お嬢様なんてものに生まれてしまうと、他の人より恵まれてはいるけれど、何かと不自由だ。 広い部屋に綺麗な洋服、欲しいものはなんでも手に入る。ただしその代わり礼儀作法や華道、ピアノといった厳しい教育も待っている。そしてたぶん、一番酷いのは婚約者まで決められていることだろう。もう何年かしたら私は会ったこともないお坊っちゃまのもとへ嫁いでいく。仕方ない。ずっと良い暮らしが出来る代償なのだ。これが私の運命だ。 お嬢様であるためには品格も大事なのである。お父様とお母様に最初のポケモンはヨーテリーが良いと言ったら、お前には相応しくないわ、なんて突っぱねられてしまった。進化したときに怖い顔になってしまうのがダメらしい。男なら威厳があって良いのだけど、女の子のお前にはちょっとね、そうだチラーミィなら良いわ、可愛らしいし。 チラーミィ。お母様が言ったのは友人のお嬢様たちが可愛い可愛いと言ってこぞって欲しがっていたやつだ。確かにチラーミィは可愛らしいけれど、私は欲しくなかった。そこで私は最初のポケモンはイーブイが良いと駄々を捏ねた。なんでイーブイにしたのかと言うと、茶色くてふわふわなのがヨーテリーに似てたのと、イッシュにはいないポケモンだからお母様が諦めると思ったからだ。イーブイ、とお母様は小さく漏らした。 「そうね」 可愛らしいし、珍しいポケモンだから良いかもね。なんて言ってわざわざカントーからイーブイを取り寄せてくれた。ボールから現れたその子は私を見てきゅう、と一鳴きした。そして愛らしい仕種で私に擦り寄ってきた。私はヨーテリーが欲しかったことも忘れ、一目でその子の魅力に夢中になった。その子が私の最初で最後のパートナーだった。 「まあ、可愛いらしいイーブイ」 「女の子なの?珍しいのに、凄いです」 「流石なまえさんね。格が違いますわ」 ああお母様がイーブイを許してくれたのはこれが理由か。そこまでして身分を自慢したいのかと嫌な気持ちを抱いた。きゅう、と腕の中でイーブイが鳴く。大丈夫よと彼女の頭を撫でる。それで私とあなたが出逢えたのだから、平気。 異変を感じたのはいつだろう。 少しずつ身体が痒くなって、最初は薬で治っていたけどいつしかそれも効かなくなって、私の肌は醜く爛れた。医者に通っても治らず、そのまま悪化した。とうとう喘息まで出てきた。 「ポケモンアレルギーですね」 金にモノを言わせて予約を取った、名のある医者は言った。そんな、家には昔からタブンネが居て、とお母様が反論する。それもそうである。私の家ではたくさんのタブンネがメイドと一緒に働いていたからだ。 「おそらくポケモンの毛が駄目なんでしょう」 目の前が真っ暗になった気がした。そうしたら私は、この子を。 汚れた空気より新鮮な空気の方が身体に良いから、と私はカラクサにある別荘に移動させられた。肌触りの良い寝具を身に纏い、私は夜空を見上げていた。傍らには赤と白のモンスターボール。あの子を閉じ込めている憎らしいボール。あの日以来、あの子をボールから録に出してやることすらできなかった。 (このままでいることが、この子にとって良いことなのかしら) 私は昼間の演説を思い出していた。閉塞感に溢れた窮屈な部屋で聞いたあの演説。ポケモンの解放。私以外になつかず、他の人に世話を任せれば暴れるからボールに閉じ込められることになったあの子。部屋に閉じ込められた息苦しい毎日は、ポケモンにとって、ボールに閉じ込められていることに等しいだろう。だから私は思うのだ。逃がしてやった方が幸せじゃないのかと。 「…………」 赤と白の球体を夜空に輝く月の光に透かす。つぶらな瞳をしたあの子がじっとこちらを見ていた。 