きっと今夜は、雨 | ナノ






 マリア・アークライト。
 この名前は私のお母さんがつけてくれたものだ。
 私が6歳のころ。
 3番目の弟ミハエルが生まれてすぐに、お母さんは柩のゆりかごに抱かれて眠った。
 もともとミハエルを産むことはとても難しくて、子どもの命かお母さんの命か、どちらか選ばなければならなかったらしい。お父さんは毎日のように神様にお祈りしていたから、その時のことはよく覚えている。私はとても悪い子だった。弟か妹か知れない見たこともないその小さな命より、目の前の大好きなお母さんが大事だった。だから私はお祈りした。どうかお母さんを助けてください、と。
 神様はそれを叶えてはくれなかった。
 柩で眠るお母さんはとても綺麗で、もっと近くで見たいと思っていたけど、クリスとトーマスが私に抱きついてわんわん泣くから近寄ることはできなかった。もっともっと見ていたかったのに、大人たちが蓋を閉めてしまったから、お母さんの顔は隠れてしまった。
 お父さんは産まれたばかりのミハエルを抱えたまま泣いていた。弟たちも私にしがみついて泣いていた。
 お母さんは居なくなってしまった。入れ替わるようにミハエルが家族になり、私たちは5人で生きていくこととなった。
 ひとつ年下のクリスは全てにおいて私より優秀で、嫉妬の対象でもあり頼もしくもあった。聞けば何でも適切に答えくれるけど、要領の悪い私は怒られてばかりだった。
 6つ年下のミハエルは甘え上手だった。悪い言い方ではあるけど、お母さんが死んでしまった原因であるこの子を好きになれるか、正直分からなかった。しかしそれも杞憂に終わり、可愛く首をかしげてお願いされれば何でも叶えてあげたくなった。
 いちばん仲が良かったのは4つ年下のトーマス。一緒に勉強したり、サッカーしたり、デュエルしたり、お昼寝したり。よく2人でイタズラを画策してはクリスに怒られた。
 お父さんは、優しかった。たまに叱ることもあったけど、その後には頭を撫でてくれた。その手の温かさは、私の悲しみも苦しみも卑しさも寂しさもすべて洗い流してくれた。
 これでいい。そう思った。
 欠けた場所はいつか埋めることができる。私の世界は満たされている。幸せで溢れんばかりに満ち満ちている。
 そう思っていた。

 月日は流れ、私はクリスと一緒に助手としてお父さんの研究の手伝いをするようになった。お父さんは先史遺産の研究をするうちに次元の異なる世界に興味を持ち始め、Dr.フェイカーと共に異世界の研究に熱を注いだ。異世界への手がかりがなかなか掴めずヤキモキするフェイカーをお父さんが宥めるというのは日常茶飯事だった。

 私が16歳になったころだ。
 お父さんが知り合った九十九一馬さんの協力で異世界への扉の鍵を掴んだ。そして、その扉があるという遺跡へ向かうこととなった。


 出発の日、当日。
 澄み渡るような青空の下。
『クリス、お父さんの邪魔しちゃダメだからね!あ、あとちゃんとお父さんのこと見張っててよ。行ったこともない場所なんだから何があるか分かんないし。それから……』
『分かっています、姉さん』
 クリスは助手としてお父さんについていくことになった。私も行きたかったけど、弟たちの世話を任されて行くことはできなかった。
『だいたい僕は姉さんではないんですから、父さまの邪魔はしませんよ』
『うわークリスが生意気だ!むかつく!』
『こらこら2人ともやめなさい。マリア、私たちのことは大丈夫だ。心配いらないよ』
 この苛立ちが不安からくるものだと知っていたのかもしれない。お父さんは私を安心させるようにそう言ってくれた。
『じゃあ、そろそろ行こう。私が留守の間、トーマスとミハエルを頼んだよ』
『うん、任せて。お父さん』
 頷くとお父さんは笑って、優しげな目元をますます優しくして頭を撫でてくれた。
『行ってらっしゃい、2人とも』


