田舎育ちだからか男の子に混じって木登りやだだっ広い草原を駆け回るのに馴染みがあった。目と目があったら勝負の合図で、殴りあいのケンカが始まったこともある。同じくらいの女の子は花冠を作ったり、おままごとをしたりと、私みたいに男の子と同じ遊びはしなかったけれど。せっかくお母さんが着せてくれた愛らしい色の服を泥んこにして走り回っていた小さい頃の私は、ずいぶんとお転婆だったなあと、久しぶりにやってきた丘を見て思った。鮮やかな緑色をした絨毯は永遠に続くのではないかと感じるほど広大だったけれど、身長が伸びると見える世界も変わるらしい。こんなに狭かったっけ、と違和感を覚えた。丘にたっている秘密基地を作った大きな木も、あのときは巨大で思えたけれど、今はなんだか小さくて頼りない。ピジョットに頼めばすぐにこんな高さを越えてしまう。ねえ、あなた、こんなに細かったかしら。
 枝や葉を触って確認していると昔のお転婆娘のなまえが木の向こう側からひょっこり姿を現した。泥んこの、あどけない笑顔で登ってみようよと私を誘う。きっと楽しいよ。でも私、スカートなのよ。誰も見てないよ、はやくはやく……。

(仕方ないなあ。ちょっとだけ)

 はしたないことはやめたのだけど、ほら、お転婆娘のなまえが誘うから。なんて誰とも知れないひとに言い訳してみたが、本当はわくわくしていたのだ。最近はこんな遊びをしていなかったが体が動きを覚えていた。昔足をかけていた場所が踏めなかったり、手足が伸びたせいで手がかりや足がかりの位置が変わっていて登りにくかった。

「あ」
「あ」
「なまえ」
「レッドくん」

 はてさていったいどうしたことだろうか、木の上には街で噂の男の子が、秘密基地の中に座っていた。思いもよらないことに驚いて、ヤドンみたいにぽかりと口を開けてしまう。その様子をレッドくんが冗談混じりでからかって、ムッとしてからようやくまともに頭が動きだした。

「女の子にヤドンみたいとかレッドくん最低! 昔っからデリカシーがないんだから!」
「昔から? 残念だね、ぼくは昔と同じレッドじゃないんだなあ」
「何をいってるの?」
「チャンピオンの、レッド、だよ」
「……馬鹿じゃないの? レッドくんはレッドくんよ」

 彼は確かに有名だけれど私にはこの男の子がなぜ世間に騒がれる存在になったのが、さっぱりわからないのである。ご近所に住んでいるレッドくんはやんちゃそうではあるものの、外ハネの黒髪の外見もよくいる感じの少年でよくも悪くも普通の男の子だった。どちらかと言えば、クールな二枚目のグリーンくんの方が騒がれるには相応しい気がした。今思えば久しぶりだねの変わりに失礼な言葉をぶつけたものだ。

「だよなぁ。ぼくもそう思う!」
「自分で言っちゃうんだ」
「だってぼく頭よくないし、運動はそこそこだし、バトルは強いけどイケメンじゃないし……」
「何かあったの?」

 ちょっぴり悲しそうな表情になったレッドくんに、何か不味いことを言ってしまったのかと心配になった。人の悲しんでいる顔ってあんまり好きじゃない。特にレッドくんは普段活発に動き回っている印象が強いからなおさらだ。

「うん。ファンです〜って言ってきた女の子にイメージと違うねって」
「うわあ」
「その時は悲しかったんだけど、ロケット団倒したすごいやつって聞いたらやっぱり映画のヒーローみたいなの想像するよなあ」

 ぼくもグリーンみたいに格好よく生まれたかった! とレッドくんが叫ぶ。私もその気持ちが痛いほど理解できる。グリーンくんはマサラっ子の中じゃ憧れの存在なのだ。博士の孫で頭がよくて、クールでとっても格好いい。レッドくんと絡むとなぜか喧嘩っぱやい性格になってしまうのだけれど、それは二人がライバルだからだろうか。

「でも、レッドくんも凄いよ。あのグリーンくんを倒してチャンピオンになったんだっけ?」
「そうそう! 十歳じゃ二番目だけどな! リーグでたらカメラとかうわ〜って来てさ。逃げる間もなくパシャパシャ写真取られんの」
「へええ」

 テレビで見てるような人がたくさん来て、とインタビューのときの話を聞く。まるで別世界の出来事のようだ。目の前のこの男の子が、悪い組織を倒したヒーローでカントーで一番強いチャンピオンになっただなんて信じられない。今までAだと信じていたものを次の日からBだと言われたら戸惑うみたいに、生まれたときから側にいるからか、今さらすごい人なんだよと言われても実感がわかないのだ。

「やっぱり、チャンピオンって凄いんだね」

 自分に言い聞かせるようなつもりで呟いた。カントーで一番強いってどれくらいなんだろう。ジムバッチすら全部集めきってない私にはよくわからない感覚だ。

「凄いんだろうけど実感わかないよ。バトルなんか全然しないしさ。ぼく、チャンピオンっていつもバトルしてるイメージあった」
「え、違うの?」
「違う違う! 人来ないし難しそうな書類にサインくださいとか判子くださいでもうわけわからないよ」

 木の実をたくさん頬張ったピカチュウのようにふてたレッドくんを見て安堵の溜め息を吐く。ああ良かった。レッドくんはレッドくんのままだ。どれほど周りに騒がれたって、悪いやつを倒したヒーロー扱いされても、レッドくんは変わっていなかった。

「……バトルしたいな」
「え?」
「最近、バトルしてないからさ。なまえちょっと付き合って」

 私の了承をとる前にレッドくんは秘密基地からの地面の上に飛び降りた。風に翻った赤いジャケットが私の視界を埋め尽くす。なんだか戦隊もののヒーローマントみたいだなあと思ったのも束の間、下から餓えた獣みたいにギラギラ輝く好戦的な瞳が私を捉えた。

「それとも、負けるのが怖いの?」
「……言ったね!」

 安っぽい挑発だけれど、それに乗らない私ではない。いくら身体が大きく成長しても性根は変わらないみたいなのだ。レッドくんの後を追うように、バサリと風に服をなびかせ地面に降り立つ。バトルフィールドくらいの間隔を開けてレッドくんが立っていた。──いつだったか、そう。まだ私たちが旅に出る前。こんな感じで、向かい合って喧嘩をしたことがあった。成長して男女差がついた今やったら私が負けてしまうのだろうけれど。だからこそバトルなんだなと思う。喧嘩をすることで、する前より仲良くなった。きっと喧嘩も、バトルも、お互いをよく知るためのコミュニケーションなのだ。

「いけっ、フシギバナ!」
「いくのよプクリン!」

 目と目があったら勝負の合図。どんなに立場が変わっても、二人の距離感は、昔から変わっていない。