よく知っている男の子なのに、まったく別人に感じた。柔らかい髪の色も、ふんわり笑う笑顔も、私との距離感もいつもと変わらないのに、アルバくんがまったく違う人に思えた。こう、なんていうか、「アルバくん」じゃなくて「男の子」って感じに。
 私の知っているアルバくんは誰にでも優しくて、男の子なのにそんなことを意識させなくて、自然体で接することのできる子だった。だけど今は普段と違う。顔に血が集まってるのが分かるし、声も上擦ってる。まともに顔なんか見れやしない。これも全部アルバくんのせいだ。


 私の趣味はお菓子作りだ。甘いもの好きだし、最初は自分が食べる為に作り始めたのだけど、弟とか私の友人に甘いものが好きな人が多くて、いつしかその人たちに「美味しい」って言ってもらうのが嬉しくなって作るようになった。もちろんお菓子にはコストもそれなりに掛かるから何回かに一度は材料費を徴収していたりするのだけれど。だいたいなんの予定のなかった週明けにはお菓子を持って行っている。

「ん。何かいい匂いがする」
「あ、もしかしてこれかな」
「なにこれ。もしかしてお菓子?」
「そうだよ〜」

 席替えをして初めてアルバくんの隣の席になった週明けに、朝練を終えて教室に駆け込んできたアルバくんが言った。彼は剣道部らしくて、しかもそれなりに強い、らしい。教室では同じ部活のロスくんにいつも弄られて「やめろよぉ」って情けない声を出しているので意外だった。それはさておき、強くて、さらに真面目な性質のアルバくんは毎日朝練を行っている。運動したばかりとは思えないくらい爽やかなんだけど(汗ひとつかいてないし、なんだか石鹸みたいないい匂いがするし)、やっぱり育ち盛りの高校生。動けばお腹が減るらしい。私の発したお菓子という言葉のせいで彼の視線は紙袋に釘付けになってしまった。

「すごく美味しそうな匂いがする……」
「……もしよかったら、食べる?」
「え!? いいのっ!? あ、でも誰かにあげるつもりだったんじゃ」

 あんなに瞳を輝かせて食いついてきたのに、きっとお腹ペコペコだろうに他人の気遣いをするアルバくんはとても優しい人だ。そういうとこが素敵で、だから彼には優しくしてあげたい気持ちになる。

「いいのいいの。友達に作ってきたんだけど、あの子達は毎週食べてるし。一個くらい減ったくらいじゃなんとも思わないよ」
「へえ、これなまえさんの手作りなんだ」
「うん。味はそこまで下手じゃないと思うんだけど、手作りはやっぱり嫌かなあ」
「そんなことないよ! いただきます!!」

 袋から取り出したマドレーヌをアルバくんが美味しそうに食べる。ああ、この顔、私すき。この笑顔を見るために、私はお菓子を作っているんだよなあ。


 さてさてあれから私は友人たちにお菓子をプレゼントするついでにアルバくんにも作ってくるようになった。美味しいって言ってくれたこと、食べてた時の幸せそうな笑顔がまた見たくて作ってきたら、すごく喜ばれたのだ。そんなに手の込んだものじゃないし容器とかも手抜きなのにそれでもアルバくんは毎日喜んでくれるしお礼を言ってくれる。

「……いつも貰ってばかりじゃ悪いから、なまえさんになにかお礼がしたいんだ」
「え、いいよそんなの。私が好きでやってることだもん」
「でもお金とかかかってるでしょ? せめて材料費くらい払わせてくれない?」
「うーん……お金もらえるほどいい出来じゃないから、それはちょっと」
「そっかあ。ならなんか欲しいものとかない?」
「欲しいもの」

 欲しいものかあ。お菓子食べている時の笑顔で十分なんだけどな。でもそんなこと言っても「もっと他のもの」って言われるのが目に見えている。欲しいもの。欲しいものかあ。

(あ、)

「ねえアルバくん。アルバくんっていつもいい匂いがするけど、もしかして香水とかつけてる?」
「うん」
「それ、どこのやつか教えて欲しいな」

 爽やかな石鹸の匂い。清潔感に溢れた人。コンプレックスってほどじゃないのだけど、いつもお菓子を作っているからか私はバターやバニラエッセンスの匂いが取れない。甘いもの好きだから普段は気にしないんだけど、たまには気分転換したいと思うときがあるのだ。

「うーん。僕はなまえさんがいいならそれでいいけど、これ男物だしちょっとなまえさんには合わないんじゃないかな……?」
「あ、そっか」
「でも気になるならちょっとつけてみる?」
「いいの!?」
「うん、もちろん」

 彼が取り出したシンプルな小瓶。男の子なのにこういうの持ってるなんてなんか凄いお洒落だ。それをちょっと借りて、ワンプッシュかける。あたりに石鹸のいい匂いが広がった。

「ありがとう〜」
「どういたしまして」

 小瓶をアルバくんに返したら、そのまま手首を掴まれてぐいっと引き寄せられた。え、え!? と混乱しているとアルバくんの顔が近づいてきて、そのまま首筋近くまできて止まった。

「同じやつつけてもやっぱり違う匂いになっちゃうね。なまえさんは女の子だし、やっぱりもっとあまいい匂いのほうがいいと思うよ。……なまえさん?」
「アルバくん……」

 私の知っているアルバくんは誰にでも優しくて、美味しそうに私の作ったお菓子をほおばって、男の子なのにそんなことを意識させなくて、自然体で接することのできる子だった。だけど今は普段と違う。顔に血が集まってるのが分かるし、声も上擦ってる。まともに顔なんか見れやしない。私の腕を掴んだ手の骨ばった感じとその力強さ。至近距離で香る彼の匂い。そういうの、ほんと、ずるいよアルバくん。