、自分ですら自分が他人に虐げられるのが当たり前だと思っていた。私の浅ましい考えを皆は理解しているから苛められるのだなぁ、くらいで。助けれてくれたのに酷いことを言ってしまったと気付いたのは最近である。ヒュウの規則正しい寝息を数えて暇を潰していると、ちょうど千を越えた辺りでぱちりと赤色の目が開かれた。

「ここ何処だよ」
「あ、起きた?」
「……なまえ」

 私を視界に入れた瞬間に寄せられた皺に、ずいぶんと嫌われているなと自嘲してしまった。でもそれだけ他人に何をされようが気にせず許すヒュウにどす黒い感情を向けられているのだと思うとゾッとした。重たい。彼のベクトルは愛ではないけれど、重たい。誰かに特別な感情を持たれるのもまた、あまり好きではないのである。

「私でごめんね。でも昨日いきなり倒れたヒュウをここまで連れてきたのは私なんだからもう少し感謝してくれてもいいんじゃないの?」
「……あんがと」
「どういたしまして」

 嫌みを返せば、案外素直にお礼を言った。なんだ、可愛いところもあるじゃないか。

「昨日さ、俺、かなり落ち込んでたからあんま記憶がないんだ」
「そうみたいだね。普段と雰囲気違ったよ」
「……迷惑かけた、か?」
「は?」

 質問の意図がわからなくて疑問に疑問を返す形になった。迷惑とか私は気絶させたのだし、それに人が倒れていたら助けるのは当たり前じゃないのだろうか。と考えてはたと気付く。ああそうか、ヒュウは正しくあろうとするあまり、他人に迷惑をかける自分が許せないのか。

「可哀想だね」

 ヒュウに聞こえない程度の声量で呟く。凝り固まった考えしかできないあなたは本当に可哀想だよ。


08
「ねえ、あなたは先へ進まないの」


 サザナミタウンの海岸でぼうっと海を眺めているヒュウに私は問うた。何度も何度もブイを投げ、ポケモンを釣り上げては何をするでもなく逃がすのを繰り返している私は端から見たら滑稽であろう。隣にデンリュウがスタンバイしていてゲットの準備は万端なのけれど中々「この子だ!」とビビッと来る子を釣り上げることができないので先へ進めないでいる。

「なんか……もう良いかなぁって思ってな」
「ふぅん」
「俺がいなくてもあいつらは上手くやっていくさ」

 答えるヒュウの言葉に生気が感じられない。あれほど毛嫌いしていた私に普通に接するほど人生に投げやりになっているから仕方がないのかもしれない。元気付けてやろうとか思う間柄でもないので、運命の相手に出逢えるまでの間の暇潰しに会話でもしようじゃないか。……とは思ったものの私たちに共通の話題はなくて結局黙ることになるのだが。サザナミタウンはリゾート地であるだけあって、日差しが心地好く、隣にいたデンリュウがすっかり夢心地になってしまった。どうせしばらく釣れないようだからいいけども。

「なあ」
「はい」
「なまえはどのポケモン狙ってんだ?」
「種族は特に決めてない。欲しいなって感じる子が出てくるのを待つだけ」
「……相変わらずわけわかんねぇ思考回路だよな」
「理解して貰おうと思ってない。ほっといて」

 つっけんどんに返すと可愛くねーの、とのお言葉を頂いた。そんなの自分がよく知ってるわ。

「なあ、釣竿で釣れねぇんだったらなみのりすれば?」
「私はみずポケモン持ってないから無理」
「なんだよ。もしかして手持ち前にタチワキでバトルしたときと変わってないのか」
「うん」
「信じれねぇ……」
「だって運命を感じる相手がいなかったもん。私は今いる子達で充分」
「じゃあ、俺がダイケンキにのせてやろうか」
「え」

 パチクリ、と長い時間をかけて瞬きをしたのが分かった。どんな人でも困っている人を捨て置けないなんてヒュウはどれ程出来た人間なのだろう。その偽善者っぷりには吐き気がするけれど。

「いいの」
「どうせ、もう、することないしな。俺の旅はおしまい」
「じゃあお言葉に甘えさせて貰う」

 ヒュウと共にダイケンキに二人乗りして、デンリュウはケンホロウに乗せて貰ってサザナミ湾を遊泳した。頬に当たる潮風が心地よくてなみのりをするために絶対みずポケモンをゲットしようと心に誓った。
ゆらゆら、ゆらゆら、二人で波に揺れて。けれど私のビビッと来る子を見付けることが出来ないまま日が暮れた。ポケモンセンターに戻ろう、夜は危ないよ、とヒュウに声をかける。ああそうだな、なんて返事をした癖にヒュウが降り立ったのはサザナミ湾の真ん中にある砂浜だった。