寝具に上着を羽織ったままの格好で夜の闇の中を歩く。真夜中過ぎの田舎町は暗くて冷たい。みんな寝静まっているから私が土を踏む音が妙に響く。私が目指すのは二番道路。まだ野生ポケモンのレベルの低いあそこなら、新米トレーナーしか通らないあそこなら、弱くて苛められることもないし悪い人に利用されることもなく、きっとあの子も幸せに暮らせると思うのだ。 ──さよならだね。 私はボールの開閉スイッチに手を伸ばしたそのとき。 「こんな夜中に何してるの?危ないよ」 「あ……」 誰かが私の腕を掴んだ。ちょっと低い声から男の子だと思うのだけれど、逆光で顔が見えない。怖いと反射的に思った。ギュッと目を瞑ると同時に「痛っ」と悲鳴が聞こえた。 「イーブイ!」 「噛みつくなんて酷いなあ」 悲鳴の発生源は男の子で、原因は私のイーブイだった。私を守ろうとボールから飛び出して、男の子に攻撃したのだ。 「ごめんなさい……!」 小さい身体を精一杯毛を逆立てて大きくして、全身で威嚇しているあの子を彼から遠ざける。抱き上げられたイーブイは、きょとんとした顔で私を見上げた。きゅう、とあの子が鳴く。私は答える。 「良いの。悪い人じゃないから大丈夫よ。ちょっとびっくりしただけだから、平気よ。ありがとう……」 きゅう、ともう一度あの子が鳴いて、甘えるように擦り寄って久しぶりの私の腕の中を満喫していた。その様子を見て、私はますますこの子を愛しく思う。可愛い可愛い私のパートナー。私はあなたが大好きで仕方ない。 「ずいぶん君になついてるんだね」 「この子、私以外になつかないの」 「そうなんだ」 「メイドが世話をしようとしても暴れるから、ボールに入れるしかないのよ」 「メイド?」 あ、失敗した。普通の家にはメイドなんかいないから、内緒にしなきゃいけなかったのに。怯えたように彼を見ると、彼は苦笑いを返した。 「そんなに怖がらなくても僕はなにもしないよ」 「そう、ね。ごめんなさい」 「謝らなくていいよ。僕はトウヤ。君は?」 「私はなまえ」 「なまえ。可愛い名前だね」 目を細めてトウヤは笑った。ふんわりしていて優しそうな笑顔だった。ふと突然、私の婚約者もこんな風に優しく笑うひとがいいと思った。 「……あ。ごめん。知らない奴にいきなり言われても困るよね」 「そんなことないわ」 「なまえも眠れなかったの?」 「え?」 「昼間の演説、なまえも聞いたんだろ」 トウヤの言葉は、私のしようとしていたことを指摘されたみたいだった。頬に血が昇る。熱い。 「ポケモンを傷つけたりするひとからは解放すべきだけど、僕は君はそんなひとじゃないと思う」 「違うの!」 やっぱり。やっぱり。トウヤは私のしようとしていたことに気付いていたんだ! 「私だってこの子を手離したくない!」 「なまえ?」 「手離したいなんて思うわけないでしょう!私はこの子が大好きだもの!」 「なまえ、落ち着いて」 「こんなに優しくて、可愛くて──でも私じゃこの子を幸せにできないからっ!だかっ……」 恥ずかしさと、役に立たない自分への苛立ちを怒りに変えてトウヤにぶつけた。こんな私を醜いとは思うけれど、止めることができなかった。困惑しているトウヤに頭の片隅で申し訳ないとは思いながらもさらに声をはった。久しぶりに大声をあげたからだろうか。それともあの子が腕の中にいるからだろうか。襲ってきた発作に地面にくずおれる。そしてそのまま酸素を得ようと必死にもがいた。 「なまえ!?」 「っげほ、……はぁ、げほ、っ……うぅ」 トウヤが背中を優しく叩いてくれる。少しだけ呼吸が楽になって、だんだん落ち着いてきた。