完成した人間は死んだ人間だと思うの。
こんな考えは普通ではないことはちゃんと解っているから人前ではけして言わない。そこまで私は歪んではいない。でも、子どもを未完成で不完全だと言うのなら、大人になるにつれて完成されていくと言うのなら、それは死んだ人間が完成された人間と言うことじゃないのか。

旅先で誰かのお葬式を見る度「嗚呼あの人は完成されたんだな。羨ましいな」と思ってしまう。けれどお葬式に参加している人はみんな暗い服と重たい空気を身に纏っていてあんまりにも惨めで可哀想だから、みんな泣かなくても良いのよ、と教えたくなる。

 ──泣かなくても良いのよ、あなたが死を悼んでいるひとは、やっと完成されたのだから


「お葬式だね、レッド」
「そうだね」
「みんな泣いてるよ」
「きっといい人だったんだろう。だから死を悼んでいるんだよ」

その答えを聞いてがっかりした。生きてる人間の中で最も"完成品"に近いあなたでもそんなことを言うのか。

「そうね」

不自然なまでに整った顔立ち、驚くほどの身体能力、圧倒的なバトルの強さ。
そして誰にも負けない精神力。
私は彼ほど完成された人間を他に知らない。何をとっても他の誰より素敵で、一緒に旅をしていることが夢のようだ。実際、彼の隣にいることがあんまりにも幸せすぎるから、何度も夢じゃないのかと疑った。夜眠るときもレッドがいなくなったらと不安で、けれど怖い夢から目を覚ましたら毎朝隣にレッドがいることで、夢ではないのだと自覚することができた。レッドが隣にいるのを確認できたそのとき密やかに私が涙を流していることを、きっとレッドは知らない。

「今日はポケモンセンターに泊まろう」
「わ、やった。屋根があるの久しぶり」
「……そうだね」



 *



「すこし、話をしようと思う」

お風呂あがりの私を捕まえて、黒いTシャツ姿のレッドは言った。

「なまえは僕を知ってる?」
「レッドでしょ」
「違うよ。僕はレッドだけどレッドじゃないんだ」
「どういう意味?私謎かけは得意じゃないわ」

私の答えに、レッドは押し黙ってしまった。どうしたの、と問いかけても彼のポーカーフェイスからは何も表情が読み取れない。不安になって、どうしたのと意味もなくもう一度問いかける。

「偶像崇拝はもうやめてよ」
「え?」
「僕はチャンピオンのレッドじゃないよ、よく見て。彼の瞳は赤くなんかなかっただろう」
「何を言ってるの?」

私は彼の紅玉を見詰める。宝石みたいで、綺麗。確か赤の色素は致死遺伝子だから、赤い瞳の人間はいないのだっけ。致死遺伝子を持っていて、その美しさだけを盗んで生きているレッド。生きていることが奇跡の、ああなんてあなたは素晴らしい。

「なまえも覚えてないの」
「だから、なにを」
「僕たちはどこで出逢った?」
「シロガネ山でしょ。死にかけていた私をレッドが助けてくれたんだよ」

実は、私にはレッドに出会う以前の記憶がさっぱりない。私の最初の記憶は、凍えてしまいそうに寒い雪山の景色と、対照的なレッドの赤色だった。……と言う話をレッドに教えている。本当は全部覚えていて、探し物をしに山へ登ったのだけれど、命を救われた私にとって間違いなくレッドはヒーローだった。レッドが助けてくれた。それがただの刷り込みだと知っていても、生きていくために私はそれにすがるしかないのだ。

「確かに助けたのは僕だけれど」
「僕は死んだはずなんだ」

ゆっくりと瞬きをして彼を見る。今、彼は何と言っただろう?唾液を呑み込む音が生々しく耳に響いた。

「僕は、レッドは、バトルが強いだけの平凡な少年だった」
「レッド?」
「レッドじゃない!レッドは喜怒哀楽もちゃんとあったし、人間らしくて優しくて僕みたいな人間じゃないよ」
「貴方がレッドよ。赤い瞳のチャンピオンさん」
「すり変わったことにグリーンも気付かないんだ。だって黒い瞳のぼくは、」

 ──足を滑らして死んでしまったんだもの

「ねえ、何でだろうね?僕はレッドじゃないんだ。なのにレッドになってるんだ皆もレッドって言うんだ。ねえ、僕は何を信じればいいの教えてよなまえ」

泣きそうに顔をぐしゃぐしゃに歪めているのに、レッドの紅玉からは一滴も涙がこぼれない。そして、私はようやく理解した。レッドがここまで完成されのは"レッド"が一度死んだ経験があるからだと。"レッド"からレッドへ生まれ変わったからだと。

「だいじょうぶ。貴方が自分を信じられなくても、私が貴方をレッドだと信じてあげるから」
「なまえ……」
「だいじょうぶ、生きてる。レッドは生きてここにいるよ」
「ありがとう、なまえ」

一度死んで、完成されたレッドが、いるよ。私が恋い焦がれたレッドがいるよ。
強く強く抱き締めてきたレッドを、一度失ったレッドを、私はけして離しはしない。