09
「ヒュウ……?」

 酸素の足りない金魚みたいにパクパク口を開けるなまえは、相変わらず小生意気そうな目付きをしていた。その、目。その目が気に食わなかった。嫉妬から生まれる憎悪じゃなくて俺のことを心の底から嫌っている目。生理的嫌悪感っていうやつ? 昔から、理由もなく俺を嫌っていたなまえが誰よりも正しく俺のことを理解していたのだからとんだ笑い話だ。もしかしたらなまえが最初のパートナーにチョロネコを選んだことも偶然ではなかったのかもな。
 にゃーん。タチワキで聞いたなまえのチョロネコの鳴き声が、妹のチョロネコの鳴き声と重なって聞こえる。あのときは俺が勝ったけれど、現時点で可能な最大限のバトルだった。なまえとチョロネコが解りあえているなんてそんなの、知りたくもなかったよ。にゃーん。にゃーん。ああ、ああ、奪われたのが妹のではなくて、なまえのチョロネコならよかったのに!

「私を殺すの?」
「殺す?……ああ、それもいいかもな」

 怯えるなまえを上から見下ろすのもいいものだ。女のなまえは俺より小さくて柔らかくて、脆い。前はそれらを守らなくてはと義務みたいに思っていたけれど今は逆だ。壊してみたい。大嫌いだったあいつらの気持ちが痛いほどわかってしまった。弱いものを虐げるのはたいそう気分のいいことだ。

「でも、女を壊すのに一番いい方法は違うだろ?」
「や、だ……!」

 必死に抵抗してもなまえはやっぱり女の子で、俺よりうんとうんと弱くて力じゃなんともならない。
 さよなら、正義のヒーロー。
 なり損なった俺はただの人間の屑だ。

「え、なんか寒、い」

 唇が首筋に触れる直前、なまえが言った。次の瞬間にドゴォン、と耳をつんざく破壊音が聞こる。音と同時に俺も真冬と勘違いするようなとてつもない冷気に身を震わせた。

「いったい何が……?」

 俺の問いに答えるようにピピピピ、とライブキャスターが着信を告げる。画面に映ったのは、砂ぼこりにまみれた可愛い弟分と妹分の姿。

『助けて、助けてヒュウ兄!』
「キョウヘイ、メイ?! お前ら今どこに、」
『ソウ……リュウ…プラズマ団……が…たす……』
「おい!」

 突然切れたライブキャスターに腹立たしげに舌打ちをし、何か大変なことが起きているであろうソウリュウに向かった。なまえ? あいつのことなど知るものか!


10
「信じらんない」

 あっさりと私を捨て置いてどこかへ言ったヒュウに呪いの言葉を吐く。犯そうとまでした女を置いて別の女のとこに行っちゃうわけ? 本当、あいつ頭おかしーんじゃないの!
しかもご丁寧に水上に置き去りにしてくれたからまちへ戻れもしない。突然の異常気象で寒いっていうのにこの仕打ちはなんだ。珍しくわいてきた感情に流されるまま、そっと呪いの言葉を呟く。

「次にあったら殺してやろう」

 次の日、海の水が凍っていたのでその上を歩いてサザナミタウンへ戻った。ポケモンセンターで簡単に朝食をとり、ソウリュウへ向かう。ひこうポケモンをゲットしておけば良かったと後悔したものの後の祭りである。仕方なしに徒歩で向かっていると黒い服をきた怪しい人影を遭遇した。なんだっけな、見たことある。無遠慮にじろじろ眺めていると、気分を害したらしい黒服の女がこちらへやってきた。

『プラズマ団』

 胸につけられたマークを見て、それが昨日ライブキャスターから途切れ途切れに聞こえた団体の名前だと気付くとそこからの私の行動ははやかった。デンリュウに目線で指示をだしでんじはを放つ。黒服はこちらに来る前に地面に倒れ伏してた。私は人影を人目につかない場所へ引き摺って移動すると衣服を剥ぎ、それを着込んだ。プラズマ団が悪いことをする団体ならあくタイプのレパルダスを連れていたらバレないだろう。ちょうど団服も顔が隠れる仕様になっているし、これならどさくさに紛れてヒュウに近付いても私だとバレまい。あとプラズマ団の仲間にも。黒い服を身に纏い、通信機らしいものも装着し、ついでに彼女のポケットからモンスターボールを漁った。

「これは」

 すごいラッキー。ゴルバットがいる。これでソウリュウまでひとっとびじゃないか。

「ゴルバット、ソウリュウまで」

 追い剥ぎまでできちゃう私は本当に浅ましい、欲深な人間だとは思うけれど目的のために手段は選んでられないのだから仕方がない。
首洗って待ってろよ、ヒュウ。


11
 連絡を受けキョウヘイとメイの所へ駆けつけると大変なことになっていた。プラズマ団がいでんしのくさびと云う道具を盗むために派手にやらかしたらしい。必死に応戦したものの結局は奪われてしまったことも聞いた。

