試合や遠征でわりと学校を休みがちだから俺は成績があまりよくない。普段はそんなこと気になったりはしないのだけど、テスト一週間前となれば話は別だ。赤点をとって補習にいったり課題を増やされたらたまったものではない。久しぶりに登校した学校で範囲表を配られて、誰かが机の中に入れてくれたらしい休んでいた分のプリントを眺めて絶望する。

「範囲広くねぇ……?」

驚きのあまり一瞬意識が飛びかけた。もともとそんなに頭はよくない方だし、授業も遅れているからテスト前くらい必死でやらないとついていけない。数学は市販の答えで、他の教科は友人にノートを見せて貰ってなんとかなるにしても生物だけはどうしようもなかった。俺は理系で、生物を選択をしているのだが、理系はほとんど物理に流れていくため生物選択は物凄く少ない。加えて男子はさらに少ない。答えを見せて貰おうにも隣のクラスのやつが相手では交遊関係が果てしなく狭い俺には絶望的だった。英士に教えて貰おうにもあいつは物理理系だし、結人は文系だけど俺より頭が悪いから頼りにならない。どん詰まりである。


暗記だけだから休んでも大丈夫とかいう安易な考えで生物とらなきゃよかった。理系となると暗記だけでなく計算や筆記もあるし、それにうちの学校の先生は少し変で答えのプリントを配布してくれないのだ。暗記すらままならない。とりあえず範囲のプリントをやりわからなかったら先生に聞こうと思っていたのだが、みんな考えることは同じらしくいつ行っても先客がいる。順番待ちも兼ねて放課後の教室で教科書を広げてうんうん唸りながらプリントを解いていると「あのう」と控えめに声をかけられた。

「あの、えっと、良かったら私が教えましょうか……?」
「え」

話しかけてきた相手はみょうじなまえだった。普段まったく男子と話さない奴だったから意外な相手過ぎて反応が遅れる。学年一桁で誰でも知っている有名大学を受けると評判なみょうじは、とても頭がよかった。そんな相手に教えて貰えるのは願ったり叶ったりなのだがしかし、俺は人見知りである。みょうじが有名なのは頭がいいというだけでなく、密かに可愛いと人気があるのも理由で緊張してしまう。お洒落を頑張っていたりずば抜けて可愛いと言うわけではないのだけれど、結ったり染めていない黒髪や持ち物に清潔感があって好ましい。

「あ、迷惑でした?」
「いや、有り難いんだけど……みょうじも自分の勉強があるんじゃ」
「私は平気です」

テスト前に他人の面倒を見る余裕があるのはさすがである。俺は絶対にできないが、素直に甘えさせて貰うことにした。ここがわからない、とプリントを指差すとみょうじはああ、と音を小さく紡いだ。

「まず最初に、」

問いの答えを考える時間もなくみょうじのシャーペンがプリントの上を滑っていく。語りかけるように優しい口調で話してくれるから変にプレッシャーがかからなくて内容がスムーズに頭に入ってきた。下手したら先生より教え方の上手いかもしれない。もうみょうじが毎回授業すればいいんじゃないか、真面目に。

「こんな感じ、です」
「おおお……!」
「あとここは大切なポイントだから絶対覚えておいてくださいね」

ヤマまで張ってくれるだなんてみょうじは神か。俺今日から崇めるわ。

「そんな大袈裟な」

くすくす笑い飛ばすけれど俺にとってはちっとも大袈裟なことではないのだ。赤点をとってサッカーに支障が出ることだけは絶対に避けたいから、みょうじには感謝しても仕切れない。赤点逃れられたら何かお礼をしよう。

「そう言えば真田くんサッカー頑張ってるんですよね。大学は行かずにサッカー選手になるんですか?」
「サッカー選手にはなるつもりだけど大学はわかんねぇ。体育大かその辺の学科かなって考えてる」
「へええ。凄いですね」
「みょうじに比べたら凄くねーよ」
「何故ですか?」

こてん、と首を傾げたときにみょうじの綺麗な黒髪が肩からこぼれ落ちた。みょうじに難関大の名前を告げ、ここへ行くのだろうと訊ねると、みょうじはぎこちない笑みを作っていた。

「みんなは、行って欲しいみたいですけど……私まだわからないんです」
「は? だって成績足りてるし」
「それはそうなんですけど、私には真田くんみたいにやりたいことがなくて。親や先生が勧めるから志望には入れてますが、別にどこでも変わらないんですよねえ」

ふうと大きなため息をついて頬に手を当てた。芝居かかった仕種だがみょうじがすると妙に似合っていて可愛いなと思った。

「ありきたりな悩みですが将来の夢がないんです。だから真田くんみたいに夢に向かって努力しているのを見ると尊敬します!」
「え、……ああ、ありがとう」
「頑張ってくださいね、私応援していますから」

プロになる夢を、馬鹿にされたことはあっても認められたことはなかった。だからみょうじの言葉に驚いて返事が遅れてしまった。と言うか、今、顔赤くなってねぇかな。俺すぐ顔赤くなるって結人にからかわれたからな。と言うか、さらりとこんなことを言えるなんてみょうじは素敵なひとだな。ぐるぐる。そんなことを考える。元の性格もあるけれど、友達と遊ぶ時間も惜しんでボールを蹴ってきたから学校で親しい友人も出来なかった。だから、俺が、この事をきっかけにみょうじのことを特別に思い始めたとしても不思議ではないのだ。

「ありがとう」

みょうじと話したのはそれきりであった。けれどあのときのみょうじの言葉は俺の心の中に今でも密やかに息づいていて、ちょっと挫けたりしたときに励まして貰った。卒業するとき風の噂でみょうじがあの有名な大学に受かったことは聞いた。さすがだ。目標もないのに、それだけ努力をできるなんて凄いよ。

「好きだったのかな」

J1に加入が決まったときふとみょうじのことを思い出した。初恋と呼ぶにはあまりに淡い感情であったけれど。あのときあの瞬間から。確かに俺はみょうじに恋をしていたように思う。


title by 確かに恋だった