夏の夜の隙間に、私はするっと滑り込んで、やっぱりここは自分のいる場所じゃないからか息苦しく感じた。お祭りって楽しいけれどなんかいや。人混みって嫌いよ。水中がいい。地上の空気はとても苦い。空気中に酸素は二割しか含まれていないから、こんなに人がいるとその少ない酸素を奪い合って息ができないの。周りを見渡すとみんな楽しそうでやっぱり一人で来るんじゃなかったと後悔した。英士くんなんかに期待して声をかけてくれた友達の誘いを断るんじゃなかった。本当に英士くんと来たかったけれど、私から声をかけるって手段もあったけど、彼には仲の良い友人がいるし、サッカーの大事な時期だからって遠慮してしまったのだ。

(でも、きっと、私が誘わなかったから練習が終わったあとに三人でお祭りに行ってるんだろうな)

私たちはいつもそう。お互いがお互いに遠慮しちゃって、あと一歩が踏み込めなくて、いつまでも付き合ったときの距離感のままである。お祭り一緒に行こうなんて言葉も言えないくらいの距離感ならいっそ、ただのクラスメイトに戻った方がいいのかもしれない。だっていつまでたってもこのままじゃいや。諦めているようなことばっかり言って、その癖変な期待をして一人で夏祭りになんか来ちゃったり、しかもわざわざ浴衣を引っ張り出して着たりしているのだから私は本当に救いようがない。こんなに苦しくって、酸素の足りない金魚みたいにいつもいつも英士くんを探さないといけないなんて、もう、いや。ぶんぶんと大きくかぶりを振ると背中の赤い帯が金魚尾びれみたいにふわっと揺れた。

(金魚)

ふと思いたって屋台を探した。夏祭りなんだからきっとどこかに金魚すくいの屋台があるはずだ。案の定少し歩くとお目当てのものを発見し、おじさんに声をかけてポイをもらう。何をするのかというと、お察しのとおり金魚を掬うのだ。たとえ英士くんに会えなかったとしてもお祭りに来たのだから楽しんで帰りたい。そうしないとやっていられない。世界で一番みじめな子になってしまう。狙うのはやっぱり、赤い金魚。今日の浴衣の帯とおそろいのひらひらした子がいい。ふわん、と水中でなびくひれは神秘的に綺麗で、うっとりとしてしまう。水の生き物って、すき。
生き物を掬うのは難しかった。命を掬うのだから、それは当然のことなのかもしれない。うんうんと唸りながらもう何回目になるのかわからない挑戦を繰り返していた。呆れた金魚すくいのおじさんが「もう欲しいのあげようか」なんて優しく声をかけてくれるくらい。私はそれを、いいの、って断った。自分の力でとらないといけないような気がしたから。


「なまえ、へたくそだな」
「うん、そうなの」
「俺がやろうか」
「お願い」


諦めようかな、って思ったときに奇跡みたいなタイミングで英士くんが現れた。そしてそのまま私が狙っていた金魚をいとも簡単にすくいあげる。こういうとこ、王子様みたいだって思う。雑司ケ谷中の王子様のあだ名は伊達じゃない。運命みたいなタイミングで現れて、私の心にぽっかり空いた穴を埋めてくれるから、英士くんってすき。好きな理由は、それだけじゃないけれど。もっともっとたくさんあるけれど。


「はい、どうぞ」
「ありがとう」
「金魚そんなに欲しかったの?」
「うん」
「祭り、来てたんだ」
「うん」
「声をかけてくれればよかったのに」
「それは、こっちのセリフだよ!」


ここで声を荒げると、一瞬英士くんは目を大きくしてそれから「ごめん」って言った。


「どうせ若菜くんとか真田くんとお祭りにきたんでしょ」
「うん、そう」
「私、待ってたのに。誘ってくれるの。英士くんと夏祭り、本当はすごく楽しみにしてた」
「俺だってなまえと行きたかったよ」
「じゃあ、なんで誘ってくれなかったの!」


理由なんてわかってる。私と英士くんは似たもの同士だから言わなくても分かっている。友達がいるから遠慮した、なんて嘘。ほんとは誘うのが恥ずかしかっただけ。もし嫌だなんて断られたら、なんてあるはずもないことを想像して臆病になってしまっただけ。ああなんて、素直になれないあまのじゃくな二人なんだろう。言い訳すら上手にできないくせに。私は浴衣まで来て来ちゃうし、英士くんは一生懸命私のこと探し回って汗だくだし。表情だけいつもみたいにクールに取り繕っていても、汗までは隠せませんよ。


「だって、それは、浴衣着てくるのかな、って期待してたのばれそうで恥ずかしくて」


驚いてパチパチと瞬きをした。英士くんは掬ってもらった金魚みたいに真っ赤だった。それを「喉が渇いた」って誤魔化すみたいに彼がつぶやいた。鞄の中身を見ながら催促されたから、持っていた甘味料の500mlのペットボトルを英士くんに差し出す。英士くんは遠慮なんてせずに一気に飲み干す。貰ったくせに「あまったるい」って文句をたらして、それから「間接キスだね」って意地悪く私を照れさせようとしてきたので、彼の頭を思い切り小突いてやった。



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