「ヒュウ兄……! うわあああああん」
「怖かったよおおおヒュウ兄ぃ」

 俺の姿を認めた瞬間に泣き崩れた二人を抱き締める。砂埃で汚れてしまった身体は冷えきっていて、こんな小さい身体で大人に立ち向かっていたのかと思うと、胸が痛んだ。こいつらが頑張っている間、自分は何をしていたのだろう。なぜこいつらを守ってやらなかったのだろう。プラズマ団とそれからさっきまでの屑に成り下がる寸前の自分へふつふつと怒りが沸き上がる。

「よしよし、怖かったな。よく頑張ったな」
「うわあああん!」

 ひとしきり泣いて落ち着いた後に二人は「泣いちゃうなんて子どもみたい」と恥ずかしそうにはにかんだ。涙でぐしゃぐしゃなった顔をふいてやると、安心したような甘えた表情を見せる二人が可愛くてたまらない。俺に抱き着いたままの体勢だったキョウヘイとメイは離れてから最初は遠慮がちに、次第に強い意思を持って俺に訴え始めた。

「あのね、ヒュウ兄」
「ぼくたちはもう一度あいつらと戦いたい。いでんしのくさびを取り返さなきゃイッシュが大変なことになる」
「あんな酷いこと言ったあとで図々しいのもわたしたちが弱いこともわかってるの」
「ヒュウ兄、お願い、一緒にきて」
「けじめをつけたい。でも意気地無しなわたしたちを助けて」

 誰が、誰がこの二人を意気地無しだなんて思うものか。小さい身体で悪い大人に向かっていって。懸命に立ち向かうイッシュのヒーローを馬鹿になどするものか!

「もちろんだ。一緒にあいつらをやっつけようぜ!」


 同じ服を着た集団に紛れて私は怪しい船に乗っていた。最初はヒュウのあとを追いかけてソウリュウへ向かっていたのだけれど、奪った通信機器から集合命令がかかったのだ。

「ちっ、こんなときに」

 しかしやたら統率のとれている団体みたいだし、ここで和を乱すのはあまりよろしくない。どうせあの正義のヒーロー気取りのヒュウのことだ、悪の組織に乗り込んでくるくらいのことはするに違いない。ならば、とゴルバットに頼んで集合することにしたのだ。
黒服の会話を拾って推測した憶測によると今はイッシュ征服の最終段階らしい。そのせいか異様な興奮をみせる集団は注意力が散漫になって入れ替わりに気付いておらず私は簡単に成り代わることができた。

(なんというか、クズの集まりの組織だなあ)

 私が言える義理ではないのだけれど、したっぱの様子を見ていると思う。聞けば手持ちは全部盗んだポケモンらしいしポケモンは道具扱いだし。いくら性格の悪い私だってそこまでじゃない。まあ、だからこそヒュウは潰しにやってくるという確証があるんだけど。

「緊急事態発生。内部に侵入者あり。例の子どもたち三人。直ちに排除せよ」

 ──やっと来たね。
 突然鳴り響いた侵入者を告げる警報に、私はほくそ笑んだ。そして一気に騒然となった館内に紛れて私はいち早く駆け出していった。この騒がしさならバレまい。相棒のレパルダスとルカリオを連れて走る。ヒュウが悔しさに顔を歪ませる姿が楽しみで仕方がないよ!

「なまえさん!?」
「キョウヘイくん、メイちゃん」
「なまえさんがどうしてここに?」

 角を曲がったときにばったりと二人に出会した。そうか、確か放送では例の子どもたちって言ってたな。ヒュウに連れられてバトルしていたこの子たちがこの局面になって事態を投げ出すとも思えない。世の中には素晴らしい人間ばかりで生きるのがつらくなるね。

「……その格好、なまえさんもあいつらの仲間なんですか?」

 ギラリと肉食獣の目で睨まれて背筋に悪寒が走った。さすがは本物の英雄だと思う。オーラが違う。皆はヒュウこそがヒーローみたいな感情を抱いていたけれどヒュウに可能性を食い潰されていたけれど、実際のところ、英雄になるのはこの二人のうちのどちらかだろうと思う。ヒュウみたいに目に見えて分かりやすい正義ではなくて、万物を拒絶せずに受け入れる優しさとか、分かりにくいけれど二人は他人とは違うのだ。