 それから1週間ほどが過ぎた夜のこと。
『おやすみ。ミハエル』
『おやすみなさい、ねえさま』
 ベッドで眠る体勢を整えたミハエルの額にキスをする。隣のベッドではトーマスがベッドサイドに腰掛け、枕を抱えて話したそうにこちらを見ていた。視線を合わせると、ルビーの目をパチパチと瞬かせる。
『なあ姉さま、父さまとクリス、いつ帰ってくるんだ?』
『もうすぐじゃない?予定ではそろそろ帰ってきても良い頃なんだけど』
『ふーん』
 トーマスは枕を指で弄りながら視線を泳がせている。
『なに?寂しい?』
『ち、違うよ!ミハエルが寂しがってるだろうなって!』
『分かった分かった。優しいお兄ちゃんだね』
 真っ赤になるトーマスを寝かせて布団をかけてあげる。ミハエルが小さく、にいさま、と呟いた。
『にいさま、ぼく寂しくないよ。だって、にいさまもねえさまも居るんだもん』
『お、俺だって寂しくないぞ!姉さまもミハエルも居るし!』
 ムキになって言い返すトーマスも、ニコニコしているミハエルも可愛くて、2人の頭を順番に撫でてあげた。
『私も2人が居るから平気だよ。じゃあそろそろ寝よっか』
『はあい』
『おやすみ。姉さま。また明日な』
『うん、また明日』
 トーマスの頬にキスをして、部屋の明かりを消した。
 そうやって弟たちを寝かしつけた午後9時半。
 寝る前にホットミルクでも飲もうかとキッチンに居た私は、バタン、と何かが閉まるような音を聞いた。振り向いても誰もいない。
 部屋の外だろうかとエントランスへと向かう。月明かりが差し込む薄暗いそこに、立ちすくむクリスの姿が見えた。視線は足元に落としていて私には気づいていない。
 ゆっくりと近づき、あと2、3歩で触れられる距離で声をかける。
『クリス?』
『あ……』
 パッと顔をあげ私を見たその瞳は酷く歪んでいて、まるで怯えているみたいだった。
『おかえり。どうしたの?帰ってくる時は連絡ぐらい入れなよ』
『姉さん……』
 よく周りを見れば居るのはクリス1人。彼の姿を見かけたときは何とも思わなかったのに、急に本来あるべきモノが欠如していることに気づいた。
 私より真面目なクリスが連絡を怠る筈がない。心臓が嫌なほどドクドク鳴る。
『ねえ、お父さんは?』
『っ……!ごめんなさい、ごめんなさい、姉さん。僕は……』
 震えるクリスの声が私の不安を掻き立てた。クリスはよろよろと私の目の前まで歩いてくると、崩れ落ちるように私にしがみついてきた。この頃にはもう身長なんてとうに追い越されていて、私は彼を受け止めきれずにそのままずるずると座り込む形になった。
『クリス、どうしたの!?なにがあったの?』
 聞けば何でも答えてくれる賢い弟が、黙り込んだまま肩を震わせている。その振動が私の体中に伝わってきた。もう一度名前を呼ぼうとしたその時。
『おや、その様子だと上手く説明できなかったようですね』
 家のドアを開けて無遠慮にエントランスに上がり込んできたのは、メガネをかけた緑色の髪の男。
『ミスター……ハートランド?』
『おお!よくぞわたしをご存知で。光栄ですよ、マリアさん』
 そう言うとMr.ハートランドはわざとらしくお辞儀してみせた。
『別に……研究所で何回か見たことあるだけだから』
『それはそれは。ですが、悲しい知らせをお耳に入れさせなくてはなりません。伝えるわたしも大変心苦しいのですが』
 クリスの手に力がこもる。痛いくらいだったけど、振り払うなんてできなかった。

『バイロン氏は遺跡の探索中に落盤事故に会い、行方知れずとなってしまいました』

 ぐわん、と頭を殴られたような衝撃が襲った。脳が揺れるような、破裂してしまうんじゃないかというぐらい強く。
『大変古い遺跡であったらしく、また異世界への扉を守るためか罠も大量に仕掛けられていたとか。バイロン氏がフェイカー様をかばい、一馬殿と共に遺跡の底へ……我々も人手と労力を尽くして捜索したのですが残念ながら……』
 投げかけられる言葉を脳が意味を吸収しないままポロポロと抜け落ちていく。ただ、私に抱きついて肩を震わせるクリスの背中を抱きしめかえすことしか、できなかった。
 
 そこからは、もう、よく分からない。
 幼い弟2人は施設に引き取られることになった。きっとMr.ハートランドか誰かが手を回したんだと思う。
『嫌だ!この子たちは私の弟なの!誰にも渡さない!!』
 血を吐くように叫んで、ふたつの小さな体を抱きしめた。それなのに2人は連れて行かれてしまった。大きな瞳に涙を浮かべて。
 満たされていたはずの世界が、壊れていくおとが、きこえたきがした。


 昨日までが、幸せでした






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