クラシカル リビドー1/5
(その姫、処決〜瑕疵 セバスチャン視点)“一切抵抗するな。その時が来たらお前を呼ぶ”
“そして、思い知らせてやる。この僕に屈辱を与えた者がどうなるかを。”
“……ただ、”
“?”
“いや、何でもない。………いいな?セバスチャン”
“イエス マイロード”
言いかけて口を閉ざした主の言葉を、セバスチャンは理解していた。
主人が口籠もるのは、大抵リユの事についてだからだ。
あの時、命ぜられた訳でもないのに少女を気絶させて総監の揚げ足を取ったのは、それが一番穏便に済ませられるだろうと主人の立場をフォローしての事。
勿論、あの場で暴れろと言われても構わなかったが、今はまだその時ではない。
裏に潜む黒幕をまずは誘き出さなければ、最高のゲームにはならないのだから。
昨夜、ロンドン塔へ連行されてから一日が経った夜の事。
セバスチャンがつまらない拷問にも飽き、拷問係も酒に酔い潰れた頃、それは唐突に起こった。
(嗚呼……、まただ)
それまで感じていたリユの気配がふと、無くなってしまったのだ。
通常の人間には死なない限り有り得ない事だが、異世界から来たと言う少女にはそれが時々起こる。
そして思い返すのは、先日のプレストンの修道院での事。
其処でも一度、自分達を一人で待ち座り込んでいた少女の気配が消えていたのだ。
一人で外の柱に凭れ掛かり目を閉じていた少女の顔は蒼白で、それに加えて気配も無いのだから、呼吸をしていなければ死人と間違えても可笑しくはなかった。
しかしリユが目を開けた途端に気配は戻り、目の前で彼女を眺めていた自分に向かっていつも通りの悲鳴を上げたのだった。
突然現れられるのは驚くと文句を零す少女。
彼にしてみれば、突然気配が無くなる方が驚くのだが、彼女自身はそれを知らない。
そしてもう一つセバスチャンが感じていたのは、リユは心ここに在らずな状態の時に気配が消えるのでは無いかと言う事。
恐らく、元いた世界の事を考えているのではないかと推測していた。
もしも、そのまま其方の世界に想いを持って、完全に気配が戻って来なければ。
(恐らく、彼女は元の世界へ帰る事が出来るのでしょうね…)
しかし、それでは剰りにも。
セバスチャンの眼が、拷問係の男へと向いた。
あの様子ではまだ目を覚ましそうにはない。
「命令は、一切抵抗するな、ですしね。少しくらいなら問題ないでしょう」
仮に男の眠る間だけこの場を離れても抵抗にはならないだろう。
それに言葉にこそならなかったが、“少女の安全確保”も主の望むものだったのだから。
音もなく、セバスチャンはリユの居る牢の中に現れた。
粗末なベッドで気を失った少女に、存在を示す気配はない。
まるで幻を相手にする気分になりながら、セバスチャンは寝台の横に膝をつくと少女の肩に触れ名前を呼んだ。
数回声を掛けた所で、やっと目を覚ますリユ。
同時に、消えていた気配も帰ってきた。
「全く貴女は世話の掛かる子ですね…」
言いながらセバスチャンは溜息を零す。
念の為、少女に怪我や体調の変化が無いかを確認し、小さな顔に掌を滑らせた。
「私、気絶して…」と呟きながら、自らの状況を把握し始めたリユにセバスチャンは説明する。
尋問はされるだろうが手荒な真似はされないと。
そして、ファントムハイヴ家のメイドらしく毅然としているように言い聞かせた。
素直に頷く少女に彼は微笑み返す。
「では、私は戻ります。後の事は坊ちゃんと警部補殿に任せなさい」
戻るって…と言いかけたリユを、唇に指を押し当てて遮った。
「Shi…、お静かに」
此方へ近付いてくる靴音。
それに気付き少女も大人しく口を噤む。
「……そう、良い子ですね」
此方へやって来るのはアバーライン警部補のようだ。
気配を察したセバスチャンは施錠された扉を見遣り立ち上がる。
次いで、ベッドのリユに視線を落とすと少女は気まずそうに顔を背けていた。
小さな白い頬は僅かに朱が差している。
相変わらず初な反応だと思いながらセバスチャンは微笑した。
「では、また後程。」
来た時と同様に、彼は音もなくその場を後にした。
†
next
[
戻る]