ひゅうひゅう喉が鳴る。だけど心配そうにしている彼を安心させるために無理やり言葉を紡ぐ。 「大丈夫?」 「ごめんなさい……アレルギー性の発作なの。慣れてるから大丈夫よ」 「そう?何が悪かったんだろうね」 「私ポケモンアレルギーなの。ポケモンの毛がだめみたい」 「え」 トウヤが大きく目を見開いた。イーブイが私に擦り寄って来るのを頭を撫でてからボールへ戻す。そして自嘲気味に笑った。 「この子は私以外になつかないし、私はポケモンアレルギーだからボールに閉じ込めるしかないのよ。それが可哀想だから、私はこの子を手離すの」 「そんなの……じゃあ、進化させれば良いじゃないか」 「どうやって?家名ばかり気にするお母様は石で進化させるのが普通だからと石進化を許してくれない。なつき進化の2体は毛があるからだめだし……実力のない私じゃネジ山に登れないわ」 「じ、じゃあ」 私のために何か解決策を見つけようとしているトウヤ。彼はとても優しいひとだ。私は赤と白の球体を見つめる。中からつぶらな瞳がこちらを見ている気がした。それからそれを、まだ悩んでいるトウヤの眼前へ差し出した。 「なまえ?」 「あげるわ」 「そんなこと!」 「私はもうこの子と一緒に生きれない。家にいてもどうせ政治の道具にされるだけだわ。逃がすのは駄目なのでしょう?なら貴方にあげる。ひととポケモンが共存できることを証明して見せて」 無理やりボールを押し付けて私は家へ走り去った。トウヤの私を呼ぶ声も、背中に感じる視線も全部無視をする。ああどうか愛しいあの子。幸せになってね。 あの子は脱走したとみんなに嘘を吐いた。みんなは明らかにほっとしたようで、私は悲しくなった。それから私はみるみる回復していった。喘息が治まり、醜く爛れていた肌は元の美しさを取り戻した。半年後には別荘から自宅へ戻って、また以前の生活へ戻った。特に代わり映えのない毎日だった。ああそうだ、あのときカラクサに来ていた宗教団体は解散したらしい。教室でお嬢様たちとお喋りしていて、なんとなく思い出した。 「なまえさんはポケモンを持ちませんの?」 「え?」 「ほらぁ、なまえさん以前イーブイをお持ちになっていたでしょう?」 「そうですね……」 「やっぱり忘れられませんの?」 忘れられるわけないでしょう、と叫び出しそうになるのをなんとか堪えた。どう切り返そうかと考えていると、誰かがあっと声をあげた。 「あれってもしかして……!」 指差された方向を見ると、長く優雅な白い毛並みをしたドラゴンポケモンが宙を舞っていた。あれはもしかして、神話のポケモンのレシラムじゃないだろうか。 「なまえ!」 レシラムの上から誰かが私を呼びながら、器用に窓へ降りてきた。一瞬で私と彼へ視線が集まる。だけどそんなの気にならないくらい驚いていた。 「トウヤ……」 「なまえ、遅くなってごめん。この子を返しに来たよ」 彼のボールから飛び出したのはグレイシア。いくら時間が経っても姿が変わっても私があの子を見間違うはずもない。 「嗚呼……!」 会いたかった。忘れたことなんか一度もなかった。駆け寄ってきたグレイシアを力一杯抱き締める。氷みたいにひんやりとした身体が壊れてしまうくらいに。会いたかった。会いたかった。私の愛しい子! 「なまえ」 「トウヤ」 「僕は証明したよ。英雄になってひととポケモンが共存できることを証明した。だから次は君の番だ」 「ありがとう。トウヤ、本当にありがとう」 もう私は絶対にこの子を手離さない。そう言うと彼はあのときみたいに優しく微笑んだ。そして少し頬を赤くして言った。 「それから、なまえ、僕も君と一緒に生きれたら嬉しいな」 |