「違うよ! これは潜入するための変装。それより二人はどうしてここに?」

 白々しい嘘を吐くと二人からの威圧感はなくなった。どうやら信じてくれたらしい。いつもみたいなふんわりとした笑顔に戻った。

「いでんしのくさびを取り返しに」
「あ、なまえさん潜入してたならどこにあるかわかりませんか?」
「今探ってるんだけど情報が錯綜してて……でもゲーチスの部屋ならあっちだよ」
「あとヒュウ兄知りませんか? 先に行ったみたいではぐれちゃったんです」
「ヒュウも来てたの?」
「じゃあなまえさんはヒュウ兄と会ってないんですね……」
「ごめんね」
「いえ、大丈夫です」
「気を付けてね」
「はい!」

 二人を見送ったあと私は立ち止まって思案する。警報がなってそんなに経っていないのに二人はもうこんな奥まで来ていた。

「と言うことはもうヒュウはゲーチスの部屋までたどり着いている……?」

 そんなことされたら私じゃもう手出し出来ないじゃないか。したっぱは騙せても幹部や、特殊な訓練を受けたダークトリニティたちを騙せるとは思えない。それにあの二人の前じゃ何もできない。

「はやくゲーチスの部屋に行かなきゃ」

 そうだ、誰か私が最初にヒュウに抱いた感想を覚えている人はいないだろうか。覚えていない人のために言うけれど、私はヒュウのこと"頭おかしいんじゃないの"ってずっと思っていた。どうやらその勘は正しかったみたいで。やっぱりヒュウはどこかおかしかったのだ。
 だってねあのね、ヒュウ、──壊れちゃった。


 うっかり方角を間違えた私がゲーチスの部屋にたどり着いたときにはもうすべてが終わっていた。逃げたしたらしいゲーチス、立ちはだかるダークトリニティに応戦するキョウヘイくんとメイちゃん、それから絶望にうちひしがれたヒュウ。

「え……何これ、どうしたの」
「なまえさん、ヒュウ兄のことお願いします!」

 異常な空間に思わず情けない声をあげてしまった。ヒュウを置いて、それでも物語はとまることはない。わき役は世界に置いていかれてしまうんだよ。悪いやつらを追いかけて駆け出した2人が部屋からいなくなると、そこには呆然としているヒュウと、威嚇してくるレパルダスと私が取り残された。興奮したポケモンは危ないので、いざというときのためにルカリオをだす。

「ひ、ヒュウ……」
「なまえ」
「どうし、た、の」
「頭の中がグチャグチャで……どうしていいかわかんねーよ。やっと会えたのにこいつオレをにらみつけてる……なんでだよ……!」

 きっと、このレパルダスこそがヒュウの旅の目的だったのだろう。唸り声は、嫌だね。つらいね。他者から疎まれる声は本当に、痛い。平気なふりをしていても見ないふりをしていても、もう感覚さえ麻痺しただろうってくらい浴びせられても切れ味の鈍った刃を突き刺してくるんだから。

「世の中は、理不尽なんだよ」
「ちが、」
「どんなに自分が正しく在っても周りもそうだとは限らない、テレビや漫画みたいに上手くいくとは限らない。世界は、限りなく理不尽だ」

 違う、違うと首を振り、耳を塞いでいた手をレパルダスの方へ伸ばす。気が立っているレパルダスは躊躇いなくヒュウの手に噛み付いた。真っ赤な液体が彼の柔らかな肌を突き破って現れる。錆びた、鉄の匂い。痛いはずだろうに少しも声を漏らさないヒュウが心配になる。そっと近寄り顔を覗き込んで、すべてを悟った。
 私が手を下すまでもなくヒュウは壊れてしまった。長年の間固い固い意思で盲信してきた"正義"を打ち砕かれた彼にはもう何も残ってない。硬いものは。強いひとは。めったに壊れることはないけれど、いったん壊れてしまったら打たれ慣れてない分とても脆い。

「なまえ」
「うん」
「なまえ」
「うん」
「オレのしてきたこと、何だったんだろうな」
「さあねえ」







 さて、それからのお話。
 キョウヘイくんとメイちゃんが悪いやつをやっつけて、私たちはレパルダスをボールに入れることに成功してエンディング。二人は旅を続け、ヒュウはまだ頑ななレパルダスの心を開こうと奮闘中だ。表向きは平和である。けれど、ヒュウの心はまだ、あのときのまま壊れてしまっているのだ。

「なまえー」
「笑顔が気持ち悪い」

 あの日失ってしまった正義の変わりに間違っていた自分を否定し続けていた私を新しい正義にしちゃったのだ。今までの負の感情が嘘みたいに私を甘やかすヒュウに吐き気がする。まあ、でも私も折り紙付きの変人で大概に頭がおかしいので。ヒュウの依存を何だかんだで受け入れているのだった。おしまい。