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 涙さえも甘い


 初めて出会った時から貴女が好きでした。
 幼い頃から時折僕の所にやって来ては楽しい話をたくさんしてくれた可愛い女の子。僕の『おおきくなったら、けっこんしてください』という世間知らずなワガママに、頬を赤く染めて頷いてくれた。それがとても嬉しかったのを今でも覚えている。
 いつしか彼女の身長を追い越して、文字通り『大きく』なったが想いは変わらない。むしろ年月が経つにつれて際限なく膨らんでいった。母のような柔らかな微笑み。白い肌。純白のドレスを身にまとう、純潔の乙女。この国のどんな少女よりも清らかで美しい。
 今日は彼女が城に来てくれる日だ。母の許しを得て城の裏にある花園から花を摘み取る。綺麗なものが好きたからきっと喜んでくれるだろう。
「ごきげんよう、ベクター皇子」
 僕を呼ぶ声は小鳥の囀りよりくすぐったい。耳から入り込んだ音色は僕の胸に直接響いて心臓を急き立てる。ゆっくりと振りかえれば愛しい笑顔があった。
「お久しぶりですね。凛音姫」
 彼女は隣国のお姫さま。彼女の住まう国は僕の国より小さくて弱い。けれど国の人たちは明るくて優しい。この国とは全く違う。度重なる戦争で疲弊した民を駒のように扱う父が王なのだから、それも当然かもしれない。
「今日は新しい船を納めてくださったそうですね。ありがとうございます」
「……ええ。貴方のお父君はたいそうお喜びでした」
 2国の間で盟約が結ばれている。彼女の国は戦争する力はない小国だけれど、繊細な技術で船や砲台、武器を作ってこの国へ納めてくれていた。
「最近お父君はずいぶん遠い国まで行っていらっしゃるのね。船の製造も修繕も追い付かないくらいよ」
「そう、ですね。それでもまだまだ、と言っていました。父上は世界の全てを手に入れたいようですから」
「この国に船や武器を納める代わりに私の国を他国の侵略から守ってくださると、そう約束を交わしはしたのだけれど……」
 凛音は少し肩を落として言った。伏せられた瞼からは悲しみが見てとれた。
「報酬はだんだん少なくなっていってるし、修繕費が支払われないこともあります。そのことで民は不満を感じています。船や武器を作るための資源だって無限に採れるわけではありませんのに。このままでは国が干上がってしまいそうです」
「ええ、よく耳にしています。僕も母上も何度も進言しているのですが、なかなか聞き入れてくださらなくて」
 他国との戦争に勝つことしか考えていない父は、弱い者のことなど眼中にない。むしろ踏み台にすべきだと思っている。他国へ侵攻し周辺諸国から反感をかっているのに、そんな国々さえも武力で黙らせようとするのだ。これでは国内がどれほど疲弊しようとも争いが終わることはない。
 ふと凛音の大きな瞳が僕を映した。
「貴方が王なら、良い国になるかもしれませんね」
「そうでしょうか」
 僕には父と同じ血が流れているというのに。
「皇子はお優しい人です」
 細い指が僕の頬をなでる。それだけで心は幸せで満たされてしまって他のことなど微塵も入って来ない。
 僕は摘み取った花を凛音の髪にさしてあげた。とてもよく似合う。
「僕が王になったら貴女を必ず迎えに行きます。ですから、その、僕のお嫁さんになってくれませんか?」
 子どもの戯れではない恋慕の言葉。春の匂いを乗せた風が彼女の柔らかな髪を揺らす。
「それはとても、魅力的ね」
 僕は凛音の頬が桃色に染まるのを凪いだ心で見つめていた。

 それから少しして──父が病床に伏して死んだ。不幸なことに母も亡くなってしまった。
 けれど、僕は晴れてこの国の王になった。どれほどこの時を待ち望んでいただろうか。ああ、やっと貴女を迎えに行けるのですね。
 彼女の国から贈られた船に乗って海を渡る。今日のためにあれこれと準備をした。国がいっぺんに見渡せる見晴らしの良い部屋、たくさんの本をつめた書斎、ふかふかのベッドを置いた寝室、あの日と変わらぬ花園。すべてすべて貴女のために。

