イノセント メランコリー5/5
「坊ちゃん、」
呼びかけられ、シエルは怒りと共に立ち上がり、セバスチャンの頬を打った。
「失態だな、セバスチャン。あの時、僕の命もリユも、危険に晒されていた。なのにお前は動こうとしなかった」
以前セバスチャンが言った事はシエルも理解していた。
契約者であるシエルを優先しなければならない時は、少女の命は見捨てられる。
しかしあの瞬間は、自分か少女、どちらかの命しか救えないという状況ではなかったのだ。
アバーラインが割って入れたのなら、悪魔である執事にそれが出来ない筈が無い。しかし。
「貴方達はあの時安全でした。実際無事だったでしょう?あの瞬間、私には分かりましたので。アバーラインさんが貴方の盾になる事が っ、」
その言葉を遮り、シエルはもう一度その顔を叩いた。
“コレ”は、そう言うものだったのだと、忘れていた訳ではなかったが再度思い知らされる。
同時に、ではリユが一人で飛び出して来た時はどうだったのだと思う。
セバスチャンは、劉がリユを殺さないと見越していたのか。
だが、リユ自身がそれを自覚していたとは思えない。
そもそも、彼女は自分に屋敷へ帰ると言ったではないか。
シエルは、アバーラインの亡骸の傍らに座る少女に声を荒げて詰め寄った。
何故此処に居るのだと。
「屋敷に帰ると言った筈だ!なのにどうして此処へ来た?それに何故、銃を構えていなかったんだ!お前のそれは飾りか!!」
確信は無くとも、劉は自分を殺さないとでも思っただろうか。
吸血鬼に言った時のように、少女はまた甘い考えで無防備に飛び込んできたのだろうか。
立ち上がらせた少女の肩を掴みながら、シエルはふと思い出した。
いや違う、と。
“二人とも、迷惑掛けてごめんなさい。……いって、らっしゃい”
あの時感じた、少女の覚悟。
あれはてっきり、それまで親しくしていた劉達をシエルが討ちに行く事への諦めと理解だと思っていた。
けれど、そうではなかった。
あれは、リユが自らの命を捨てる覚悟だったのだろうか。
この場に飛び込んできて自分や劉を説得するつもりだったのか、そこまでは分からない。
しかし彼女は死を覚悟して此処まで来たのだろう。
だとしたら、尚更タチが悪い。
死ぬ覚悟より戦う覚悟を。
シエルは少女に、そう伝えていたつもりだったからだ。
それなのに。
「ご、めん…なさい。アバーラインさんを………助け、られなかった」
ぽつりと、虚ろな瞳で呟かれた言葉。
「ッ!!、そんな事を言ってるんじゃない!」
シエルが思わず少女を突き飛ばすと、小さな体は力無く甲板に尻餅をついた。
「っ、お前は…。何度言えば分かるんだ……」
アバーラインを助けられなかった?一体何を言い出すんだとシエルは思った。
まるで、自分が代わりに死にたかったような口振りではないか。
気力を失った様な少女から視線を外すと、アバーラインの亡骸が目に映った。
“君には未来が…もう一度、手に入れるチャンスがあるんだ……それを忘れちゃ、いけっ、ない…”
「アバーライン…馬鹿な、奴……」
彼の顔はやはり、場違いなほど穏やかに眠っているように見えたのだった。
(イノセント=お人好し、悪意のない、メランコリー=憂鬱、哀愁)
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