 港に船を着けると、たくさんの民が僕を出迎えた。家来に命令し祝砲を撃たせる。大空へと響く咆哮に歓声があがった。船から降りると家来たちが先導し、民に道を開けさせた。彼らは僕の身を守るために武装をしている。そのためか、驚いた民衆の中には近くの建物に隠れてしまう者もいた。まあ、それも仕方がないことだろう。優しい彼らは戦争などしたこともないだろうし、当然ながら民間の兵士というのも居ない。気の毒に思いながらも彼女の住まう城へと歩みを進めた。
 祝砲が撃たれるたびにあがる歓声が心地よい。カンカンと鐘の音も聞こえる。どこかで花火も上がっているようだが、音しか聞こえず光の粒は見えない。おそらく空が曇っているせいだろう。
「残念ですねぇ、こんな素晴らしい日だというのに」
 しばらく歩いていくと、なんとご丁寧にも石畳に赤い絨毯が長々とひかれていた。まるで凛音のいる場所へと導くかのように。絨毯の傍らには地面にひれ伏す大勢の人がいた。
「ああ、今日という日を祝福してくださるんですね。ありがとうございます。なんて善き民でしょう」
 彼らの行為に甘えて赤い道を踏みしめていく。一歩一歩、足を進めるたびに胸が高鳴る。はやく凛音に会いたい。会ってあの細い体を抱き締めてぷっくりとした唇に口付けたい。きっと彼女の唇は吸い付くように柔らかい。
 そんなことを考えていたらあっという間に城門前についてしまった。扉は僕を祝福するように開かれ門兵らしき男が2人、地に膝をつき頭を垂れていた。
 先に家来たちが城内へ入ってしまったようだが、今はどうでもいい。彼らの横をすり抜けて中へと入る。目の前に現れた女中らしき人を捕まえて姫の居場所を聞くと、体を震わせて気を失ってしまった。いくら一国の王だからといってこれほど畏縮されるのも困りものだ。僕がそんなに恐ろしいのだろうか。まあ、最近までは戦争と侵略が象徴のような国の王子だったのだから、無理もないのか。
 女中が出てきたと思わしき木の扉の前に立つ。ノックをするが返事はない。ゆっくりとドアを開けてみるも誰も居なかった。人の気配すらない。おそらく失神した女中の部屋なのだろう。ひどく狭かった。その部屋にひとつだけある窓からは一面の夕焼け色が見えた。
「なんて美しいのでしょうねぇ」
 こんな景色がこの国で見られなくなることは少し残念に思う。たっぷり時間をかけて景色を堪能し、部屋を後にした。

 石造りの廊下を歩いていけば、使用人と思わしき者たちが床にひれ伏していた。こちらが声をかけてもうんともすんとも答えない。敬意を表するのなら凛音の居場所を教えてくれれば良いのに。そう思いながら進むとあることに気づく。だんだんと人の数が増えている。服も上等の物を身にまとう人々が多い。これは当たりかもしれない。
「待っていてくださいね。僕のお姫さま」

 たどり着いたのは、王の間だった。
 王の間では王の姿と、僕の家来に囲まれる凛音が居た。
 玉座には彼女の父である王が腰かけていた。背もたれに力なく体を預けるように座っている。目は閉じられ、一見すれば眠っているように思える。目尻と口元に刻まれた皺が老齢を感じさせた。王冠は頭の上で今にもずり落ちそうなほど傾いている。赤いベルベットのマントに包まれた体はそれよりも濃いワイン色に染まっていた。
 よくよく見れば肘掛けに凭れるようにして女性が床に座っている。見るからに高価なドレスを着ているので、おそらく王妃だろう。青空色のドレスも赤ワインの色に汚れていた。そういえば、石畳にひれ伏す連中も廊下に転がっていた奴らも安物の葡萄酒をぶちまけたような染みだらけだった気がする。ああ、なんて汚ならしい連中だ。綺麗なのは凛音だけじゃないか。
「ベクター皇子……!」
 震えた声が僕を呼んだ。信じられない、という顔をして。こんなにも早く迎えに来るなんて貴女は思っていなかったのでしょう?
 手で合図し兵士たちを下がらせる。
「凛音姫」
 出会った時から貴女が好きだった。ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと手に入れたいと願っていた。とうとう叶うんだ。そう思うと自然と笑みが浮かんだ。
「どうして、こんな、こんなこと……」
「約束を果たしにきました」
 凛音は体を縮こまらせて震えている。かわいそうに、緊張しているんですね?大丈夫ですよ。凛音を優しく抱きしめれば、予想以上に柔らかく、部屋に充満する錆びた鉄の臭いも消し去るほど良い香りがした。
「ボクが王になったら、貴女をお嫁さんにするって言ったじゃありませんか……ねえ?」
 耳元で話せばびくりと跳ねる体も、か細く震える声も絹のような髪もすべてが愛くるしい。
 絶望に染まる美貌に胸の内がシロップのようにドロドロとした甘いもので満たされる。愛しい愛しい凛音ちゃん。ちっぽけな国もお前もこのオレの物だ。
「さあ、お約束通りお迎えにあがりましたよぉ。俺のお姫さまぁ」
 大きな目から零れた涙を舌で拭い、唇にキスをした。





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